僕の世界
「私は、この世界が嫌いだよ。ジョナサン」
あの人は、そう言っていた。誰より良い生活している筈なのに、肋が浮くぐらいに痩せた人は、何時もの吊り上げた笑みを消して、僕にそう言った。
長く鋭い八重歯を見せて、隈の目立つ目を歪めて、何時も獰猛な笑みを浮かべている。
その人から笑みが消えると、瞳には僕しか写っていなかった。
初めて会ったあの日から、この人、リンドウ様は変わらない。
「ジョナサン、私はこの世界が大嫌いだよ」
変わらず、世界を嫌い続けてる。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
初めて会ったのは、ある嵐の日。あまりに酷い嵐に、僕が売られた娼館も、早目の店仕舞いをしようとしていた時、一台の馬車が娼館の前に止まった。
「よう、この店で一番の子を頼む」
嵐の外を背に、その人は口を吊り上げて笑いながら現れた。
最近流行りだという鳶コート、大昔の召喚勇者が広めたスーツ、貼り付くみたいに窮屈そうなスカートと靡く髪。
嵐を背にした姿はまるで、お伽話に出てくる怪物の様だった。
「……良いじゃん」
僕の顎を摘まんで、その人はそう言った。隈の目立つ目は、爛々と輝いているのに、何処か危うげで、少し目を離すと消えてしまいそうだった。
「気に入った。この子買うぜ」
そう言って、その人は僕を連れて嵐の中へと歩き出した。周りの声もお構いなしに、僕を連れ去った。
「私は竜胆、君は?」
「……ジョナサン」
「良いね良いね、ますます気に入った」
ひひひと、妖しくその人、リンドウ様は笑う。
「さ、今日から君は私のお気に入りだ」
「なにそれ?」
「さあ、なんだろうな?」
馬車の窓を叩く雨粒が煩いのに、何故かリンドウ様の声だけは、はっきりと聞こえる。
それが何故なのか、いまいち分からないけど、多分この人が何かしているんだろうな。この人のよく動く口を見ていると、何故かそう思えた。
「ジョナサンジョナサン」
「なに? リンドウ様」
「……んもぅ、可愛いなぁ!」
言って、するりと膝の上に乗せられ、抱き込まれた。何時もの客とは違う、痩せて骨の当たる感覚。大丈夫なのかと、少しだけ疑うけど、それを疑っても、僕にどうこう出来る事じゃない。
それに、この人が居なくなっても、僕はまた違う人に買われるだけで、結局この世界と僕の世界は、何も変わらないんだ。
「ジョナサン、君はハーフ・エルフだね」
「そうだよ。母さんがニンフで、父さんがエルフ」
「セレ・エルフ、これはまた」
言うと、僕を抱く力がほんの少しだけ強くなった。
擦り付けられる頬は、なぜだか心地よくて、紙とインクの匂いが鼻を擽った。
これがこの人の世界なのだろう。僕の世界は化粧と香水、饐えた汗と血の嫌な臭い、ボロボロになっても魔法で直される。そんな、汚い世界。
「ジョナサン、着いたよ」
「おっきい」
ひひひと、妖しい笑いが聞こえる。嵐の中に佇む屋敷は、まるでお伽話に出てくる魔女の屋敷の様だった。
「リンドウ様は、どうして僕を買ったの?」
他にも、セレ・エルフは居たのに。
「君の目さ」
そう言うとリンドウ様は、そう返した。
僕を見るその瞳は、嵐の中でもはっきり解るくらいに、爛々と輝いていた。
「君の目は、私と同じだ」
「同じ?」
「そう、同じだよ」
何故か誰も居ない屋敷の中を、二人で歩く。
どうして誰も居ないのか、不思議に思っていると、リンドウ様はまた、ひひひと妖しく笑う。
「そうか、君は男娼。あまり休日という文化に馴染みはなかったね」
「誰も居ないの?」
「今この屋敷に居るのは、私と君だけだ」
「そうなんだ」
歩いて歩いて、広い屋敷を歩いて着いたのは、風呂場だった。
広くてキレイな風呂場には、汚れ一つ無かった。
「まずは裸の付き合いってね」
いつの間にか、着ているものを全部脱いでいた。この人は多分、今までの人とは違うみたいだ。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「ジョナサンジョナサン、町に行こう」
「よう、ジョナサン。ちょっと来いよ」
「ジョ~ナ~サン、ンフーフ」
この人はあの日から、度々僕を買った。自慢じゃないけど、僕の値段は他のセレ・エルフ達より高い。
あんな凄い屋敷に住んでいても、僕をそんなに買っていると、破産するんじゃないかと聞いたけど、誰もがそれは有り得ないと笑った。
どうやら、あの人はとんでもない人だったらしい。
リンドウ様はこの国でも、一二を争う程に重要で、ものすごいお金持ちらしい。
「ジョ~ナ~サンジョナサン、昼食いに行こう」
そんな人が、こんなに簡単にこんな店に来ていいのか。不思議に思ったけど、誰も見ないふりをしているから、多分大丈夫なんだろう。
「いいよ。どこ行くの?」
「中華、知ってるか?」
「チュウカ?」
「そうかそうか、ジョナサンは中華初体験か」
ひひひと、妖しく笑うリンドウ様が、僕の手を引いて娼館から出る。
外は明るかった。
〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
「ジョナサン、世界は綺麗かい?」
リンドウ様は時々、よく分からない事を言う。僕の世界に、綺麗なものは無くて、父さんと母さんを殺したこの世界が憎くて仕方ない。
「君の憎しみはよく分かるよ。私もそうさ、身勝手呼ばれて、嘗ての今までを全部奪われた」
爛々と輝く目に、暗く淀んだものが見えた。多分、それがリンドウ様なんだ。
僕を見詰めるリンドウ様を見て、僕は初めてリンドウ様を見た気がした。
「勝利する為に、自分達で呼び出しておいて、結局は勝利する事すら覚束無い。勝手に私らの足を引っ張って、何かあればそれ見た事かと嘲笑う。笑っちまうよ」
「リンドウ様」
「ねえ、ジョナサン。私はこの世界が嫌いだよ。この世界全てが大嫌いだ。でも、君は好き」
「どうして?」
首を傾げると、頬を擦り寄せてくる。暖かな肌と、柔らかい髪が擽ったくて、少しだけ身を捩ると、何時もの吊り上げた笑みで覗き込んでくる。
「君も同じだからさ。君もこの世界を憎み、そして、……ほんの少しだけ愛している」
リンドウ様の話は難しくて、頭の悪い僕にはよく分からない。だけど、リンドウ様が泣いてるのだけは分かった。
「ジョナサン、君は私の側に居てくれる?」
「居るよ。だって、リンドウ様は僕を買ったんだ」
「そうだね」
僕は世界を嫌って、ほんの少しだけ愛している変わった人に身請けされた。
そして僕は、世界を知っていく。
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