第3話 ネットカフェ
それは四方をベニヤ板で囲まれた一人分の居室であった。それはネットカフェの一室であった。荷物棚にそれまで背負っていた鈍い重さのリュックサックを置くと、急に身軽になった気がして、ほっと気分が緩んだ。そのまま慣れた手つきでパソコンの電源を入れると、リクライニングチェアに十分に体を預けて、背中の筋肉をほぐした。
人心地つけると、おもむろに立ち上がり、紙コップにコーラを入れて戻ってくる。パソコンはすでに立ち上がっていた。ネットブラウザのアイコンをダブルクリックする。情報の洪水に身を任せ、そして酔った。酔い痴れた。
匿名掲示板では叩けそうな者を叩き、留飲を下げた。AVサイトではサンプルムービーをぽかんと口を開けて見た。しかし、ネカフェでシコらないだけの分別は残っていた。あとはようつべで陽キャがわちゃわちゃしてるのを眺めつつ、ときどき口の端を上にねじって笑っていた。
――こんなことでいいのだろうか?
その問いは、ふとした瞬間に訪れては、その心のドアをノックした。しかし、開けてやるつもりはなかった。
『楽しいんだ、今が』そう思っていた。『この瞬間、俺は楽しんでいるんだ』
ネットサーフィンに区切りを付け、テレビの電源を入れた。チャンネルを野球中継に合わせる。
「あっ」
そこで、応援する球団がみじめに負けつつあることを知った。
「ふう、ふう!」
息遣いも荒く、画面を凝視した。しかしその眼力もむなしく、贔屓のチームはずるずると点を取られた。そして最後の打席、バッターが三振をした瞬間にテレビを消した。
「あ、つまんね」
またぐったりとリクライニングチェアに腰掛け、天井を見上げた。真っ黒い板に変わったテレビと、青白い光を垂れ流すパソコンのディスプレイ。それらはもう、興味を引いていなかった。放心していた。何も考えていなかった。
この一人分の居室で、自身の感情を発散させた。しかしそれはベニヤ板の仕切りを超えることがなかった。感情は、この世界にさざ波すら起こせずにフェイドアウトしていた。しかしそれは必要なことであった。明日も生きようとするのであれば。
それは全く突然のことであった。脳裏に中学時代の国語教師が現れた。
『千年後に遺っているもの、それは作品です』
目の前の出来事に対して反応するという形で現れる感情の断片、そんなものに意味はないのである。いや、意味があったとしても、それは永遠性、永続性を持たないのである。教師の言葉は、そういう一つの真実を語っていた。
「俺にもできるかな?」
そう一人ごちた。構想は一瞬でまとまっていた。仕事用のノートの新しいページを開くと、そこに最初の一文を書きつけた。
『それは四方をベニヤ板で囲まれた一人分の居室であった。』
そして少しずつ、自分の中にあるものを言葉に置き換えて、その続きを書いていった。
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