10話 最悪のキス
「やめろ」
隣にいたあたしがビクッとしてしまった。低くすごみのある声がした。ミフネさんだった。
ヤマ兄を取り囲んでいた男子達も殴ろうとした手を止め、黙ってミフネさんを見つめた。
「何、ふざけたことやってんだよ」
ヤマ兄も負けじと低い威圧感のある声をだす。
緊迫した空気が流れる。
「……だって、来ないからさ」
あたしの腕を掴むミフネさんの手の力が強くなると、また朗々とした話口調に変わった。
それが逆に恐さを増す。この人のやり方なのだろうか。
「来たから、いいだろう。アサカを返せ。関係ねーだろうが」
「無理」
「あっ?」
「お前が来ないから、みんな帰っちゃったし。今日、もう用はねーよ」
みんな帰っちゃったしって、20人以上いたの? ヤマ兄をどうするつもりだったんだ。
「なに言ってんだよ。てめーは」
「もう帰っていいよ。俺は今から、アサカちゃんと楽しむから」
そう言うと、急にあたしに顔を向けた。
なんだ? と眉を寄せた瞬間に彼の手があたしの顎に触れた。
「へっ?」
一瞬だった。
ミフネさんの唇があたしの唇にぶつかった。ぷにっとした。
正面衝突? 交通事故? と、思いたかった。
だけど。これはキスだ。間違いなく、キスされた。
だって、唇と唇がぶつかった。赤の他人の男女の唇が。
これは……。
これは……。
人生、初めての赤の他人の男子とのキス……。
唇が離れたかと思うとミフネさんは「柔らかいね」と笑って言った。
小馬鹿にしたように。
ええと。ええと。
なんだこれは。
なにも言葉に出来ない。
身体が冷えたみたいに、震える。
雪山で遭難しているような気分かも。
ミフネさんはニコニコと、あたしに笑顔を向けているけど。
「何してんだよ」
ヤマ兄のひどい怒鳴り声で、我に返った。
「……ヤマ兄」
拳を振り上げて、向かおうとしたヤマ兄を後ろにいた男子2人が取り押さえた。
なんだ、これは。なんなんだ、これは。
体内にあるだろう、アサカ山が噴火5秒前だった。
なにごとじゃーっ!
と、あたしの中の半分の男の血が燃えたぎるのを感じた。
「成敗致す!」とあたしが叫ぶのと同時に、ヤマ兄の裏拳打ちが彼を取り押さえていた男子の顔面にぶつかっている。
何故か、ガラスが割れたがような音がしたかと思うと、「あーちゃん!」とあたしの名前が呼ばれた。
キョウの声だった。
音がしたほうを見ると、銀行強盗みたいな黒い覆面マスクを被った男がドアの前に立っていた。
口の回りは赤丸で囲まれてるみたいに見えるから、なんだかマヌケだ。
金属バットを両手に握りしめているけど、見事なへっぴり腰で全然強そうではない。
足元にはガラスの破片が散乱していて、近くの窓ガラスが割れていた。
「へっ?」
あれは、どう考えてもキョウだと思う。
だけど、なんでキョウもここにいるんだろう?
「う……裏口から参上! 謎の戦士、覆面ライダーマン!」と、へっぴり腰のまま叫んだ。
「なんなのじゃ」
そう呟くのがやっとだ。意味が分からない。きっと、ミフネさんもそうなのだろう。手の力がさっきよりも緩くなる。
「ぬああああぉぉーー!!」
鼻息荒い自称謎の戦士、覆面ライダーマンがバットを振り上げてあたし達に向かってきた。
それを見ながら腰を屈め、あたしは思いっきり、ミフネさんの右足の向こうずねを蹴った。
「つっ……」
覆面ライダーマンのバットが振りおろされた。
ミフネさんがそれを避けたせいか腕の力がさらに緩まる。
あたしはもう一度、蹴りをかました。逃れようと、腕を振り払う。
「あーちゃん殿!逃げるのじゃ!」
そう言って、あたしの腕を引っぱった。
ミフネさんは向こうずねキックが効いたのか、声にならない声を出して俯いている。
叫び声と殴る音が聞こえる。チラリと見るとヤマ兄が人を殴り倒している。プロレスの場外乱闘より迫力がある。
「あーちゃん、早く!」
「ヤマ兄は……?」
「いいの!」
覆面ライダーマンがあたしを引っ張る力が強すぎて、そのまま彼に着いて行くしかなかった。
細い裏道を走り抜ける。
本当に、ここはどこなんだろう。
後ろから、怖い顔の男子達が追ってくるし。逃げ切れるのだろうか。馬を出せと言いたくなる。
「待てごらっ!」
「殺すぞ!」
罵声が後ろから飛んでくる。
とりあえず、必死に逃げながらヤマ兄はどうなったんだろうと気になって仕方ない。
だけど、とりあえずはここを逃げ切らないとどうしようもない。
助けを呼ぶことが先かもしれない。
無我夢中でうねうねしたビルとビルの間を走り抜ける。
キョウが、青いポリバケツに蹴りを入れて倒した。あたしも、脇にあった自転車を手で押し倒す。小さな障害物を作りながら、野良猫を交わしながら、全力疾走だった。
大通りに抜けると、目の前に一台の黒のセダン車が止まっていた。
「早く乗れ」
窓が開いて、タカ兄の顔が見えた。
「えっ」と言う間もなく、身体が後部座席に押し込まれた。
車が走り出すと、覆面を外した。いつものほのぼのしたキョウの顔が現れた。
はぁはぁと息切れしている。
「……いやぁ。銀行強盗って、大変だね。アセモ出来ちゃうよ」
いや、そんなことよりも。
「……ヤマ、ヤマ兄は?」
呑気なキョウの服の襟元を掴んで揺すってしまう。
こんなこと言ってる間にヤマ兄はどうなってるの?
「あーちゃん。苦し……」
「苦しいじゃなくて、ヤマ兄は? 助けないの?」
「ヤマト、拾うよ」
あたしの興奮した声と対照的にタカ兄の冷静な声があたしを制した。
「へっ……?」
「拾う」
「だって! よかったね。あーちゃん」
キョウは目をキラキラして笑うから、宝石でも入ってるみたいだった。
なんだ、この3人の空気の差は。
タカ兄の言う通り、しばらく車を走らせたかと思うと急に停車した。
パタンと助手席のドアが開くと、ヤマ兄が乗り込んできた。
手にはあたしのバックまである。
少し殴られたような跡があるけど、血まみれでもないし。
どうやって逃げてきたんだ?
「予想通りだな」
タカ兄が言った。
「ああ」
「まじ高校生は面倒くせ―な」
鼻で笑った。
もしかしてここでヤマ兄を拾うって決まってたの?
肩の力が抜けると、あーちゃんタコみたいだねと、キョウが笑った。
「それにしてもさ。あーちゃんの携帯からわざわざ誘拐したって連絡くれるなんて親切な奴だったね」
「えっ? そうなの? さっき、ヤマ兄に用ないとか言ってたのに、思いきり呼び出してるんじゃん! ツンデレっていうやつかの?」
「そうかもしれないね」
ふむふむ頷くけど、とりあえずヤマ兄が無事で良かった。
「ヤヤヤヤーマン殿! お怪我はなきにしもあらずでございますか?」
安心したせいか、武士語とパトワ語と丁寧語がコラボした。
それなのに、
「ブス」
と、言った。
「……はっ?」
「ブス」
「……なんか、その回答違くないかの?」
「そうだよ。あーちゃんはちょっと目が離れてるけどまずまず可愛いよ!」
「キョウ殿、フォローになってないのじゃ!」
「えっ? 嘘? うまいこと言ったのに?」
あたしが怒ったせいか、車内の空気が淀んだ気がした。
だけど
「何、食う?」
「えっ?」
「昼飯」
タカ兄が何も無かったみたいにそう言うから、その空気が流れてしまった。
喧嘩に関わりたくないオーラが全面に出ていて、それを一瞬で悟るとみんな黙った。
なんだかんだタカ兄を怒らせるのが一番やっかいなのである。
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