何処かの教会 敬虔なる咎人
何処かで
幼い声が、野原に転がる。楽しげに転がる声は、降り注ぐ陽射しに暖かく照らされる。
そして、その中の一人が、小さな手に花を握って駆け寄ってくる。
「せんせー、これあげるー」
「ああ、有難う」
手渡された小さな白い花を受け取り、優しく微笑む女が、子供の頭を撫でる。その優しい手に、子供は目を細め、嬉しげに笑みを溢す。
「せんせー、今日はお歌、歌わないの?」
「ああ、少し待ってなさい」
女はゆっくりと立ち上がると、近くに置いてあった弦楽器を持ち、近くにあった切り株に座り、膝に楽器を乗せた。
「さあ、皆。歌の時間だよ」
弦を弾く旋律に乗せて、子供達の歌声が野原に響いていく。音階も何も無い歌だが、それでも楽しく音を奏でている。
「あ! 神父様だ!」
子供の一人が、野原に近付く人影を見付けて声を上げた。黒いキャソックに身を包んだ長身、穏やかな微笑みを湛えた表情の壮年の男が、気軽な様子で片手を上げていた。
「やあ、調子はどうだい?」
「お陰様で、病気一つ無いよ」
「それはよかった」
鍔の広い帽子を脱ぎ、額に浮かんでいた汗を拭う。今日は陽射しもよく、教会からここに来るには、少し急な坂を登らねばならない。汗ばむには十分な条件が揃っている。
「神父様、今日はどうしたの?」
「ああ、シスターからたまには運動しなさいと、言われてしまってね。ははは、ここまで来るのでクタクタだよ」
「あはは、神父様ダメダメだー」
「ははは」
神父が力無く笑い、流れてきた鈍い汗を拭う。子供は無邪気故に、その言葉に容赦は無い。
僅かに肩を落としていると、女が弦を弾いた。
「神父様、何か話があるのでは?」
「おっと、すまないね。さあ、皆。向こうで遊んで来なさい」
「えー」
「ごめんね。神父様と少し難しいお話をしないといけないの」
少し離れ、二人は遊ぶ子供達を見ながら、話を進める。
「最近、周囲の村に野盗が出ているらしい」
「また?」
「なんでも、王国の騎士団でも敵わず、捕らえきれなかったとか」
「召喚勇者……、いや、転生勇者かな?」
「分からない。だが、注意はしていてくれ」
帽子を被り直し、神父が女を見詰める。そう長い付き合いではないが、この女の性格と実力はよく解っている。
「国の騎士団が敵わないなら、召喚にしろ転生にしろ、碌な奴じゃないな」
「そうだな」
並の連中なら、この女の敵ではない。隣の大陸から流れてきた女、この女が来てから町は変わった。
貧しかった町に、何故か行商人や寄付金が流れ込み、その行商人達を呼び水に、小さな町には余りある利権が舞い込んできた。
そして、女は身寄りを無くした子供達の為に、孤児院を開いた。
「〝アサヒナ〟、子供達を頼みます」
「ああ、いいよ」
そう言うと、アサヒナは神父に背を向け、子供達の遊ぶ野原に足を進めた。
「せんせー、お話おわったの?」
「そうだよ。さ、皆。もうすぐお昼だ。帰ろう」
「はーい」
優しく微笑む姿は、まさしく慈母の様だと、去り際に神父は思った。だが、あの慈母の顔の下にあるものは、そんな優しいものではないと、同時に理解もしている。
「せんせー、今日のお昼はー?」
「今日はなんと、たっぷりベーコンシチューよ」
「やったー!」
――罪滅ぼしだよ
アサヒナが嘗て呟いた言葉。孤児院を開いた理由を問い、返ってきた答えが、その言葉だった。
彼女に何があったのか、神父は知らない。だが、子供達が言うには、寝言で〝ヤマシナ〟なる人物に謝っていたらしい。他にも誰かに謝っていたらしいが、聞き取れた名前はその一人だけだったようだ。
興味が無いとは言い切れない。だが、神父は神に仕える者であり、神の御名の元に告解を聞き入れ、罪を許す者だ。
だから、アサヒナが自らの罪を告白するなら、神父は黙ってそれを聞き入れる。
「神よ、かの敬虔なる咎人に、どうか救いを……」
神父は神に祈り、教会のある町に向けて、長い坂道を進んだ。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
結局、誰も彼もが理解出来ていなかったのだろう。この世界に生きるという事を、それが意味する事を、本質を理解出来ていなかった。
奪えば奪われる。自業自得、それをただ知っているだけで、理解出来たのは奪われた後。もしかすると、あの〝拳豪〟と呼ばれていた喧嘩屋は、解っていたのかもしれない。
「せんせー、どうしたの?」
「ん? 明日のご飯は何にしようかなって、考えていたのよ」
「あはは、せんせー食いしん坊だ」
「そうね」
あの痩せた女の手引きで、この大陸に移り住んで早くも半年近く経った。向こうはどうなっているのだろうか。
夜も更け、女は子供達を寝かし付けた後、全員が眠った事を確認してから、孤児院の外に出る。見上げれば、雲一つ無い夜空と、青白い光を放つ月があった。
こんな月夜に、野盗は出ないだろう。ああいった連中は、少しでも己の姿を隠したがる。
「…………」
無言で首飾りを触る。嘗て、愛する人から贈られたそれは、服の中で体温を吸い、僅かに温かさを感じさせた。
二本の極細の鎖を二重に捻る様に巻き、その鎖に二つの指輪を通したそれは、月明かりを鈍く照り返していた。
「ごめん……、ごめんよ……!」
謝って許される訳がない。だが、今となってはそれしか出来ない。
あの日、己は我が身と愛する人の為に、学友だった者を裏切った。だが結局、守ろうとした人は奪われ、己には裏切り者の烙印だけが残った。
奪えば奪われる。正にその通りだった。
あの日、是が非でも、例え国に逆らう事になってでも、彼女を見捨てず、あの二人と共に奔走していれば、若しくは愛する人を拐って逃げていたら、もしかしたら何か変わったのかもしれない。
踞り涙を流し続ける女を、青い月だけが見ていた。
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