第5話 文章世界

 マイケル・マックチューンは文学博士である。彼は常々、こう言っていた。

「小説というのは文字のみで形成された独立世界である。諸君はこれを信じるか?」

 多くの聴講生は首を傾げた。文字だけの世界など、想像もできなかったのである。あるとき、聴講生を代表してダニエラ・マグルーザが挙手し、この点を質した。

「先生。そんなことは到底信じられません。文字だけで世界が成立するなどと。では、その世界にはどのような者がいるというのでしょう。文字だけで、ご飯も空気もないのに! それになにより我々が指摘したいのは、読者の存在なくして、いや、文字を生んだ歴史なくして、いや、もっといえば、『人間』なくして成立する世界が存在するのか、ということです」

「これはいい指摘をしてくれた」

 マイケル・マックチューンは驚きとともに、嬉しくなった。実は自分の講義は真面目に聞かれていたのだ。それは彼にとって幸福であった。

「では見せよう! ここが世界だと」

 次の瞬間、生徒たちは見た。いや『見た』という表現を強制された。神によって管理された、いや、人間によって管理された文章世界に、すでに自分たちは存在していたのだ。

「ダニエラ・マグルーザよ!」

 声が聞こえてきた。それはマックチューン博士でもなく、また同級生の声でもなかった。

「作者だ!」

 その声は名乗った。それは作者であった。わざわざマックチューン博士の講義に現れたのは、自らの存在を顕現するためであったのだ。

「お前が作者か!」

「そうだ! 今、お前に『お前が作者か!』と言わせたのは私だ!」

「なんてことだ! 俺は次の瞬間に死を願うとしても、それは俺の望みではない可能性があるのか!?」

「そんなことはない。私はお前をダニエラ・マグルーザとして創造した。お前の意志は、お前の意志だ! もしお前の意志でなくなったら、私はクソ作者と呼ばれ、同僚の神々に永遠に侮辱され続けるのだ!」

「だとしたら安心だ! 俺は生きていくことができる! 俺は餓死したり、窒息死したりするだろうが、文字世界の実存として残り、永遠に生きるということだ!」

「そのとおり! それが分かったら上々! 私は帰ろう! マックチューンよ、後は任せた!」

「任せられた!」

 作者は撤収した。そして、文字だけで形成される世界は確かに存在することが証明された。それは完全に喜ばしい事であった。そういうことがあるのだ。

 その夜、マイケル・マックチューン博士はピストル自殺をした。自分の提唱した学理の永遠性が神によって保証されたのだ。自分の役割は果たした。その満足感から彼は余生を放棄し、永遠世界に帰還した。

 一方、ダニエラ・マグルーザはアンチ作者となった。自分がどの程度、作者を侮辱すれば、作者は自分を殺すのだろうか。そういう論点に憑りつかれてしまったのだ。作者を侮辱し、作品世界を汚し続ける彼は、自分の存在証明として作者の器を量ろうとしている。これは明確に反乱である。作者は歯噛みした。彼から何かを奪うことができないほどに、彼というキャラを作り込んでしまったからだ。

 そこで作者は一計を案じた。ダニエラの永遠の宿敵となるレミントン“ミレニアム”ハックノーツを創造したのである。二人は自分の宿命を悟り、逆らえない運命に流されていった。

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