第2話 車内
有名な理論物理学者であるトニー・マサチューセッツはご機嫌で車を運転していた。車内にはお気に入りのムービングミュージックが鳴り響いている。アイダホ州のジャガイモ畑のど真ん中を突っ切るエクストリーム・ハイウェイ。スピード規制をぶっちぎって疾走するカマロ。
「ヒャハァ!」トニーは叫ぶ。「俺の時代だ!!」
ここから非常勤講師として勤めるトレビアーノ音楽学院までは五マイルといったところ。
『わかりゃしねえさ! あいつらにゃ!』トニーは硬いフランスパンをかじりながら思った。『音楽家に一般教養で物理学だと!? そんなものはジャパニーズコトワザァによれば「猫に小判」なのさ! あいつらには何もわかりゃしねえのさ! ほら、この宇宙はジャガイモの形をしてるっていってもさ! 地球の外側にはのっぺりした宇宙がどこまでも広がってるなんて、そんな前時代のイメージから一歩だって進もうとはしないのさ! それもこれもあいつらの頭の中には音符が踊り狂ってるからで、俺のせいじゃないんだけどなぁ! そうそう、この前の試験の結果なんかひどいもんだった! 物理学に興味のないヤツらに物理学を教えるのはアインシュタイン御大にだってファインマン先生にだってやれることじゃないんだけどなぁ!』
ひとしきり愚痴を吐く。それでもトニーがご機嫌なのには訳がある。彼の論文が学会で認められたのである。彼の論文『シェイプ・オブ・ユニバース・イズ・ポテイト』、それは学会に大旋風を巻き起こしていた。従来であれば宇宙の形もまた球であると考えられてきた。三次元的に見て、もっとも安定した形が球だからである。しかし、そうではなかった。暗黒係数とブラックホールの穴ぼこ理論によって、宇宙は限りなくジャガイモの形をしている。それが理論的に確認できたのだ。トニーは思い出している。学会が湧いたあの瞬間を。
『確かめなきゃ!』
トニーがリスペクトをささげてきた偉大な物理学者たちが口々に叫んで、新しい観測衛星の新規投入を叫んでいた。
『飛ばせ! 飛ばせ!!』
興奮のるつぼの真ん中で、トニーは幸せだった。アインシュタインやエヴェレット三世とともに、自分の名前も宇宙科学史に残るのである。
「イエアァ!!」
ハンドルに載せていた手で何度もハンドルを打ち鳴らす。その顔には幸福の微笑が浮かんでいた。
トニーは知らなかった。このときすでに彼の妻が離婚届にサインし、短い手紙を添えて家を出ていたことを。手紙にはこうあった。
『あなた、おめでとうございます。やっとあなたの物理学会への貢献が認められたのですね。私もうれしいです。私も微力ながらお手伝いしてきたつもりです。でも、私があなたのために出来ることは、もうありません。これから私は、自分のしあわせを探して生きていきます。ああ、宇宙がじゃがいもの形をしているなんて! 私はただ、星空を見上げて星座を紡ぎたいだけなのに!』
彼の妻は日本人であった。そして彼に日本のことわざを教えたのもまた彼女なのであった。
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