21話 逃げ出しても逃げ出しても

どこを走って来たかはもうわからなかった。

彼らはもういない気がして、やっと後ろを振り返るとさっきの黒い集団はいなかった。

ちょっとした坂道を上ると、目に止まるのは、ライブハウスとかコンビニ位で、人気があまり無い。

不思議なことにその風景を見て、胸を撫で下ろした。

どうやら逃げ切ったらしい。

いつもなら寂しいと感じるような風景も、今はなんだか落ち着くのだ。


「家に帰ろう」

呟きながら携帯を手にすると偶然なのか、キョウから着信履歴があった。

迎えに来て貰おうかな。

ここから、ひとりで帰れる気がしなかった。

「スマミセン」

片言の日本語が聞こえた。

顔をあげると、目の前にダーティーブロンドの髪を一つに束ねて、いかにもスポーティな女子が立っていた。

瞳は青くて肌は白い。

国籍まで思い浮かばず、外国人だとしか判別がつかなった。

「イェス!」と、とりあえず言ってみる。

英語はそう得意でもなかったりするのだ。

「カミ……ナリヤン……イキタイデス」

カミナリヤン?

きっと、雷門のことを言っているんだな。

教えてあげたいけど、あたし電車も地図も苦手だ。

「えー。ポリス?聞いてみたらよろしいあるよ?」

ごもごも言ったせいか彼女は、「モウイッカイクダサイ」と言った。

どうしよう。あたし、わからない。英語で説明も言い訳も出来ない。


「アー! チョ……ト。ワカッタデス……コッチイインデスネ?」

彼女が指さした方向が何処を向いているのか、わからなかった。

同時に、彼女があたしの言った言葉の何を理解したかもわからなかった。

「イェス! ときどき!」と相槌を打って好きな場所へ行けばいいと、親指を立てたのを何と勘違いしたか、

「ウレシデース」と腕を引っ張って走り出した。

彼女の母国では親指を立てたら一緒に走るということなのだろうか。

無知すぎるあたしを恥じて、彼女の祖国がどこなのかを考えながらついていく。


さて結構、走った。

『カミナリヤン』

さっき、この子はそう言っていた。たぶん、浅草の雷門に行きたいということだ。

だけど今2人立つ場所は、それと関係なさそうな路地裏だ。

ここで殺されたら、気づかれなさそうだなと、暗いビルとビルの間に挟まれながら思った。

ふと飛行機雲に気がついて見上げていると、彼女はあたしの頬に果物ナイフを突き付けていた。

「ニンゲンデース」と、わかりやすく片言で言ってみた。

りんごでも梨でもないのだ。

それなのに、流暢に「見ればわかります」と返された。

短時間で日本語が話せるようになるわけがない。これはさすがに何かのどっきりだと悟り、「なぁんだ。騙されました」ときょろきょろ辺りを見渡しながら観念する。

しかし「カット!」の声もなく、そのまま外人さんとしばし見つめあう。

この状況をどうすればいいかわからず、ただすごい綺麗だなと今さらながら見とれてしまった。


「貴方、キョウの浮気相手ですね?」

「……はっ?」

「私、キョウと付き合ってたです。最近まで」

「……はぁ。はああああ?」

キョウの彼女の話は何人分も聞いていた。

けど、外人の彼女がいたことは初めて聞いた!何それ?

「でも別れる言う前から、浮気疑ってた。そしたら、貴方が一緒に手を繋いで帰るとこ、家に帰るとこ見ました。私、我慢出来なくて、試して別れる言いました。そしたら、好きな子いるから別れていいよとはっきり言われました」

そう言えば、この前、別れたって言ってた。

そうだ。OLの子と別れたって言ってた。

OLって、日本人じゃなかったの?

この子がそのOLの子?

「待って! あたし、兄妹! ブラザー! これ、見て!」

ブレザーの内ポケットから生徒手帳を取り出した。

名字が一緒ということで兄妹って理解してくれるだろうと思った。


彼女は黙って、生徒手帳を見つめたあと、写真とあたしを見比べた。

さっきまで掴んでた手も安心したのか離れ、とりあえず一定の距離を保って見つめあっていた。

疑いが晴れたと安心した。

だって刃物を向けられたことなどなかったから、まだドキドキしている。

キョウの元カノはあたしを見たあと、天使のような微笑みを向けた。

「私、日本語読めないでーす!」と言って、生徒手帳を地面にたたき付けた。

頭の中のしわがなくなったかと思った。


というより、そんな流暢な日本語で話すのに読めないんだ?

OLとかって日本語読めなくても出来るんだ?

いや、無理だよね? OLが嘘か? OLじゃない元カノか?

騙されたと思っても、言い返す時間もなかった。

彼女はまた果物ナイフを両手で持って、じりじりとあたしに詰めよってきた。

果物ナイフで死に切れるのかな。

痛いの嫌だし、どうすればいいんだろう。

あたしは、そのときなんの実感も無かったみたいで、サンタクロースがいるかいないか半信半疑でプレゼントを待つ子供みたいだった。

「刺したら死ぬ」と言ったら「やめてー」って感じだし「刺しても死なない」と言ったら「嘘だー」って感じだ。

それからハッと意識が戻って、腕をクロスにして守りの態勢に入る。

こんなんで守れるわけもないのに。

にじり寄られ、後退するしかない。すると何かの突起物にぶつかり、そのままドタンと尻餅をついてしまった。

やばい。ここでようやく焦った。

彼女が刃物を持った腕を振りおろそうとしたから。


怖くなり、目をつむった。

すると「あーちゃん!」と、聞き覚えのある声があたしを呼んだ。

目をあけると、外人さんもそれに反応したのか、腕を振り上げたまま静止していた。

その瞬間、彼女の背後からぬっと腕が忍び寄って、その首に腕が回った。

「ぐっ」

そのまま外人さんはぐったりとした。気絶したみたいに。

奥からヤマ兄の顔が見える。

彼は、ゆっくり彼女の身体を横たわらせてあたしを見ると

「これ、紹介された奴か?」

「………」

そんな訳ないでしょと言いたかったのに、口をパクパクするだけで声が出ない。

だって、怖かったのだ。


「あーちゃん、良かった!」

キョウがあたしに飛びつくとすごい勢いで抱きしめた。

だから、痛いんだってば!

「ごめんね。こんなことになるとは……」

キョウは言いながら倒れている外人さんに目を向ける。

「この人、キョウの元カノ……って言ってたけど」

「うん。ジェシー……まさか、こんなことをするなんて」

「大丈夫……なの……かの?」

あたしが心配した顔をすると、キョウは彼女に駆け寄ってしゃがんだ。

「大丈夫だって。気絶させただけだ」

ヤマ兄が冷静に言った。


「あたしが、キョウの浮気相手だと思ったみたいだけど……」

「マジで? ごめん、あーちゃんに迷惑かけた」

「……ていうか……どうしてここにいるのじゃ?」

ヤマ兄とキョウが何故ここにいるんだろう。

よく考えれば不思議だ。

「キョウがアサを追跡するってきかなかったんだよ」

「えっ?」

「学校からつけてたんだよ、あーちゃんのこと」

「ええっ?」

「お前、渋谷の駅を何周すればモヤイ像に辿りつけるんだよ?」

「えええ! もしや……あたしのデート現場もいたの?」

「うん、外から見守っていたよ」

得意気にキョウは笑った。


なんという辱め。

ふと、そこで重要なことを思い出した。

「あっ。紹介の人……灰高で……あの人、あたしをまた米俵にする気だったよね?

怖くて逃げてきたんだけど」

「いや、それはないだろ。つうか、お前、急に走り出すしさ。びっくりした」

「はっ?」

「紹介男にちゃんと謝っておけよ」

ヤマ兄があっさりそう言って、尻餅をついたままのあたしに手を差し伸べた。

その手を掴んで、立ち上がった。

「……また、助けて貰った」

「アサを助けるのは、今に始まったことじゃねーだろう」

ふっと笑った。

引き上げられたその手がどうしてだろう。ひどく懐かしく感じた。

そして、あたしはヤマ兄のことを、何か、とてもとても忘れてしまっている気がした。


その夜。ガラガラと引き戸を開ける。携帯を片手にベランダに出ると、ヤマ兄が自分の部屋のフローリングに腰かけたまま足を外に出し、空を見上げていた。

「ヤマ兄、隣いい?」

「いいけど」

隣に腰を下ろした。

「ちゃんと謝ったか?」

「紹介の人に? なんて言っていいかわからぬのだ。というか、なんであの人だったらあたしを米俵にしないと思ったの? 灰高の人なのに?」

「……お前、カマ知ってるだろ?」

「うぬ。知っておるぞ」

ヤマ兄のツンパ話をしてるなんて言えないけど。


「レンって男、カマの弟だ。だから信用するだろう」

「へー。そうなんだ。似てないね」

えっ? あのスキンヘッドのカマさんの弟?

「双子の弟だよ」

「……えっ?」

「だから、アサを紹介しても大丈夫だと思ったんだ」

「……ええええっ? 似てないし!」

「そりゃ、二卵性だしな」

「そうだけど! 違いすぎるよ! 骨格も顔も性格も! 性別も?」

「アサ、声でかい」

左耳を手で隠した。

「だって、驚いたでござるよ。知ってたの? それも?」

「ああ。鎌岡連って名前をメールで見て気づいてたよ」

「言ってよ! そしたらあんなご無礼はしなかったのに」

あの緊張感はなんだったというんだ。


「知らないほうが楽しいだろ?」

「楽しくない! あたしは灰高って名前だけで緊張しちゃうのに! じゃあ、あの5人組の人は?」

「あいつらも大丈夫だ。レンの連れみたいだし」

「もしかしてレンくんもあたしがヤマ兄の妹って知ってたの?」

「ああ。妹を宜しくって言っておいたし。普通に知り合いだからな」

だから、レンくんはヤマ兄の話をしたのかな。

「何それ……」

力が抜けてしまった。

「アサの早とちり」

「だって、そう思ってしまうのじゃ? はあー。あたしは、いつになったら恋が出来るのかな……」

「アサは、まだ早い」

「早くないよ! むしろ遅いよ!」

「早いって」


「つうかさ! そもそも、ヤマ兄が灰高のナンバー3だかなんだかに手を出さなければこんなことにならなかったんじゃないの? ヤマ兄に手を出す気のない高校だったのに手を出したから!」

「はっ? 俺が手を出した?」

「うん。そうなんでしょ?」

「俺が自分から喧嘩なんか売ると思うか?」

不機嫌そうに眉を中心に寄せ集めた。

「……違うの?」

「あっちから急に、殴りかかってきたんだよ。俺から手を出すはずないだろうが」

「そうなのかの?」

ヤマ兄が手を出したって聞いてたからそう思ってた。


「喧嘩はこりごりだ」と呟いた。

「あたしは、いつ自由の身になれるの?」

「んー」と言って、言葉を濁した。何か隠しているようにも思えた。

「ねえ。教えてよ!」

「今、考えてるとこ……なんかおかしいんだよな」

「おかしいって?」

「……なんでもねー。どっちにしろアサには男なんか出来ないからいいだろう。このままで」

「なぬっ?」

「寝るかな」

「うん」

「俺から、謝っておくよ。レンに」

「お願いします。恥ずかしくて顔を見せられないです。文字を送信するのも失礼かと思います」

「そう伝えておく」

「いや、そんなことは言わないでいいのじゃ。オブラートというものに丁寧に包んでお話くだされ」

携帯のディスプレイの光が落ちた。

目が合ったから、今夜もキスをして眠りについた。

新しい生活のリズムに慣れてきたはずなのに、胸がドキリと歌った。

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