9話 幼虫、脱走思案する

ミフネさんは、「また来るね」と家に遊びに来る位軽く言って出ていってしまったけど。

あーあ。あたしこれからどうなるのかな。

もうキョウとお菓子も食べれないし。

ヤマ兄にプロレス技かけれないし。

タカ兄からオラウ―扱いもされないのかな。

お母さんのお酒の匂いでさえ恋しいかもしれない。

ていうか、これはヤマ兄のせいか。ヤマ兄の呪いか。彼は不良だったのか。わるおだったのか。

せめてあたしの手を結ぶ紐をほどいてくれたらな。

そしたら、この足の紐をほどけるのにな。

チラリと上を見上げると窓がひとつある。

だけど、幼虫姿じゃどうにもこうにもだ。せめて、サナギになりたい。

考えあぐねた結果、やっぱり、ここは〝トイレ〟作戦しかないだろう。

トイレを行く振りからの、脱走しかない。

とか言いながら、さっきからの腹痛がなかなか治まらなかったりしているのだから、丁度良かったりするのだけど。

「トイレーーーー!」

お腹の底から声を出して叫んでみた。

演劇部の発声練習に混ざっても違和感はないだろう。

だけど。

……2分後。何もなし。

「漏れるのじゃーーーーーー!」

……3分後、何もなし。

「トイレトイレトイレイト…!」

持ち上げていた首を倒した。力つくってこういうことかな。

息だけあがる。

そう言えばバック何処だろう。携帯さえないし。誰にも電話で助けなんか呼べないし。

さようなら地球。さようなら家族。

小さい頃の思い出が何故か甦ってきた。

死ぬのかな。走馬灯というものかな。

ああそうだ。小学校のとき、柔道習ってたな。2、3ヶ月でやめたっけな。続けてたら良かった。

そしたら、拉致られなかったかもしれないのに。

今日、拉致られると分かってたらな。護身術でも習ってたのにな。死ぬ間際は後悔しか残らないのかもしれない。

「無念じゃ……」

ならせめて最後は、未練のない言葉で強がろうか。

「ヤマ兄の馬鹿……」

呟いたら脱力感に襲われた。


でもやっぱり、せめて最後ならこれを言いたい。というか、トイレに本気で行きたい。

「トイレーーー!」

その瞬間、ドアが開いた。

だけど、入って来た人はミフネさんではなかった。

あたしを拉致った大男だ。何も言わずにあたしを肩に担いで行った。

「あの。こんな姿でトイレですか?」

「……黙れ」

「……あの、ミフネさんはどちらですか?」

「……黙れ」

黙れしか言葉を知らない人みたいに返答する。

「あの方がリーダーですか?」

「違う」

そこだけちゃんと返事をしてくれたけど、あの人はリーダーじゃないのか。

偉そうだったのに。

ドンッと身体を床に下ろされると、目の前にトイレのドアがあった。

足と手の紐をほどかれて、無理矢理立たされたかと思うと、背中を押され、中につっこまれた。

ドアが不機嫌だと言う様に勢いよく閉められてしまう。

個室の洋式のトイレには、見上げてみても小窓しかなくてどう考えても出られるわけがない。

そこから外を見ると、地面がだいぶ下にあるのが確認出来た。今いる場所は2階くらいかもしれない。

周りは暗くて古いビルしか見えないしここと同様、陰気臭い。

とりあえずトイレでもしようかな。何か名案が浮かぶかもしれない。

「大変です!奴が来ました!」


外が急に慌しくなる。ドタドタと足音もするし、声も荒々しい。慌てふためいてるといった感じだ。

「なんだと?」

誰が来たんだ? 奴って一体?


「相模っ!」

まさかのヤマ兄の登場なのかな。

駆け出したい気分。でも、トイレは急には止まらない。

……もしかして、あたしを助けに来たということかな? 奇跡の生還?

そう考えたら、お腹の痛みがすうっと治まった。緊張していたのかもしれない。

トイレの水を流して、しばし息を潜めた。

ここであたしが出て行っても足でまといだよね?

トイレに隠れていれば迷惑にはならないはず。よくある人質の命が欲しければ降伏しろ的なことも、あたしがここにいれば言えないはずだし。


だけど何人いるんだろう。この中に……。

ヤマ兄は一人なのかな。大丈夫なのかな。

ドンドンとドアをノックされた。ドアが破れてしまいそうだ。

「おい、早くしろやっ! 出てこいや!」

「すみません……お腹が痛くてでれましぇんのじゃ」

「ふざけんじゃねーぞ。女!」

「いや……手術したばかりの盲腸が痛みだしたかと思えば、昔の古傷も、うずきだしてしまい……どうにもこうにも出れる状況では」

ふざけてない。こっちだって、どう逃げようか真剣だというのに。

「早く、出てこいやっ!」

さっき出したばかりだというのにちびってしまいそうな、脅し声だった。

お腹がまた、しくしく痛むのが情けない。

ガチャガチャとドアノブを回しているのか音がする。無理矢理、こじ開ける気なのか?


ドアがメチャクチャに壊されたなんてこともなく、あっさりと開いた。

驚いて声も出さずに見つめるとミフネさんが「アサカちゃん、行こっか」とあたしに言った。

「えっ?」

左手には何故か10円玉がある。それを笑いながら見せつけた。

その手ねー……じゃなくて、外から10円玉で開けられたんだ。

「それで開けたんですか…」と質問する前にあたしの腕を引っ張って行く。

「ちょっ、ちょ……」

「良かったね、お迎え来たよ」

「ヤマ兄ですか?」

「そう」

「一人ですか?」

「みたいだね」

「……あの。こちら側は何人いるんですか?」

「今日は…20人くらいかな」

「それって、俗にいう卑怯ということじゃないのですかの?」

「……さあ、どうだろうね」

どういう意味なんだ、それは。トントンと階段を下りて行く。ここは何処なんだろう本当に。

「ここは廃墟ですか?」

「廃墟だったらトイレ出来ないでしょ」

「そっか」

納得すると、階段を下り終えていて、目の前には広い殺風景なコンクリートの壁が全面に広がる。

バイクが何台か止められたりしていて、奥に見える半分開けられたシャッターから外の光が入ってくる。


足元を少し照らす。

目が慣れて、ようやくここはガレージだと気がついた。

というより、ヤマ兄がいることにも気がついた。

というより、すごい勢いで数人の男子がヤマ兄に飛びかかっていた。

それを交わしながら、拳を相手の顔や腹に次々と食らわして行く。

その気迫と熱気に、言葉が出なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る