第16話 井戸端ファッションショー 早朝編 一回目

 ボタンを縫い付けた細い布と、ボタンホールを縫った布のセット。


 ロバートさんがボタンを木材から造ってくれて、そして、コゼットさんがボタンを付けるのを手伝ってくれた。


 あとは、このセットを王都で販売をしていくだけだ。


 ファスナーだけを製造して売っている会社があったけれど、それと同じようなものだ。ボタンとボタンホールの付いた布だけを売る。


 王都のほとんどの人が、チェニックのようなものを着ている。理由は単純で、ボタンが発明されていないから、貫頭衣しか服がないからだ。


 頭から被るしか服を着るすべがないのだ。


 ボタン付きの服によって、服の着方に選択肢が生まれるし、きっと需要があるはずだ。


 だからまずは、ボタン付きの服って便利だよ、ってことを王都に広めなければならない。


 きっと、ボタン付きの服の良さは、この世界の人にも分かって貰えると思う。


 

 まずは、ボタンがこの世界にはいままでなかったのだから、ボタンが便利なものだと知ってもらわなければ、売れない。



 ボタン服の認知度を上げる。



 それならば……


 行くべき場所はただ一つ。井戸だ。


 このスラム街でもっとも情報が集まり、そしてその情報が拡散していく場所。もとの世界で言えば放送局とか、情報の発信地でもあり、情報の受信地でもある場所。


 それは、井戸端だ。


 早朝。私は桶を持って井戸へと出かける。いつものチュニックにカーディガンという組み合わせだ。


 カーディガンはもちろんボタン付きである。


 私の来ているボタン付きカーディガンに誰かが興味を持ってくれたら、アピール成功だ!


 朝から井戸には多くの人たちが水を汲みに来ていた。アピールのしがいがあるといおうものだ。


 名付けて、井戸端ファッションショー作戦だ!



 だけど……井戸組みを待っている人たちは、みんな眉をひそめていた。


 井戸の周囲を糞尿で汚染しないようにしてからスラム街の多くの人たちが健康に過ごしている。


 だが、王都の反対側のスラム街では、流行病が発生していて、多くの人が倒れ、命を落としているらしい。下痢が止まらず苦しんだ挙げ句、弱り果てて死ぬ病。


 そんな噂話がされている。


 聞いた限り、ドットさんの症状と同じだ。


 私たちの住んでいる西側に、その病気に罹患している人は、いまのところいないそうだ。


 もしかしたら、ドットさんの病気の感染は井戸水経由であったのかもしれない。


 そうであれば、東側の人たちも同じように井戸周りを綺麗にするような習慣が出来れば、予防できるかもしれない。


「私たちは、聖女様の慈しみが注がれているからねぇ」


 一人の婦人が明るい声でそう言った。


 みんなの顔が明るくなった。


「そうよね。聖女様のおかげで井戸の水汲みも楽になったし」


「私たちは、聖女様のお言いつけ通りに井戸の周りを綺麗にしているし」


 聖女様が守ってくださる。その信頼は揺るぎないらしい。


「あんたもそう思うだろう?」


 一人くらい顔のままの私に、また別の人が話を振ってきた。


 否定できる雰囲気ではなかった。


「そうですね」


 私も作り笑いで答える。衛生面を改善して予防率は高くなっているだろう。それに、抵抗力が弱っている身体に汚染された水を飲ませたら、別の感染症に罹患する可能性も高い。


 予防が上手く行っているだけで、それも万全ではない。手洗いうがいの習慣もなく、石鹸などもなく、シャワーを浴びる機会なんてない世界だ。感染のリスクは元の世界よりも極めて高い。


 それに……治療法をしらない私は、罹患したら治療はできない。


 みんなが言っている聖女……それが私のことだったら、私には神がかっているような力も、加護もない……。


 井戸に集まって水汲みしている人たちの明るい笑顔が、明るい未来が……期待が……私の心に重くのしかかってくる。




 なんだか……王宮みたいだ……


 ・


 ・


 ・


「聖女様、神託はまだありませんか?」

「いいえ」

「聖女様、今日も神託はないのですか?」

「はい……すみません……」




「聖女よ。神託はありましたか?」


「お久しぶりです……えっと……すみません。神託は……あ、ありません……」


「そうですか。では、私は政務がありますので」


「あっ。お待ちください……」


「ん? 何ですか? 神託があったのですか?」


「お忙しいのは分かっていますが……ちょうどハーブティーもできたところですので……」


「では一杯だけ……ん? 不味いですね。」


「申し訳ありません……」


「大丈夫ですよ。聖女の仕事は、ハーブティーを淹れることではなく、神託を受けることですから」


「はい……分かっています……」



 ・


 ・


 ・


 恐い…………。


「どうしたんだい。ソフィーちゃん。なんだか顔色悪いけど?」


「あっ。えっと……大丈夫です! でも、ちょっと気分が悪いので失礼します」



 私はコゼットさんの家に逃げ帰ってしまった。


 恐い。恐いのだ。


 神託なんてなければ良かった。元の世界の知識なんて持って生まれてこなければよかった。


 そうすれば平凡な地方貴族の娘として、きっとそれなりに幸せに生きていただろう。

 


 また、西のスラム街で病気が流行すれば、きっと聖女の奇跡を求めるだろう。だけど、私にはそんな奇跡をおこすことなんてできないのだ。



「ソフィー、帰り早いな! って、水汲んでないじゃないか! 桶が空じゃないか! またサボりなのか!」


「うん……サボっちゃった……」


「そうなのか。まぁ、いつもソフィーはサボっているからな! しょうがないな。俺が水汲み行ってきてやるよ!」


「ありがとう……」


 私はギュッとセト君を抱きしめる。


「私も行ってこようかね。最近、身体動かしてないから鈍ってしかたがないよ」


 コゼットさんもそう言ってくれた。私は涙が止まらなかった。

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