第十二話
ヴィズドムィの話を聞き終え、私は二人に簡単なコーヒーを淹れた。ふと、気になった事を質問してみた。
「どうして要人BとCの呼び方を途中から変えたんだ」
するとヴィズドムィ、笑いながら答えた。
「最初、どうしても名前が思い出せなくてよ。話している途中で二人が名前を呼び合っている場面があったろ、それでパッと思い出したんだ」差し出されたものを受け取ると、まだ熱いそれに啄むように口を付けた。
「アストリッド女史は今どうしているんだ?」ブルガーコフも差し出されたコーヒーをやや自分寄りに置いてヴィズドムィに訊ねた。
「一件の後、アスティとレイラは一年くらい保護拘禁されて結婚できる国に移住したよ。警視正も暗殺業も辞めて、煩わしい考えや手続きとは無縁の平和な国に。生きてりゃ多分今も楽しくやってるさ。もう婆さんになってるだろうけどな」
「そうか、もうそんな昔の……」
カップに口を付ける直前、ブルガーコフがそのように呟いた。咄嗟に視線を向け彼を制し、気付いた彼は繕うようにはにかみながら次の質問を繰り出した。
「どうして彼女たちはレゾンスキーの企みに気付いたんだ。話を聞く限りそんな素振りを全く見せなかった」
「ありゃ、何でだろうなあ。そういやおれもわかんねえや」
ヴィズドムィはそう言い、コーヒーを誤って余分に啜ってしまい、「あちち」と慌ててカップを置いた。
「いやな、言い出しっぺがこんなん言うのもあんだが。おれの知らないとこで何か事が動いてて、全部知ろうなんってのあもう無理だろ。爺さんあの時死んじまったし、アスティもレイラも時間が経ちゃ忘れる事くらいある。ましておれなんて、あの
私はヴィズドムィの言葉に、彼自身の物語の中にあった言葉を思い出した。〈
「アル・ネリみたいだ」
「何だそりゃ」
私の意図しない呟きにヴィズドムィが反応した。代わりにブルガーコフが答える。
「美味しいところを持っていく名脇役ってとこか」
脇役であるが故に物語の多くは知り得ない。ヴィズドムィの語った物語の主人公は彼以外の三者になるのだろう。凄絶な最後を遂げたアルカジイ・レゾンスキー、両国の混乱期にあって二人だけの愛を求め続けたレイラ・パノーヴァとアストリッド女史。確かに知り得ているなら誰かに語りたくなってしまう過去だろう。例えその最後が、幸福な幕引きか煮え切らない終幕かに関わらず。
ヴィズドムィの話を聞いている間、私はふと不可解な感情に行き当たっていた。それはどこかで見聞きした事のあるような話だった。引っ掛かりを覚えるような、覚えていなければと思うようなものだった。しかし私はヴィズドムィの語る物語の殆どを知識としても知らなければ、身に覚えた話でも無かった。であれば胸に波風を立てるこの感情は一体何なのか。
私は互いに語り合うヴィズドムィとブルガーコフを見た。見られている事などお構い無しに談笑に耽る彼らは、私と違い酷く楽しげで、先程の物語を聞いて何らの心配も生じなかったようだ。それはそれで良しと思うのも内心異議無いが、ブルガーコフは先程の物語、違和感の一切を感じ得なかったのだろうか。
私は飲み干されていた空のカップを二つ、二人が気付かないように下げ合成洗剤を泡立てて洗った。
しかし、私の中のわだかまりはそれでも消える事は無かった。
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