11話 唇に消毒

そのままファミレスでご飯を食べた。さっきまでのことは誰も口に出さない。夢の中の話みたいにも思えた。

キョウはケラケラ笑ってあたしに話しかけるし、ヤマ兄は無言でハンバーグを食べてるし、タカ兄は女子と電話をし始めるし。

タカ兄はそのまま出掛けるらしく、3人だけ家の前に下ろされた。

急に3人になると、何故か無言になってしまう。夢から醒めたのかもしれない。さっきのことを意識しだした気がする。

そのままリビングに入って、おずおずとソファに座ると隣にキョウが座る。ヤマ兄も対面するソファに腰を下ろした。


「つうか、アサ」

ヤマ兄が言った。

「ん?」

「今日は、何曜日だ?」

「……日曜日?」

「俺、出掛けるなって言ったよな。この前も今朝も」

「……あああっ!!」

そう言えば、言ってた。日曜日は家を出るなって。今の今まで思い出さなかった。

「キョウにも言っておいたよな。アサを見はってろって」

「……うん」

そんなこと頼まれてたの? とキョウの顔を見ると、申し訳なさそうに俯いた。


だけど、そこを責めるのはおかしい気もする。

ヤマ兄に言われたことをまったく思い出さなかったあたしが悪いのだから。

「キョウ、悪くないじゃん」

「は?」

「あたしが悪いんだから、キョウを責めないでよ」

反論するとヤマ兄は黙ったまま、あたしを睨んだ。あたしも睨み返してしまう。

「ていうか、ヤマトが悪いんだろう!!」

今度は黙っていたキョウがあたしを庇うように怒鳴った。

「ヤマトが、あーちゃんを巻き込んだんだろうが!」


「あっ?」

「あーちゃんに怖い思いさせたのは、ヤマトだろうが!」

キョウがヤマ兄の胸倉を掴んだ。

「ヤマトが、狙われてるんだったら、今日家に居れば良かっただろうが。あーちゃんと一緒によ。それか、大人しくあいつらんとこ行けば良かったじゃねーかよ!」

キョウの声も顔もいつもと違う。

だって、さっきまで綺麗なへっぴり腰だったのに。お手本になる位だったのに。毅然としている。

「俺だって、そうしたかった。けどなっ……」

目の前で兄弟喧嘩勃発。

耳を塞ぎたくなってしまう。


「タカ兄」

思わず呟いてしまったのはこういう時にまとめてくれる彼の存在を今、欲してしまったわけであって。

そう思っても現れず、ごちゃごちゃごちゃと文句を言い合ってるわけであって。

「あーーーーーーっ! もう、うるさいっ!」

あたしが一喝して止めるしかなかった。

「もう、なんか良くわからないけど。あたしが、あたしが、悪いのじゃっ! 夕飯は作らぬっ! 切り捨て御免!」

ソファの上にあったクッションを2人にぶつけて、ドタドタと部屋へ駆けて行った。


なんだよ、もう。今日はなんだったんだろう。厄日だ。

ヨリ様に会いに行くはずが縛られて米俵になるし。

着ていたワンピースだって、汚れたし。

携帯を見たら、ルリカからメールと着信が届いていた。

『今日はどうだった? 会えた?』なんて訊かれてるけど、なんて答えればいいんだろう。

『事故にあいそうになり、行けなかった。あ、でも未遂だから元気。残念だったなぁ』

メールをして、ふて寝をかました。

なんか、疲れた。

身体痛いし。

ベッドの上に寝転がってしばらく目を閉じた。

コンコンとドアがノックされた。シカトしようかな。あたしはご立腹じゃ。

「あーちゃん?」

キョウか。なんか声が沈んでるな。

「何?」

ご立腹を中止すると、静かにドアが開いた。

「あーちゃん、怒ってる?」

眉をさげてこちらを伺うように覗き込む。

「2人が仲直りしたら怒ってないよ」

「仲直りしたよ」

「じゃあ、怒ってない」

「本当?」

犬みたいに、あたしが横になっているベッドに飛びついて来た。

「あー、良かった」

「大袈裟じゃ、キョウ殿」

「だって嫌われたかと。あーちゃん殿に」

「嫌いにならないのじゃ」

ごろりと身体を彼のいる方へ向けた。キョウはベッドの下で正座をして、あたしを見上げていた。

「あーちゃん、今日、何もされなかった?」

「……うん。話しただけだったよ」

「……本当に? 殴られてない? 何、話したの?」

「……うん。殴られてない。……んとね、ヤマ兄の話?」

「ヤマトの話? どんなの?」

「あんまり憶えてない」

「そう」

「ヤマ兄は?」

「どっか、出かけた」

「そっか……」

あたしは身体を起こした。

「キョウ、ご飯作るよ」

あたしが完璧に機嫌を直したと思ったのか、「やった」と阿波踊りでもしそうな位、はしゃぎ出した。


それからご飯も食べて、お風呂に入り、あとは眠るだけとなる。

いつもとかわらず、キョウと伊達正宗の続きを見て、お菓子を食べたけど。

すごく疲れた。

それにしても本当に身体が痛い。再びベッドに身体を預けた。

「むーっ」

ガラガラガラと音がした。ヤマ兄の部屋からだ。引き戸が引かれた音だと、少し遅れて気がつく。

あたしとヤマ兄の部屋からは同じベランダに出れる。2人の共有スペースだ。そう言っても狭いし、あまり出ることもないけど。

そう言えば、ヤマ兄には謝っていないな。ヤマ兄とキョウは仲直りしたみたいだし。声、かけてみようかな。

あたしも顔を出すとヘリにヤマ兄が座っており、音に気がついたのかあたしの方を見た。

「ヤマ兄……?」

呼びかけて、彼の横にあたしもしゃがみ込んだ。

「どうした?」

「ヤマ兄、今日、ごめんね」

「……んっ?」

「助けてくれてありがとう」

あたしが素直になったせいか、彼も小さく頷いたあと、

「ごめんな」と、呟いた。

「えっ?」

「巻きこんで、ごめん」

「……でも、何もされなかったよ?」

安心して貰う為に言ったのに、ヤマ兄は怪訝そうにあたしを見た。

そっとあたしの頬に触れると、鋭い目つきに変わる。

「何もされてないわけないだろうが」

「………」

「………」

「はぁぁぁぁぁぁ!」

見つめられて、思い出した。

あたし、キスした。

キスされた。

……兄妹以外のキスって、あの人、ミフネさんが初めてじゃない?

ていうことは、そうだ、これは間切れもなく〝ファーストキス〟。

ショックで口から泡を吹き出しそうだ。蟹もきっとこんな心情なのかもしれない。

あたしが目を白黒させてると、ヤマ兄の腕が伸びてきて、袖であたしの唇を拭い始めた。

「ヤマ兄、痛いよ」

「……バイ菌、繁殖して営み続けるんだろう?」

「……あい」

無言で、あたしの唇を拭き続ける。

バイ菌も恐いけど、手の力強さが痛い。怪我するか、水分が飛んで砂漠になってしまいそう。本気の除菌作業だ。

「もう大丈夫だよ。あとで、唇パックする」

「除菌もしとけ」

「うぬ」

「……あんなのキスのうちに入んねーからな」

「うぬ」

慰めてくれるのか、優しく呟いた。

それにしても、ひどい一日だった。ヤマ兄はあんなことが日常茶飯事なのかな。

身体一つじゃ足りないだろう。

「ねえ、ヤマ兄はいつも喧嘩ばっかしてるの?」

「ん……たまにな」

あたしは膝を抱えた。

「今日、会った人がね……赤髪の人。ミフネさんって言うみたいなんだけど」

「うん」

「なんかね、平定高校なんかに負けられないって言ってたよ。だからヤマ兄を倒したいんだって」

ヤマ兄は眉間にしわを寄せた。本当に嫌な時に彼はこんな顔を見せる。

だから、憂鬱に思っていることが伝わってくる。

「ヤマ兄がここら辺、一帯を占めた顔しているのも嫌らしいよ」

「そんな顔したことねーよ」

「そうなの?」

「そうだろ」

「喧嘩、強いのに?」

「俺は喧嘩なんか強くねーよ」

「嘘じゃ。強いって聞いておるぞ」

「デマだろ」

「それに喧嘩してるとこ見たし。この前。驚いたのじゃ」

「人違いだろ」

「ヤマ兄を間違えるわけがないのじゃ……というか、今日だって、なんかすごかったし。喧嘩慣れをしているというか……」

「あっそう」

「なので喧嘩強いんだよ」と、教えてあげたら、ますます顔が険しくなってしまった。

「強くねーよ。それに……」

「それに……?」

「喧嘩なんか、嫌いだっつうの」

昼間、すごい剣幕で、男子達を殴り倒していたヤマ兄を思い出す。

説得力0のお言葉。

そんな風にまったく見えないけど。生き甲斐にも見ようによっては見えると言うのに。

もうそんな話は興味はないのか、急に、「アサ。明日から学校、一緒行くぞ」と呟いた。

「えっ?」

「俺がお前をバイクで送る」

「なんで?」

「あぶねーだろうが。俺が守るから……ちゃんとあいつらとケリつけるから、安心しろ。落ち着いたらキョウとまた学校に行け」

「……うん」

ヤマ兄の言葉に頷くしかなった。

確かに、あたしの顔は彼らにばれているから、また襲ってくる可能性もあるし。

また、縛られるのも勘弁だ。

アサカ米にもアサカ虫にもなりたくない。セカンドキスだって奪われかねないし。

そう考えただけで、身の毛がよだった。

「つうか、お前さ」

「うん」

ヤマ兄は、あたしの顔をまじまじと見つめた。

「出かけ間際にキスするのやめろよ?」

「……へっ?」

急に話が飛んだ。

「俺ら、ガキでも外人でもないだろ」

「でも、うちの家族、みんなしてるじゃん? 今更?」

「してねーだろう? アサだけだろ?」

「………」

最近の玄関の出来事を回想してみた。

そういえば、ヤマ兄とタカ兄がキスとか、キョウとお母さんがキスしてるところを見てない。

「……あれ? みんな、なんでしてないの? あたし、みんなと毎日キスしてるよね?」

「知らねーよ。俺達は、小学校で終ってたぞ、あれ」

「なにっ? 勝手に一抜けしてたの? 信じらんない! 混ぜてよ。あたしだけ、のけもの?」

「じゃあ、明日からやめればいいだろ」

そう言われると「あーちゃん、行ってらっしゃい」とあたしに勢いよくキスをするキョウの姿が浮かんだ。

断ったら絶対、すねる。落ち込む。ぐれる。わるおデビューしてしまう。

ヤマ兄は、心の中が読めるのか「キョウか?」と呟いた。

「うぬ。キョウが寂しがりそうなのじゃ」

「まあな。でも、あいつのこと考えてやったら、突き放したほうがいいんじゃねーのか? アサ離れできないだろ。そんなんだと」

「うむむ」

確かに、彼の将来を思えば、あんなに甘ったれてちゃ、生きて行けないような気がする。

奥さんとか貰ってもすぐ愛想をつかされてしまうだろう。

「とりあえず、口はやめとけ」

そう言うと、あたしの唇をまたヤマ兄の服の袖で拭った。

「ぬぬぬ。最近、口でしておらぬ……」

「だっけか?」

「そうじゃ」

「そう」

「とりあえず、了解つかまつった」

「お前は、本当に影響されやすいな。時代劇、何見てんだ?」

「えーっとね、NHKで昔やってたドラマ。伊達正宗見てるよ」

「独眼竜かよ」

「そうそう。かっこいいよね……えっ?ていうか影響受けやすいの、あたし?」

「お前さ、昔、柔道やるって言ったのも俺が始めたからだろう?」

「そうかもしれぬ」

記憶の蓋を開けてみたら、柔道着を着てるヤマ兄が羨ましくて「アサもやる」って言った気がしてきた。

「プロレス好きになったのも、怖い話が好きなのも俺が見てたからだろう?」

そう言われれば、あたしは小さい頃、ヤマ兄にべったりだった気がする。

よく一緒に遊んでいたし、ヤマ兄が好きだと言っていたテレビは並んで観ていた。

ヤマ兄が面白いと言えば、小さい頃のあたしは興味を持つことが多かった気がする。

だから、習い事だって真似てやったりしてたんだっけ。

すっかり、忘れていた。

「まあミーハーだから、なんでも興味持つんだろうけどな」

クスッと笑った。

「ミーハーだって、いいのじゃ」

「いいけどさ」

「ふぬ。もう寝るよ」

「だな」

ちょっとふてくされて、立ちあがろうとすると、あたしの腕を引っ張った。

今度はなんだと、腰を下ろして、またヤマ兄を見た。

ヤマ兄の腕があたしの後頭部を押さえ引き寄せる

だから一瞬、ミフネさんが言ったことを思い出した。

ヤマ兄には異名があるらしい。

〝龍神〟とか〝大蛇〟とか。

こうやって、首の絞め技をされれば、3秒で落ちる。

だけど、あたしの首は閉まらず、ヤマ兄の唇があたしの唇に触れただけだった。

「はっ……」

「今日のやつ、消した」

唇が離れるとヤマ兄は言った。

「ああ、そっか」

びっくりして、棒読みで答える。

「……明日は、一緒に行くからな」

「……うん」

ヤマ兄の部屋の引き戸が先に閉まる。

あたしは、ヤマ兄に。

今日ミフネさんにされたキスはキスじゃないと言われたのに。

口にキスをするなと言われたのに。

意味がわからなくて、しばらく立ち尽くしてしまった。

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