6 病室でピクニック

 ぼくのおしっこは、チョコレートを薄めたような色をしている。尿の量を計るために、トイレにはぼく専用の巨大なガラスビンが置いてあって、そこにおしっこをするのだ。そのたびに、ぼくは言いようのない屈辱を感じる。ずらりと並んだ小便器のわきにドンと置かれたおしっこビン。色も臭いも、普通のおしっこと違う。ときどき水で薄めてやろうか、と思った。

 土曜日にクラスの連中がごそっとやってきた。ぼくの好きな子もいた。母親の置いていったリンゴをみんなにむいてやり、クラスのようすなどを聞いた。はじめはとまどいおとなしくしていた彼らだが、そのうちみんな勝手に自分たちのおしゃべりを始めた。なんか、遠足でおやつを食べている時のようだった。それを見ているだけでも、いつもと違った楽しい気分になれた。

 そのうちトイレから戻った一人が、ぼくのおしっこビンのことを報告し、大さわぎになった。「汚ったねーの。こんな大っきなビーカーが置いてあってさー、臭っせーたらねえーの」と説明し、みんなを連れてトイレ探検に行ってしまった。ぼくの好きな彼女も一緒にだ。ぼくは絶望的な気持ちになった。臭いのは薬のせいだ、と説明してもだれも聞いてはくれなかった。みんなのぼくを見る目に、なんとなくけがれたものを見るような視線を感じた。とても彼女と目を合わすことができなかった。そうだよ、病人はどこかしらけがれているものだ。だから病院にいるんじゃないか。ぼくはこころの中でつぶやいた。

 わいわい言いながらみんなは帰った。彼らにとって病院は一種の別世界であり、ちょっとした冒険旅行の気分だったんじゃないだろうか。たとえば、物語の中の魔界のような。まさか作文に書きはしないだろうな、と心配になった。

 彼らがいたあいだ、イーノはずっとぼくに背を向けて、なにか本を読んでいた。でもぼくは知っていた。イーノは本を読んでいたんではなく、ぼくらの話を聞いていたのだ。学校のようすだとか、みんなの遊びや関心事など、ようするに病院の外の世界のことを。

 日曜日には家族がそろってやってきた。母と父と兄と弟だ。同じときにイーノの両親も来ていた。一度ぼくらのほうにもあいさつにきたが、同じ親でもこうも違うものかと思うほど、イーノの両親はとても若く、そのうえお母さんは美人だった。イーノはパパ、ママと言ってうれしそうに甘えていた。

 その日は、病室に入れかわりたちかわり見舞客が来て、なんとなくピクニックのようなはなやいだ空気が流れた。本橋さんを二人の若い女性が訪ね、とても大きな花束を枕もとに飾った。二人が帰った後、佐藤さんは「どっちが恋人なんだ? ふたまたかけているんじゃないか」とひやかし、本橋さんを追及した。

 そんな佐藤さんも、奥さんが来たときにはだらしないほどニヤケていた。奥さんは小柄でぷっくりと太った人で、入ってくるなりお弁当を広げて食べはじめた。佐藤さんはさかんにテレながらも、ときどき奥さんが口もとに運んでくれるおかずを、うまいうまいと言って食べた。奥さんはおべんとうが終わるとくだものをむきはじめた。ずーっとなにかを食べ続け、なにもなくなると、こんどは「下の売店を見てくる」と出ていった。そして小さなビンのヨーグルトをたくさん買ってきて、部屋の一人ひとりに配って歩いた。イーノは「ヨーグルト大好き」と、喜んで食べた。それは冷たくて、甘くて、少しすっぱくて、とてもおいしかった。

 夜になって静けさをとりもどすと、急に疲れが出て、ぼくは消灯を待たずに眠ってしまった。病院にいると、なにをしたというわけでもないのに、ちょっと気持ちがはしゃぎ、空気が動いただけで疲れてしまうものらしい。

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