第8話 放火現場

「それが『悪魔の付け火』だ」

 タラムジンはそう言った。

「なるほどな」

 コメルはそれに答えた。

「それにしてもおかしなことじゃないか」とタラムジンは続けた。「創作世界においては時間軸は軸となりえない。創作世界を支配する軸は時間でも物理法則でもなく、作者の意志であるとは」

「だから『悪魔の付け火』が問題となってくるわけか」

「煽られた憎悪こそ、創作物における最大の敵である。それに打ち勝つにはいったいどうしたらいいのだろうか」

「慣れだよ結局」コメルは自説を述べた。「それは慣れの問題なんだ」

 タラムジンはすべてを悟りつくしたかのように笑った。

「それはそうだ。それはやはり慣れの問題なのかもしれない。何を知った? そして何を忘れたんだ? いつだって答えはあいまいだ。悪魔の付け火が行われて、頭がそのことに傾いて、まともな思考が出来そうにないときは、いっそ立ち止まって考えてみよう。なにかもっと天国に近づくような、とても大切なことを。それはきっと我々を教えてくれる。我々自身の思考に、我々は教えられるんだ」

「それにしても」とコメルは応える。「ここが創作世界であるとするなら、おれたちが悪魔の付け火の影響を受けないのは何のためだ?」

「決まっている。我々は作者にとって何の思い入れもない人形なのだ。明日になれば作者は、タラムジンという名前も、コメルという名前も、すっかり忘れてしまうだろう。それはおそらく、理にかなったことだ。人間は生活していかなくてはならないのだから、忘れ、前に進み、あるいは綺麗なままの思い出を売却することだろう」

「知っている。しかし、それは知らない」

「そうなのだ。知っているが知らない。そのような態度こそ、この奇妙な、現実と並行する世界を生き抜くために必要な態度なのだ。私はそれを知っている。あるいはそれを知らない可能性もあるだろう。だからこそ我々は考え、そして我々は知っている。そのような世界を」

 それにしてもタラムジンとコメル、いったいなにゆえの登場なのか。作者の気まぐれにしては大きな必然性を持った名前であるように思える。

 小説はマンガではない。作者は名前にすべてを込めるしかない。マンガに恋い焦がれながら、一つの名前にその人物の人格のすべてを表現しうる重い意味を持たせる。それが正しいことなのか、それとも間違っているのかなど、誰にも分かりはしない。

 唐突にあの夏の日が脳裏によみがえった。思い出は暑さを伴わない。死ぬときに思い出すはずのことを先取りして思い出していた。何かを、あるいは何かでないものを。始まりはそこにある。そして終わりもまた、そこに内包されているのだ。

『それが悪魔の付け火だ』

 看破する声。作者の意志が物語を貫いている。誰が知るだろう。すべての創作物の根源に続く道に、このようなバス停があることに。

 憎悪。それは悪魔の付け火。男は思い出していた。内側から腐った臓腑の、その臭いを。

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