竜胆さん
「いよぅ、ジョナサン。遊びに行こうぜ」
長く鋭い八重歯を堂々と、濃い隈に縁取られた瞳を爛々と輝かせ、白のスーツ姿でコートを肩に掛けた竜胆が、娼館に現れた。
「リンドウ様、なにするの?」
「町に出て、ショッピングと洒落こもうぜぃ」
「うん、いいよ」
何故かユラユラ左右に揺れながら、竜胆はジョナサンの手を取り、娼館を後にする。
「フフン、ジョナサンはかわいいなぁ」
「どうしたの?」
「何でもないよ。さあ、キリキリ歩けい、ジョナサン。ほら、イッチニイッチニ」
ジョナサンの手を引いて、竜胆は妖しい笑みを湛えて町を行く。長い黒い髪を靡かせて、竜胆は原型の残らない鼻唄を、更に崩して囀ずる。
「さて、ジョナサン。君に一つ教えてあげよう」
「なに? リンドウ様」
「君の様な見目麗しい年端のない少年を、私達の業界に於ける専門用語でショタと呼ぶのだが、これにはある絶対条件が付属するのであーる」
やけに気取った口調で、竜胆は長い人差し指を立てる。ジョナサンが目の前に立てられた指と、ニヤニヤと口の端を吊り上げる竜胆を、キョトンと見ている。
「?」
「フフン、それはだね、ジョナサン。非常に簡単な話なのだよ」
竜胆はそう言うが、ジョナサンにはとんと分からない。竜胆の話は、未修学のジョナサンには難しく、竜胆はそれを理解しているのか、ジョナサンが考える様を楽しむ様な素振りもある。
ジョナサンもジョナサンで、それが嫌いではない。竜胆は難しい話をするが、必ず最後には答えをくれる。
「分からないよ、リンドウ様」
「もう、ちゃんと考えたかジョナサン君? ま、いいや。答えは、半ズボンだ……!」
堂々とした宣言に、町行く人々が何事かと振り返る。だが、白のスーツの女を見ると、皆一様に顔の向きを元に戻した。
竜胆も竜胆で、それを十分に理解していて、それらを気にする事無く話を続けていく。
「いいか、ジョナサン。君の様な実にかわいらしいショタと、必ずセットに語られるべきは半ズボン。そして君達の年代だけが持つ、あどけなくも僅かに垣間見える逞しさが入り交じり、しかし二次性徴の兆しの見えない生足! これを十全に生かす事が出来る衣服、それが半ズボンだ」
「そうなんだ。すごいね?」
「そうだろうそうだろう」
ふと己の姿を見てみると、娼館から渡された綿のシャツと長ズボン。竜胆の言う半ズボンとは違う。
そう思い、顔を上げれば、何時の間にやら店があった。
「フフン、さてジョナサン。ショッピングと行こうじゃないか」
きらびやかに光輝くショーウインドウ、魔法を用いた照明の中に佇むマネキンと、様々な衣服。薄暗く、日の光も満足に差さない、古ぼけた角灯の灯りだけしかない。
そんな世界に生きるジョナサンには、その世界は眩しすぎた。
「…………」
「気にするな。この店は私のだ」
最近、服飾業界にも手を出した竜胆。
主流派に煙たがれ、多数派に排斥され燻っていたデザイナーや、雇い主からの条件を飲めずに解雇された者達、食い詰めた役者を中心に雇用し、竜胆の潤沢な資金とコネクションを駆使して、他には無い新たなブランドを立ち上げた。
集めに集めた人材、向き不向きもあるが、それでも人の発想という武器は、人の数だけ存在する。
「この前、雇った奴が私の同士でな。いや、実に良い出来だ」
竜胆が手にしたのは、上下一揃えのパーカーとカーゴタイプの半ズボン。制作者が同じなのか、兎の様なマークが刺繍されている。
「うむ、膝を出して幼さを主張しつつ、布地とデザインで、背伸びした武骨さを醸し出す。……素晴らしい……!」
「これ、着るの?」
「ん? 気に入らない?」
「ちがうよ。僕には高すぎるよ……」
ジョナサンが身に纏う物は、安い綿の服と決まっている。安く使い捨てられる、破かれようが汚されようが、すぐに次が用意される物。
だから、竜胆が持つ服は受け取れない。受け取っても、きっとすぐにダメになってしまう。己と竜胆は違う世界に生きている。
「はっ、まさかそんな事か」
「そんな事って?」
俯くジョナサンに、竜胆は笑みを向けた。長く鋭い八重歯を見せた笑みは強く、否応なく見る者を引き寄せる。
ジョナサンから見た竜胆は、そうなのだ。戦えばジョナサンよりも遥かに弱い。しかし、竜胆の本領は武力ではなく、その口から発される言葉と仕草だ。
「いいか、ジョナサン? 君は私の〝お気に入り〟だ」
そっと、耳元で囁く様に呟く。それが擽ったくて、ジョナサンが身を捩れば、竜胆は彼を抱き寄せる。
「いいか、君は私のものだ。今はまだ、そんな所に居るが、今だけだ。すぐに私の側に来る」
誰にもやるものか。
すぐに振りほどける抱擁、だがジョナサンはされるがままに、竜胆の腕の中に収まる。
「フフン、まあ待ってな。連中がぐうの音も出ねえ金積み上げてやる」
薄い布越しに感じる骨と皮ばかりの体。ジョナサンを買いに来る人間とは違う、生きているのか死んでいるのか、その灰色の境界線を漂う様にして、竜胆は生きている。
竜胆が積み上げる金に、善悪があるのか。少し前に、竜胆と同じ召喚勇者が、そんな事を竜胆に問い詰めていた。
それに竜胆は、
「金に善悪の概念があるのか? じゃあ、お前の懐の金はどうなんだ?」
ニムラだかカナヤだか言っていたが、その二人はそれで黙った。
竜胆が使う金に善悪は無い。だから、竜胆はどちらでもない灰色の境界線を歩く。
別の日には、カナシロと言った《ハウンド》の召喚勇者が、相棒である狼の毛繕いをしながら、そう言っていた。狼の毛並みは凄く軟らかかったからよく覚えている。
「だから、ジョナサンは私の言う事を聞かなきゃダメ」
「なんでも?」
「ん~、こう、ジョナサンみたいなカワイイ子になんでもと言われると、クルものがあるね。……なんでも聞いてくれる?」
覗き込んでくる表情は、何処か寂しそうで、今にも壊れて消えてしまいそうで、ジョナサンは思わずその頬に手を伸ばした。
長い黒髪、痩けた頬、強い瞳は僅かに潤んでいた。
「……ゴメンね?」
「いいよ」
「有難う、何度でも慣れないや」
深く抱き寄せる腕に身を任せれば、額に僅かに濡れる感触がある。
「……リンドウ様、悲しいの?」
「うん、私達もう半分になっちゃった……」
そう呟く声は震えていて、体は少しだけ震えていた。
もし、僕の頭が良かったら、この人の涙を止められたのかな。
僕は頭が悪いから分からないよ。
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