第6話 人の温もり

 娯楽としての本が存在するのは素直に嬉しいことだ。漫画か小説かは分からんが後で読んでみたいがあまり面白くなさそうなタイトルだったな。探偵が心を読めたら反則だろうに……。


「本のことは置いといて、ティアナもう一度よ」

「うん、分かった。…………よし」


 深呼吸して俺の方を向いたティアナは身体をくねらせはじ……め……。


「待ちなさい」「待たんか」「待った」

「もーなに?」


「ティアナよ、真似する相手が違うと言っただろ」


 タイガさんがティアナの問いに答えた。この親父もなんかズレてないか。ネコナ母さんの方を見ると苦笑いしてため息をついていた。お疲れ様です。


「そうだった!」


 タイガさん……もうタイガでいいかな……呼ぶ時だけ気をつければいいや。

 タイガの回答で何かに気づいたティアナは立ち上がり、飯台の机から一歩離れた所に移動する。


「いくよ!」


 ティアナはそう掛け声をあげると足を肩幅に開き右足に重心を掛け、左手の甲を腰に当て右手を振り上げる。


「私にはスパッとマルっとお見通し!」


 振り上げていた右手を顔の前まで降ろし、右眼の前で親指を立てた横ピース。俺は一体何を見せられているんだ……。


「分かっているわ。でも、えっとなんだっけ……

 そうだ! 貴方の口から直接聞きたいの。

 お願い分かっていることを話して」


 ポーズをやめて隣に座り俺の手を両手で掴み頼み込んできた。いや、何の話だよ。

 タイガはウンウン頷いていて当てにならない。

 ネコナ母さんは頭を抱えている。

 ここは時間稼ぎをするべきか。

 芝居には芝居だ。この間観たドラマに男女が手を握り合うシーンがあったな……。

 

 俺は空いているもう片方の手と掴まれている手でティアナの手を包み返し、目をじっと見つめる。


 うぉぉぉ、なにこれめっさ照れるんですけど!

 ヤバイ、頬が熱い。赤くなってるかもしれん。

 だが目は逸らさん。逸らしたら負けだ。

 女子と見つめ合うなんて初めての体験に心臓が持たない……あぁでもこの娘の瞳、綺麗な紫……。


「ふぇ、あぅ、なん……で、はわわ……」


 あ、ティアナも照れてる。かわいいなぁ……。

 目は逸らされたけど、手は振り解かれない。

 やめ時が分からない……どうしよう。



「そろそろいいかしら?」


「「うわぁ!」」


 二人して驚き、互いに手を振り解き、椅子に座り直す。背筋を伸ばして。……助かった。


「ティアナ、本のことは置いとけって言わなかったかしら?」


「え、あ! 間違えた……ごめんなさい」


「それに……なんですか、あのポーズは!」


 そうですそうです、もっと言ってやって下さい。


「きちんと指先まで意識しないとダメでしょ!」


 おっと? まさかネコナ母さん、貴方もあちら側ですか……親子ですもんね。

 これは傍観の流れですかね。

 タイガさん……今更申し訳無さそうな表情しても遅いですよ。


「でもお母さん、あの本読んでないじゃん」

「読まなくても分かります。ごっこ遊びをした時に教えたでしょ、決めポーズと決め台詞は一番大事にしないとダメって」

「だってあの本あんまり好きじゃないんだもん」

「だったらやるんじゃありません」

「うー、どうしてこんなことになったんだっけ?」

「どうしてって、それは……」



「「お父さんが悪い!」」



 当然の帰結だった。

 タイガさんはショックを受けてるが、アンタが例の本を買ってきたのが原因です。黙って受け入れなさいよ。

 母と娘が結託した時点で矛先は父親へと向かう。

 

「アナタ、あんな本買ってたみたいだけど、例のシリーズの新刊はどうしたのかしら」

「そうだそうだー」


「ま、待て。アレはこないだ完結しただろう。

 次回作までだいぶ期間があくと話したはずだ」


「そうだったかしら」


 まーた俺は除け者だよ、大丈夫除け者にされるのは慣れてる。慣れてるけど、この疎外感はいつまで経っても慣れない……。まぁいい、傍観してよ。

 現在、父親劣勢。逆転の手はあるのか?


「そうだ。シリーズ初代のリメイクが出るぞ。

 原作者が復帰して、現役の孫との合作だそうだ」


「初代? ってことは『ブルーム・ファイブ』ね、懐かしいわね。子供の頃大好きだったわ」

「お母さん、もしかしてあのボロボロの本?」

「そうよ、何度も何度も読んでたからボロボロになっちゃったのよねぇ」


「無論、全巻予約済みだ。あと数日で一巻が届く」


「アナタ! 愛してるわ!」

「俺もだ!」

「わ〜、楽しみ〜」


 父親、逆転勝利。夫婦で抱き合っております。

 いつまで見てればいいのかな。そろそろ挫けそうなんですが……。無視しないで……。



「ねぇ、お父さんお母さん、空太郎泣きべそかいてるよ?」


「ま、まだ、泣いてない!」


 すでに声が震えているが泣いてませんから。

 だから背中をさするのをやめてください……。


「よしよし、ちゃーんと私は見てるから。空太郎を一人にしないから。大丈夫、そばにいるよ」


 そう言って彼女は、ティアナは俺を抱きしめた。

 押し留めきれなくなった感情が溢れ出した。

 それは、さっきまで感じていた疎外感ではない。

 遥か遠い地へ来てしまった故のホームシック。

 今まで一人ぼっちだった孤独感からの解放。

 久方ぶりに味わう人の温もり。

 俺はここに居ても良いと存在を認められる喜び。

 様々な感情が入り混じっていた。


 嗚咽を漏らす俺をティアナは優しく抱きしめてくれている。さらに温かい何かに包まれる。

 タイガさんとネコナ母さんが俺とティアナの二人ごと包み込んでくれていた。

 それは俺が泣き止むまで、落ち着くまで続いた。
















 人前で泣いたのはいつ以来だろう。

 中学校に上がるまでよくイジメられて泣かされていたので割と最近……いや、十年近くだと最近ではないか。今なぜか十六だけど元は二十一だし。

 イジメは陰湿なモノではなかった。小突かれたり揶揄われたり、仲間外れにされたりで物証の残らないモノだった。今にして思えば俺はイジメられていたと大学に入ってから気づく程度だ。

 それでも楽しかったはずの思い出が急激に色褪せて見え、携帯を持った時に機種へ注目が集まるだけで誰も連絡先を聞いてこなかった意味に気づき下宿で一人涙したのを今でも覚えている。

 俺は独りだったのだ。中学高校、大学も自分では自分は独りじゃないと思っていた、気づくまでは。


 親の関心も下の兄弟にばかり向いてあまり構ってもらえなかった。親の関心を引こうとテストで良い点を取ったりしたが、俺と成績を比べられる弟妹に嫌われるだけだった。だから家にいても独り……。

 感染症流行の兆しが無ければこの春休みに帰省をすることは無かったと思う。



 今、俺を包み込んでいる人の温もりは俺が欲してやまないものだったのだろう。

 心が満たされていく。

 胸に灯る、この暖かい想いはきっと忘れない。


 

 

 涙は止まった。

 涙の跡を拭い顔を上げ……上げ、上がらない……覆い被さるように俺の頭を抱きしめるティアナの腕がガッチリと締まって動けない。

 なんか良い匂いがするし、頭にほんのりと幸せの感触がするがもう十分だ。これ以上は恥ずかしさが勝るか変な気分になる。今、劣情を抱きたくない。


 ティアナの肩を叩き、もう大丈夫だと伝える。

 反応がない。

 もう一度肩を叩く。

 しかし反応がない……。

 身じろぎするが動かない。

 一体どうし……。


「ちょ、ちょっとティアナ。なんで寝てるのよ」

 

「ふわぁぁ、だって落ち着く匂いがして暖かいから眠く……そうだ! 空太郎……うん、もう大丈夫。

 いい顔してるよ」

「ふふ、そうね。いい顔してるし大丈夫そうね」

「ああ、もう大丈夫だろう」


 俺の頭を解放し、顔を覗き込むとティアナはそう言ったのだった。飛びっきりの笑顔で。

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