ビタービーンズラプソディー
さて、何がどうしてこうなったのか。
麻野は正面に倒れ伏す鶏ガラを見ながら、顎に手を当てて考えた。
周囲には銀色のボウルとヘラ、中には濃いブラウンのペーストが良い艶を出している。そして、その横には黒いブロック状の物が並べられたトレイがあり、一つ減っていた。
「謎のペースト、減ったブロック状の物、倒れ伏す鶏ガラ。……これは、迷宮入りだ」
しかし、それはそれとして、麻野は嗅ぎ慣れた匂いのするブロック状の物を、口に放り込んだ。
遠くない昔に慣れ親しんだ味、砂糖、ミルク、油脂の甘さと独特の芳しい香り、そして口内を容赦なく蹂躙する苦味。
「うぬっ……」
叉焼が倒れた。
手は鶏ガラと同じく、何かを求めてさまよい、キッチンのテーブルを探る。
そして、液体が入っているであろう、冷たい入れ物を掴むと、両者一息に煽った。
何はともかく、早く口に残る劇物を何とかしなくては、色々とマズイ。
二人は其々に、湯煎用のぬるま湯、材料であるミルクを煽って、口を濯ぐ様にしてから飲み込んだ。
そして一言
「なんだこれは……!!」
若干回らぬ舌で叫ぶ様にして言った。
これが一体何なのか、二人には解るには解る。だが、その事実を認めたくはなかった。
「え、なにこれ? なにこれ?」
「いや、いやいや、これはなんだ、オイ?」
トレイには四角いブロックがきちんと並べられ、二人に見慣れた姿を晒している。
四角い甘い香りを醸し出す物体、つまりはチョコレートだ。
「何で、こんな苦いのよ」
「いや、待て待て。記憶にあるレシピ通りに作ったし、何ならカカオは減らしたぞ」
「ならなんで、こんな苦いのよ。味見した?」
「した。そのペースト、固める前のやつ」
竜胆が指差すボウルの中身を、指先に乗せて舌先に触れさせれば、確かに慣れ親しんだチョコレートの味がする。
だが、固めた完成品は苦い。そこで竜胆が何かしたのではないかと見るが、それならばこの鶏ガラが倒れ伏していた理由が解らないと、ボウルを脇に抱えて叉焼は考えた。
「謎だ」
「おう叉焼、そのボウル離せや」
ボウルを掴む鶏ガラ、意地でも離さぬ叉焼。
ボウルの形が少し変わり始めた時、一人の来訪者が現れた。
「何をやってるの?」
山科だ。ラフなジーンズとシャツ姿で竜胆の屋敷を訪れた山科は、抱えた紙袋をテーブルに置くと、改めて二人に向き直る。
「え? 何?」
「山科、早く、この叉焼からチョコレートを引き剥がせ! 叉焼がチョコレート味になっちまう……!」
「んだと、この鶏ガラぁ……!」
「うっせえ! 私が漸く仕入れたカカオから作ったんだぞ! 高かったんだよ!」
「……因みに幾らくらい?」
「…………㎏で金貨三百」
「竜胆、馬鹿なの?」
山科の素直な言葉が、竜胆に突き刺さった。金貨三百枚と言えば、中流家庭の平均年収に当たる。
この鶏ガラは、有り余る財力に物言わせて、この世界では希少品であはあるが、そのぼったくり値段でカカオを買ったという。
「い、いや、だってよ、チョコレート食いたくね? この世界、チョコレートクリームはあっても、本チョコレート無いじゃん」
「あ~、うん。それは確かにね」
ボウルにスプーンを突っ込み、中身を貪る叉焼が言えば、山科もそれに続いてスプーンを突っ込む。
こちらは確かにチョコレートだ。ただ固まっていないだけで、味は確かにチョコレートなのだ。
そこでふと、首を傾げた山科がトレイに並んだチョコレートを手に取った。
言い争う二人を他所に、こっちを食べればいいのにと、そのブロックを口に放り込んだ。
「…………」
山科が止まった。
「し、椎名?」
「おい、ヤベエぞ。山科、無理すんな」
「椎名? ちょっ! 椎名?!」
「にがい……」
山科の小さな目から涙が落ちた。予想外の苦味に、驚いて流しただろう涙は、二人を動揺させるには十分過ぎた。
「山科山科、ほら、ペッて、ペッしな!」
「ほら椎名、牛乳、牛乳飲んで!」
「にがいぃ……」
牛乳を飲ませ、少し落ち着いたところでクリームを口に含ませる。
まだ少し涙目の山科を、椅子に座らせて、麻野は竜胆を見る。
「竜胆、なんでいきなりチョコレートなのよ?」
「ん? ああ、新しい貿易路の開拓。東の山脈、トライゼン山脈を越えた場所に、カカオの群生地があってな。利益になりそうだったから」
「やってみたらぼられたと」
「まあなぁ」
軽く笑う鶏ガラ。しかし、目が笑っていなかった。
チョコレートクリームを乗せたスプーンを、山科の口に入れながら、叉焼は心の中で手を合わせた。
──この鶏ガラ相手にぼったくり、御愁傷様──
次があるなら、絶対とんでもない条件を突き付けてから、少しマシに見える条件という釣り針を仕込んでる。
というより、貿易路の開拓と言っていたから、絶対仕込んでる。
この鶏ガラはそういう鶏ガラだ。煮込んでも灰汁しか出さない癖に、莫大な利益を生む金の鶏ガラ。
元の世界でも、割りと悪どい事をして稼いでいたらしい。
その善悪の基準が、常人より曖昧な奴が、法律と価値観の違う世界に、力を与えられて放り込まれるとどうなるか。
答えはこれだ。
「ま、兎に角だ。販路はまだだが、やりようによっちゃ、新しい需要が生まれるな」
「新しい需要?」
「ああ、そうだ山科。今回はこれだが、近い将来にチョコレート専門店が出来るかもな。そうしたら、グレイさんと行ってこいよ」
「グレイと……」
何を想像したのか、フンフン鼻を鳴らし始めた山科に苦笑し、竜胆と麻野はテーブルの上にあるトレイを見た。
竜胆、麻野、山科と三人が一つずつ食べて、残るは二十七。
竜胆が黙って呼び鈴を鳴らし、麻野が無言で小さな紙袋とリボンを引き出しから取り出す。
「取り合えず、三個ずつかな」
「任せろ。家のメイドは美人揃いだ」
九人のメイドに紙袋とリボン、そして産廃を渡し、丁寧にラッピングを済ませれば、適当な男に渡してこいと言い放つ。
「大丈夫なの?」
「大丈夫、気にすんな。竜胆印の産廃だ」
何処か遠くで、何やら聞き覚えのある忍者の断末魔が聞こえた気がした。
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