29話 あたしが悪いんだ 

助手席に座ると、タカ兄は小さく尋ねた。

「どこまで行くんだ?」

「………」

あたしの整理しきれてない頭では説明出来るわけもなく、さっき教えて貰った場所のメモを無言で託した。

それ以前に、電車なら、辿り着けなかったに違いない。タカ兄がいてくれて、良かった。

車は、夜の車道を走り出す。曇って、月は見えなかった。

タカ兄は、黙ってた。あたしも、黙ってた。

そのまま静かに車は停まった。

「着いたぞ。ここら辺だろ。行けるか?」

「う……うぬ」

「一緒に行くか?」

「だだ大丈夫なのじゃ……それよりタカ兄、もしかしたら…帰りも送って貰ってもいい? 友達も一緒に」

「いいよ。ここにいるから」と優しい話し方に心の中に灯りが灯るような温かさを感じた。

「連絡する、ね?」

「ああ。気をつけろよ。なにかあったらすぐ連絡しろ」

さっきまで「コーヒー淹れろ」だったのに、急に優しくなるなんていつもそうでいてよなんて、悪態を心の中でついてから、ありがとうと感謝した。

携帯の着信履歴からルリカに電話をした。

緊張感が高まると同時に、「冗談だよ」って彼女が笑ってくれればいのにと願った。

だって、嘘がいい。嘘をついてくれればいい。

そこに、サヤコがいたりして、隣で笑って、嘘だよって。

こんな時でも、そんなことを願う。

信じたくない。そうじゃないのがいい。

「ルリカ? 着いたよ?」

「……ごめんね」

「今、どこなの?」

「どっか入ろうかと思ったんだけど……お店入れなくて…動けなくて……」

「うん」

「コンビニ見える?」

「うん」

「そこから……」

ルリカの声に従って、裏道に入った。迷いそうになったけど、どうにか見つけられた。

廃墟のビルの割れたガラスから、覗きこんだ。

「アサカ……」

「……ルリカ?」

薄暗いビルの床に座り込んでいた、彼女。

月が見えなくて、良かった。

光が差し込まなくて良かった。

あたしに抱き付いてきた彼女は、今まで見たこともない程、傷だらけで、シャツだって汚れてて、顔がくしゃくしゃだった。

涙で。

今日の昼間、照れながら膨れてたのに。

ヤマ兄にどんなメールをするか悩んでたのに。

やっと恋が出来たと言っていたのに。

あんなに笑ってたのに。


「ルリカ、恐かったよね?」

抱きしめながら、言った。

彼女の湿った温度があたしの薄手のコートを通り越して、肌にも伝わってくる。

「……アサ……カ……あたし、もう……」

「うん……」

「……もう……」

言葉をまた詰まらす。あたしは、本当だったんだって落胆した。

だけど、それを悟られないようにしたかった。

ルリカをこれ以上、落ち込ませたくないんだ。

「ルリカ……聞いてもいい?」

「んっ……」

「誰に……されたの?」

「わかんない」

「そっか。そうだよね」

大きく頷いた。彼女の身体が小刻みに震えだす。

さっきまでの出来事を思い出してしまったのかもしれない。

「……でも……学ラン着てた…高校生だったと思う」

「学ラン? あとは?」

「3人だった」

「どういう人?」

「……お……ぼえて……ない」

「そっか。そうだよね……」

「……彼女かって言われた」

「えっ?」

「……相模大和の彼女かって……言われた……驚いて、急に……現れたから……前に……人が……」

「……うん」

「だから……何も言わなかったの……したら……急に口塞がれて……引き摺りこまれて……抵抗したんだけど……したんだよ?……抵抗したの……あたし、抵抗したんだよ?」

ルリカが声をあらげて泣いた。あたしを抱きしめる手に力が込められた。

悔しいというように。

「うん……知ってる……知ってるよ」

「されてないから」

「え?」

「されてないから。抵抗したから、されてないから……ね」

「されてない?」

「信じてくれない…よね」

そう言った顔があまりに悲しげだから、嘘なんてないと思った。

「ううん。信じるから」

「言わないで……アサカ、言わないで……ね……」

「えっ?」

「誰にも言わないで……ヤマト先輩にも言わないで……お願いだから、言わないで」

「でも、警察に……」

「言えない」

「ルリ……」

「言えない……」

力なく視線を床に落とした。

「でも、このまま泣き寝入りって」

「誰にも言えないよ……こんなこと」

「うん、わかった」

あたしの着ていたコートを彼女の肩にかけた。

擦りむいた足に絆創膏を貼って、汚れた顔をハンカチで拭いて、最低限の応急処置をした。

着ている制服だって、汚れをはたいて。

「あのね……お兄ちゃんにここまで送ってもらったの。このまま車で家まで送るよ。電車より安全だし。あっ、いちばん上のタカ兄だし……言わないから……大丈夫だから」

コクリと頷いて、一緒に暗い道を手を繋いで歩いた。

「……ヤマト先輩の彼女だと、こんなことされるのかな?」

「えっ?」

「だって、そう聞かれたんだよ? ヤマト先輩の彼女って誰かに恨まれてるの?……なんでなんだろう。あたし、彼女でもないのに……」

あたしの頭に、もしかしてと言葉が浮かんだ。

この前も浮かんで、外れたばかりだというのに、この予感は当たっている気がしてしまう。

「ねえ、学ランって黒だった?」

「うん……たぶん黒だったんじゃないかな」

「不良みたいな感じ? 髪……赤かった?」

「金髪みたいな人はいたけど…あとは……恐くて見れなかった」

「そっか。そうだよね。ごめん」

「来てくれて……ありがとね」

「そんなこと言わないでよ」

だって、自分の無力さに悲しくなるだけだから。

手放してしまった風船を見送る子供みたいだ。

見送って、小さくなる風船が、どこまでいくのかもわからず、見えるまで見送る。

手を伸ばして、ジャンプしてもがいて、何も出来ない。

自分が無力だとわかった瞬間。

大好きな友達にまで感じてしまうことを、こんな形で知りたくなかった。


タカ兄は後部座席に乗ったルリカを見ても何も言うこともなくて、安心した。

家の前で彼女を降ろして、扉の前まで着いて行った。

「大丈夫?」って、聞いた。

言いながら、なんて飾りのない言葉を言ってしまったんだろうと後悔した。

「……うん」

だから、ルリカに気を遣わせて「うん」と言わせてしまった。

「……おやすみ」

「うん。ありがと。おやすみ」

ルリカに気を遣わせて、また笑わせてしまった。


帰りの車内はあたしはおしゃべりだった。

「腹が減ったぞな」

「家で食え」

「嫌じゃ。コンビニにちこう寄れ」

「俺は行きたくない。帰る」

そんな調子であたしの提案は、ことごとく全部却下された。

それでも、タカ兄と話をしたかった。気を紛らわしたかった。

だって、考え事をすると直面する。

家の駐車場に車を停めると、長い旅から戻ってきた気分になった。

「ふほほ。ようやく我が家か。ありがと、タカ兄殿」

「んっ」

「助かったぞな」

笑いながら、フロントガラスの奥に見えた赤い車を見つめて言った。タカ兄の顔を見てお礼を言えなかったから。

「アサカ」

「……んっ?」

前を見てたあたしの頭を掴んで蛇口をひねるように、運転席のタカ兄の方へ向けさせた。

「……小鼻、膨らんでる」

「はっ?」

「泣けば?」

「……なんで?」

「クソガキ」

「……クソガキひゃないもん」

「ゴリラ」

「……んな名前じゃなひもん」

タカ兄の冷静な切れ長の目にあたしは心の裏側まで見据えられた気がした。

「オランウータンジュニア。ブサイク顔、見て笑いたいから泣け」

「ばっかじゃない……の……こんな言葉で……誰も……」

こんな小学生レベルなあだ名なんかで高校生は泣かないよ。

「あと、アサカの飯はまずいなー。豚のエサ。昨日食べた、あれも最悪だったな」

「……なか……な……」

四文字の言葉でさえ、言い切れなかった。涙が邪魔だったから。

目と口は繋がってるんだと思った。

ルリカが言ったの、受話器越しで。

『襲われた』って。

嘘だったら、嘘だったらいいって何度も思った。

でも、本当だった。

サヤコもいなくて、制服だって乱れて痛々しくて。

ひどいことされたって、わかってしまう。


ルリカが襲われたのは、あたしの所為だと思った。

だって、ルリカを襲ったのは、黒い学ランの高校生。

光灰高校だ。

ミフネさんはヤマ兄を目の敵にしてた。

〝もうちょっとしたらヤマ兄を襲う〟とも言った。

そして、自分のことを卑怯と認めた。


ミフネさんと偶然会った日、あたしは、ヤマ兄にルリカを送らせた。

それを見て、ルリカが彼女だと思ってしまったのかな。

今まで掴めなかった、〝相模大和の彼女〟だと思ってしまったのかな

ルリカが灰高の男に襲われた。

それが始まったってことなのだろうか。


涙はすぐ尽き果てた。

体内は3分の2が水分らしい。

たぶん、あたしはそれより少ないのかもしれない。

だから涙の量は少ないのかもしれない。

そんな気がしていたのに、

「……タカ兄には明日夕飯はなしじゃ」

泣き終えて、笑いながら言ったら

「いらねー」

ふっと鼻で笑う。

頭の上に手を乗せたまま、タカ兄の頬とあたしの頬が吸いつくみたいに触れ合った。また涙が零れた。

「タカ……にぃ……」

泣き終わるまでタカ兄は何も言わなかった。

ルリカ、ごめん。

あたしの所為だ。

だって、あたしがルリカになっててもおかしくなかったから。

涙を出しても出しても、あたしの中身は重くなっていくだけだった。

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