6話 一緒にお風呂

放課後。

キョウは彼女とデートの予定があるから、ひとりで駅に向かっていた時だった。

お馬さまのエンブレムがついた黒のセダン車が校門の前に止まった。

「お前、帰りか?」

運転席の窓が開くと、タカ兄が乗っていた。

「うん。タカ兄は?」

「帰り。乗ってけ」

促されるまま助手席に乗り込むと、「こんにちは」と後部座席からけだるい声がした。

驚いて振り返ると見知らぬ女子が乗っていた。

ふんわり巻かれた髪に清潔感のある感じの子。顔も小さくてモデルのような美人だった。

「ど……どうも」

「んじゃ、行くぞ」と、表情も変えずにタカ兄は車を発進させた。

はて。あたしは助手席でいいのだろうか。この女子は彼女なのかな。疑問が湧いて仕方ない。

タカ兄は付き合ったら長いし一途らしい。

だけど付き合っていない時はここぞとばかり遊ぶらしい。

キョウが言ってた。

確か、前に付き合ってた子とは高3の冬くらいに、別れた。

あたしは会ったことがないけど。

この子は、どっちなんだろう。

あたしが助手席ということは本命っぽくないのかな。

なんと声をかけていいか分からず、タヌキ寝入りをかましてみた。妹も大変だ。


そのまま3人でマンションへ帰る。

エレベーターの中、腕に絡もうとする女子の手をうざったそうに振り払う、タカ兄。

その子の顔さえ見ていない。

なぜかあたしが、ドキドキハラハラしてしまう。

なんか可哀そうに思えてくる。ひどい男だ。女子の敵に違いない。

だけど、タカ兄の部屋に入る瞬間に女子の肩に手を回した。

優しいのか、優しくないのか、よくわかんないし彼女の横顔もまた嬉しそうに見えた。


あたし達の家は、5LDKのマンションの角部屋。

玄関を開けて手前にあたしとヤマ兄の部屋が隣あって並ぶ。

それから、L字の廊下を右に進むと、タカ兄とキョウの部屋が並んでいる。

廊下の先にあるドアを開けると、リビングとダイニングキッチン。リビングの隣にはお母さんの部屋だ。

なんでも死んだお父さんの保険金がたくさん入ったからそれで返済が楽になったわとお母さんが何故か自慢してきた。

そう言えば、お父さんのこともあたしはよく知らない。

お母さんに訊くと何故かいつも笑って言葉を濁されるからだ。

あたしが産まれた直後に死んだとは聞いた。

仏壇もあるし、写真もある。

目鼻立ちがくっきりとしていて優しそうな顔をしている。

だけどこの人も、あたしとは他人なんだ。

それだけは、ちょっと寂しい。きっと想い出がないからだろうけど、本当に他人なんだなと思ってしまうんだ。


ベッドに思いきりダイビングした。

タカ兄はきっと甘い時間を過ごしているし。

キョウはニートの彼女の家に遊びに行ってるし。

ヤマ兄はまだ帰ってないし。

暇だ。暇だ。暇だ。

あたしって、キョウがいないとすることもないのかな。

あっ、違う。ご飯作らないと。

そういえばヤマ兄は最近、夜、家にいないことが多い。

何してるんだろう。

こうしてタカ兄やキョウには彼女がいる気配を感じたことがあるけど、ヤマ兄の彼女って一度も見たことがない。

もしかして、いちばん秘密主義なのかもしれない。


「あーちゃん、ご飯でござる」

体を揺すられて目を覚ました。目を開けると、キョウがあたしに馬乗りになっていた。

彼のくりくりした目があたしを見つめる。寝ていたのか。

「あれ……? 何時?」

「もう20時だよ」

「20時でござるかっ?」

しまった。ご飯を作ろうと思ってたのに。一生の不覚。睡魔の誘惑に負けてしまった。

「ピザ頼んだから」

ベッドから下りて、彼は微笑んだ。

「そっか……」


すごすごとリビングに行くとヤマ兄がピザを頬張っていた。

「ブス」

あたしの顔を見るなり言った。寝起きでむくんでそうだけどストレートすぎる。

「ハゲ……」

なんの八つ当たりでしょうか。とりあえず、あたしが思いつく中でいちばんひどい言葉を言って返す。

ヤマ兄はたまにあたしにブスと言う。

そのまま、むっつりしていると携帯が鳴動した。

「ああ」と、ヤマ兄が電話に出ると立ち上がる。しばし相槌を単調に打つ。

「……わかった」

低いドスのきいた声がしたと思ったら、部屋を出ていった。


「ねえ。ヤマ兄っていつも何してるの?」

ピザを取ろうとしたキョウの手が、ピタリと止まった。

「……何してんだろうね? 俺もわかんなーい。あっ、今日、あーちゃんの好きな怖いテレビやるみたいだよ」

「見る」

即答した。

キョウもあまり知らないのかな。そんなことを思いながら、まったりと過ごしていた数時間後……。

「きゃあーーーー!!」という悲鳴が、リビングにこだました。

「怖い怖い怖い……」と、あたしの服の裾をつまんで身を屈めるキョウ。

「キョウ……まだ怖い話ダメだったんじゃな」

テレビに出演している怯える子供たちよりもでかい声を出している。

手で目を覆うけど、指の隙間から見てるし……。

見たくないのとどっちなんでしょうか。

うるさくてあたしは怖いよりも苛立ちが大きくなる。

集中して観たいのに。

「もう! 自分の部屋に戻るのじゃ!」

「ひ……一人は無理っす」

文化系の彼が体育会系の口調で答える程、動揺している。


キョウは怖い話にトラウマがあるらしい。

なんでも小学校低学年の時に、心霊特番を見た夜。

一人で眠っていると長い廊下を歩いてる夢を見たらしい。

ずっと真っ直ぐ歩き続けると、何かが真正面から近付いてきて。

それがだんだん、人だとわかって。

どんな顔かわかって。

耐えきれずそこで目を覚ますと、落ち武者みたいな血だらけのおっさんが馬乗りになって見下ろしていたらしい。

頭に刺さる槍を抜いたあと前振り関係なしに、キスを迫られて失禁間近だったと語っていた。

それから怖い話が大嫌いになったそうだ。

よって怖い話やホラー映画をちら見しただけで一人で寝れないあげく、一人でお風呂怖いに繋がったわけであって。だからか、「幽霊怖い」の日には、小6くらいまではあたしとお風呂に入っていた。

やっぱりキョウはヘタレくんなんだとその時も思った。


「あーちゃん。風呂入れない」

「まじか?」

高2で一緒に風呂入るのはな、とさすがに躊躇った。

だってキョウ、身長伸びたから浴漕が狭そうで嫌だ。

手足を伸ばしてゆっくり半身浴がしたいし。

「キョウ、明日入るって言うのはどう?」

「……今日、入りたい」

我儘言いやがってこの野郎と、ちょっと思った。


「じゃあ、幽霊でないか監視しててあげるよ風呂の外で」

名案だと思ったのに、

「中に出るかもしれない! 落ち武者が!」と、キョウは涙目で訴える。

「死なないよ、きっと」

「俺、死んだらどうするの? 落ち武者とゴールインしてあの世に行きたくない!」

「むむむ……わかったのじゃ」

しぶしぶ承諾すると安心したように笑う。あたしがお姉ちゃんみたいだなと思った。


2人で腰をあげて、脱衣所へ向かった。

キョウがあがったらもう一回入り直すことにしよう。

キョウが上に着てたロンTやTシャツを勢いよく脱ぎ出すと、彼の上半身があらわになった。

引き締まってるけど、華奢だな。あたしのほうががっちりしてるかも。

男の身体か……。ルリカが見ただけであたしが固まると言ったけど、キョウの裸じゃ、やっぱり説得力がない。

ドキドキとかするのかな。好きな人だと。

「あーちゃん……もしや、俺のこと狙ってる?」

あたしがまじまじと見てしまったせいか、両手で胸の辺りを隠して言った。

「お主は、女子かっ」

そう突っ込んで、服を脱いでキャミソールになる。さっさとあがらせよう。まったく世話が焼けるなぁと溜め息がでそうだった。


急に背中を包み込むように抱きしめられた。

「嫌だなぁ。あーちゃん。俺、女の子に見えるの?」と、笑った。

「だって、反応が女子みたい」

「嘘? ていうか、あーちゃんのここ、柔らかくて気持ちいいね」

ぷにぷにとお腹を楽しそうに触る。太った? と、言いながら。

「太っておらぬのじゃ」

「こんなにあーちゃんって触り心地、ようござりましたか?」

「変わらぬのじゃ」

確かにキョウとゴロゴロ寝そべりながら、お菓子ばかり食べて過ごしているのだから、太ってしまっても仕方ない。

けど、同じ生活をしてるキョウに太ったなんて言われたくなかったのだ。

「キョウだって、太ったよ」と、言い返した。

「どこが?」

「んー。お腹?」

「嘘。お腹? あーちゃん殿、気づかなかった」

「むむ。今まで内緒にしてたから、致し方あるまい」

「あーちゃん、どうしょう」

きつくあたしを抱きしめてから、そっと向きあった。またギュッと抱きしめられる。

「ダイエットしかないな」

「ダ……ダイエット?」

と驚いた顔をしてから、あたしの手をキョウのお腹に誘導する。

「あーちゃん、脂肪吸い取ってよ」

「す……吸い取る?」

って、あたしにそんなハンドパワーがあるわけないし、しかも悔しくて太ったと言っただけで、全然無駄な脂肪なんてついていない。

「無理」

「無理なの?」

「無理ったら、無理。どうやったら、吸引なんかできるのじゃ?」

笑ったのか、耳元にキョウの息がかかる。

「じゃああーちゃん、こうして?」と、あたしの手首を掴み誘導する。

えっ? と、思った瞬間、話し声が聞こえてきてキョウの動きも止まった。

誰か帰ってきたのかな。

ドアを開けて廊下を見ると、なぜかタカ兄とヤマ兄、2人の姿があった。

一緒に帰ってきたのだろうか。

「あれ……? お帰り?」

「ただいま」とぶっきらぼうにヤマ兄は言った。

よく見ると唇の端が切れているようで、赤くなっておりぎょっとした。

あたしの視線に気が付いたのか、ヤマ兄は軽くそこを指で触れる。


「どうしたの?」

駆け寄ると、キョウもドアから覗きこむように顔を出した。

「お帰りちゃーん」

「……つうか、お前ら何やってんだ?」

タカ兄が眉間にしわを寄せ、キョウの顔を見つめる。

「あっ、キョウがね、怖いテレビ観て一人で風呂入れないって言うから、一緒に入ろうと思ってたのじゃ」

そう言うと、タカ兄は微笑した。

なぜか後ろから、キョウのひいっという悲鳴を殺した声が聞こえる。


「じゃあ、キョウ。一緒に風呂入るぞ」

タカ兄は言う。

「えー! 狭いし、きもいし、地獄!」

「オラウ―と入るお前もキモい」

ドアを必死に閉めようとするキョウの抵抗も虚しく、タカ兄は脱衣所に入り込むとドアが閉まった。

よし、一人バスタイムを確保出来た。

キョウには悪いけどにんまりしてしまう。

そこで廊下に残されたヤマ兄と目が合った。

やっぱり、なんか痛そう。

「ヤーマン、消毒しよっか?」

「大丈夫だよ」

「何言ってんの? そこから何万個のバイ菌が繁殖して、営みを続けると思ってるの? 危ないよ!」

あたしの顔を黙って見たあと、「つうか、上着ろ」と言って横を素通りされた。


救急箱を取り出して、ソファの上に2人で座る。しみるのか「いてて……」と声を漏らした。

「どうしたの、これ?」

「なんでもねー」

「なんでもなくないでしょ?」

「あれだ。重い荷物を持ったばあさんがいたから、手伝おうと思って、ばあさんごと運んだら転倒した」

「まっさか。そしたら、ヤーマンよりおばあちゃんが心配だけど」

「ピンピンして帰った」

何故かあたしには、口を割らない。やっぱり秘密主義。

「つうか。ヤーマンって呼ぶなよ」

「ダメ? ノーマンにする?」

「マしかあってねーよ」と、軽く笑った。


「ヤマちゃんはどう?」

「芸人か?」

「うぬ。ブサイク芸人じゃ」

クスクス笑うと、ヤマ兄があたしをずっと見つめていた。

ブサイクという言葉に引っかかったのだろうか。

喧嘩が強いらしいと言う噂を聞いた。

ここら辺じゃナンバーワンだって。怒って殴られたら……。

頭の中で、この態勢からかけられそうなプロレス技を思案した。

とりあえず、「とうっ」とチョップをしてみたら、あっさりあたしの手首をギュッと掴んで止めた。

その反動で自然に身体がヤマ兄の胸に倒れこんでしまう。

歯を食いしばった。何をされるんだ。

変な緊張感が漂う中。

「アサ……」

予想を裏切る彼の落ち着いた声がした。

彼の腕は、あたしの背中にしっかり回っていて、抱きしめられていた。

「はい?」

沈黙が落ちると

「あーちゃん、もう限界!」

リビングのドアが開くと、キョウが大きな声をあげながらボクサーパンツひとつで参上した。

「何、あの江戸ッ子ぶり! まじで信じられないよ! あんな熱いお風呂、3分でゆでダコだよ! もう絶対、タカイチと風呂なんか入らない!」

あたしとヤマ兄はその勢いにおされて、きょとんとキョウを見つめていたんだと思う。

「身体赤いよ。キョウ」

本当にタコみたいで笑った。ヤマ兄もあぐらをかいて、呆れた顔をしている。

「幽霊、いなくなっただろ」と背後から登場したタカ兄に驚いて、キョウが悲鳴をあげたのは言うまでもなく。


ただあたしは、なんとなく眠る前に、あたしの名前を呼んだヤマ兄の顔を思い出して不思議な気分になった。

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