第10話 滑り台

 新山虎雄は正午になったのを確認すると、営業用の社用車を、その公園を取り囲むフェンスに沿って停めた。

 公園の中に入ると、その広々とした空間に、虎雄はしばし、現実を忘れた。そこかしこにいる自分と同類の背広服の者たちにちょっとしたシンパシイを感じながら、虎雄はベンチに座り、小振りのガーリックフランスにかぶりついた。

 一息吐いて、公園を見回す。先ほど得た広々とした空間という印象とは裏腹に、そこは物理的にはこじんまりとした公園であった。どんな団地の合間にもそっと挟まっている、そうした公園のひとつであった。そしてこの公園の本当の主たちは今頃、幼稚園において「いただきます」を唱和しているに違いなかった。

 ふと、虎雄は滑り台に目を止めた。

 ――滑り台。滑り落ちる。

「へっ、縁起でもねえ」

 虎雄はそうひとりごちた。

 ――営業が滑り落ちるだって? そんなことはあっちゃあならねえ。

 虎雄はそう自分に言い聞かせる。

 しかし、次第に虎雄は滑り台の持つ別に意味に気付き始めた。

 あの滑り台を、これまでも、そしてこれからも、たくさんの子供たちが滑り落ちていくわけである。その子供たちの人生はすべて滑り落ちただろうか。否、ぜったいにそんなことはない。滑り台を滑り落ちることと、人生どうなるかということは全く連動していないのだ。滑り台を滑り落ちたことがあるという理由で、人生や営業まで滑り落ちるなんてことはないのだ。

 では、そうすると、滑り台とは滑り落ちる、ということではないのかもしれない。滑り台を滑り落ちたとて、人生も滑り落ちるというものではない以上、滑り台はまったく違い意味を有した遊具であると言わなければならない。

 ――それはいったい何だ?

 そして虎雄は一つの観察を得た。あの滑り台は、階段とたまり場とそして狭義の滑り台によって構成されている。子供たちはまず階段をのぼり、上のたまり場において列をなし、そして滑り台を滑り落ちてくる。

 これは何かに相似してないだろうか。

「なるほど、そうか!」

 虎雄は声に出して言った。彼には分かったのである。

 ――滑り台とは母体だ!

 そして滑り台を滑り落ちることとは、出生なのである。そう、生まれたのだ。今、生まれたのだ! 子供たちはまさに生まれたのだ! そしてはるか昔、虎雄もまた生まれたのである!

「そうであるとするなら……」

 虎雄は自分の思考をたぐった。そして答えを引き寄せた。

「滑り台だからなんだというのか! 俺の営業まで滑るわけではない!」

 カフェオレでガーリックフランスを飲み下し、虎雄は社用車に乗り込んだ。次の営業先が待っていた。

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