第5話 お掃除と看病

 「おやおや、水汲みだけでいいのに、意外と働き者なんだねぇ」


 コゼットさんはバラックの、ボロボロの椅子に座っていた。四脚のうち、一個が折れていて、一脚のところは積んだ石によって支えられていた。ぐらぐらして座りにくそうだった。


「はい。バラックを少し掃除しようと思います」


 まずは、病人が寝ている部屋の掃除だ。



 病人は三人。意外と三人って少ないんだなぁと思った。もっと病気の人が多いイメージだった。



 セト君の言っていたロバートさん。

 高熱で苦しんでいるようだ。額には汗の粒が付いている。素人の私は、これがなんの病気なのか分からない。インフルエンザによる高熱かも知れないし、ペストであるのかもしれない。

 ペストだったら感染の危険性がある。元の世界では、中世にペストが大流行していたということは知っているが、ペストがどんな症状なのか、私には分からない。




 ロバートさんの横に寝かされているのは、ビットさんという男性だ。肩幅が大きくがっちりとした体格であるという印象である。 


 症状は、下痢だ。ベッドの間から滝のように下痢が流れている。桶の三分の一くらいまで汚物が溜まっている。


 食中毒だろうか? 分からない。ノロウイルスとかだったら、治療法はない? だけど、これだけ下痢をしていたら、水を沢山飲まないと脱水症状の危険があるように思う。たぶん……。




 最後の一人はレベッカさんという女性だった。レベッカさんは、痛みで呻き声を上げている。体中が痛いらしい。全身が痛くて、寝返りをすることもできないらしい。レベッカさんだけは、お医者様の診断を受けたらしい。どうやら、全身の骨が脆くなって、骨折、もしくはひびが入っているらしい。肋骨などは、咳をしたことにより折れまくっていると、セト君が説明してくれた。そして、治療法がないとお医者様もサジを投げたようである。



 どれも、なんの病気か分からないし。私がやれることは、この部屋を清潔に保つことだ。



 やらないよりはマシ、ということだ。汚れきったシーツにはノミやシラミだらけ、床の糞尿、カビだって生えている。


 私の感覚からすると、こんな非衛生的な環境に病人を寝かせて、病人を殺す気ですか! なのだけど、よく考えてみると健康な人も同じ環境に住んでいる。ベッドに寝かされている分だけ、好待遇ということだろう。



 衛生的であること。


 その利点が分からない、というより発見されていないのだろう。


 野戦病院での死亡率の高さから、衛生という概念を発見したのは、従軍看護婦だったナイチンゲールだ。女性であったし、伝記もあるほどの有名人だった。クリミア戦争への従軍であったから、前の世界では1854年頃だろう。

 伝記シリーズは、男性の伝記が多い中、女性が主人公の伝記としてひときわ図書館で輝いていた。女子の誰もが白衣の天使、看護婦に憧れるのは、この人の影響かもしれない。


 衛生という概念が発見されたのは前の世界でも二百年前だ。この世界でその概念が発見されるのは数百年後かもしれない。だけど、私がいますぐ出来ることだ。


 実際、セト君は手洗いすらしていない。汚れた手でそのままパンを手で取ってかじっているし……。



 私が出来ることは……掃除あるのみ!




「セト君、水をじゃんじゃん汲んできて! このタライを水で一杯にして。あっ、その前にセト君、これ使って」


 私は比較的綺麗そうな布をセト君の口元にあてて頭の後ろで結んだ。マスクの代わりである。コゼットさんにも付けてもらった。


「なんだよ、息がしずらいじゃないか」


 セト君はいやがって、直ぐにマスクを外してしまった。


「これをつけると健康でいられるんだよ」


「嘘つけ! 息ができないと死ぬんだぞ!」


 たしかに……そうなんだけど……


「呼吸がしづらいねぇ」とコゼットさんも外してしまった。


 コゼットさんからも不評だった……。マスクは鼻や口を覆う。極めて原始的な方法だけど、元の世界でもバリバリの現役の予防法だ。

 鼻や口からの感染を防ぎ、また、人に感染を移さない。インフルエンザウイルス流行時の、元の世界のマスク着用率を、セト君やコゼットさんに見せてあげたいくらいだ。



 呼吸がしにくい……。それに反論できるような材料が私にはない。目に見えない細菌とかウィルスが存在していて〜それによって〜なんて説明しても、頭がおかしいと言われて、最悪、コゼットさんの家から追い出されるかもしれない。



 マスクは今後の課題にしよう。私が着用して健康であれば有用性を示せるかもしれない。



 掃除を始める。



 床の汚物は、水で流しつつ、シャクで桶へと汲んで、野外の城壁の壁あたりに捨てる。外に捨てるのも本当は問題なんだけど、とりあえずは、病人の寝ている部屋だけでも衛生的にするべきだ。


 シーツは洗う。随分とすり減った洗濯板だけど、もみ洗いよりは効果的だろう。ゴシゴシゴシ。洗ったあと、かまどで熱しておいた熱湯を掛けて少し待つ。


 壁などは水で流して、ボロ布でゴシゴシと拭く。ベッドも汚れを拭き取る。


 一日中掃除を続け、多少マシになった。病人が寝ている五畳ほどの部屋は、そこそこ綺麗になった。理想は、殺菌とかしたいのだけど、アルコールとかがない。


 あとは……。



「これからこの部屋に入るときは、手を洗い、靴の汚れを落としてから入ってください」


 そういって、部屋の入口の前に、タライを用意して井戸水を入れておく。


 次の課題は、できるだけ衛生的な環境を保つということだ。


「なんでだよ、面倒くさいだろ!」


 たしかに面倒くさい。だけど、私は反論を用意しておいた。


「せっかく掃除したんだから、綺麗にしておきたいでしょ? 汚れた靴で部屋にはいったらまた汚れちゃうでしょ?」


「うっ」


「コゼットさんもいいですか?」


「分かったよ。そのかわり、その水はあんたが汲んでくるんだよ」


 入口で手洗い足洗いをする水をちゃんと私が汲んでおけば協力してくれるらしい。



 これでよし。


 あとは……看病だ。


 治療法が分かればいいのだけど、分からない。


 ビットさんの下痢は続いている。


 煮沸した水を飲ませる、ということしか私にはできない。



 食事は、お粥ならぬ小麦粥だ。煮込んだ。パンより消化に良いと思う。塩を少し加えた。正直、美味しくないけど、病人の人たちも食べないことには元気にならない。



「白湯です」


 ぬるま湯を急須のようなもので口元へと持っていく。


「あっ、ありがとう」


 ビットさんは飲んだそばから、それがあっという間に下痢となって出る。


「水を飲ませるとダメなんだぞ」


 セト君が口を尖らせて言う。


 たしかに、水を飲ませるとそれだけ下痢が出る。だけど、一番注意しないといけないのは脱水症状だ。


 私がやっていることは治療とは真逆のことのようにセト君には見えているのかもしれない。そもそも私がやっているのが治療なのかすら私には分からない。


「お願い……セト君。信じて……また水を汲んできて、沸かして」


 誠心誠意、セト君にお願いすることしか私にはできない。



 ロバートさんは高熱だ。


 額に置いた濡れた布があっという間に温くなる。

 驚くべき事に、高熱が出たときに額に濡れぬのを置く、ということをコゼットさんもセト君も知らないようだった。熱を冷ますシートとかが発明されていないのは仕方ないけど、氷枕とかはありそうだったが、その発想はないらしい。



 ロバートさんは体温計がないから分からないけど、四十度とかを超えた熱が出ているかもしれない。ロバートさんはこの症状が一週間続いているそうだ。年齢は私と同じくらいだし、もともと体力がある人なのだろう。聞けば、元気なときは大工をやっていたそうだ。


 頭を冷やしつつ、汗で濡れた体を拭く。


「ありがとう……楽になった気がする」


「それは良かったです」


 ロバートさんはすごい汗だ。ロバートさんと何かのウィルスか細菌が体の中で戦っているのだろう。




 レベッカさんに関しては、何をすればよいのか全く分からない。小麦粥を飲ませて、動けないので横たわったまま排泄された糞尿を取り去り綺麗にしておくことくらいしか思い付かない。体を動かそうとしたらレベッカさんは痛みで呻き声をあげる。呼吸をするだけでも胸が痛いらしい。




 とにかく、あとは、根気との勝負だ。看病を続けて行くしかない。


 私の知識でやれるだけのことはやった。


 看病を続けつつ、あと私に出来ることは……祈ることだろうか?


 それ以外に何かできることはあるだろうか?


 ロバートさんもビットさんも、脱水症状であるなら、点滴が有効かも知れない。生理食塩水の点滴……いや、針がどこにある。生理食塩水ってどうやって作る? というか、ド素人の私がそんなことをしたら、治療どころか殺してしまうかもしれない。


 漢方薬のように、植物から薬を作る? いや、薬になる植物の見分け方も、作り方もしらないし。作れるのは生姜湯くらいだ……。それに、生姜もない。


 今の私にあとできることは、本当に、祈ることだけだった。

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