第8話 冬の光景

「人はやがて一人になる」

 その老人は言った。手の甲に刻まれたしわは、老人の身体をむしばむ疲労をそこに刻んだものであるかのように見えた。

「人はやがて道をたがえるのだ」

 老人の言った言葉の意味を私は考えようとした。

「だからこそ、わしは初めから一人でいたのだ」

 老人は静かな、落ち着いた、でも疲れ切った声で言った。その声を私はどんなふうに胸に響いたといえばいいのか。

「もちろん」と老人は続けた、「それは本当の意味で一人ということではない。わしもまたこの世界にいて、自分の仕事を通じて誰かの役に立ち、それでお金をもらってご飯を食べている。だからこそ、わしもこの社会においてその一員ということを言えるのである。しかし、同時にわしは放浪者でもあるのじゃ。その意味するところは、常に自分というものを確立し、他人にそれを預けないというところにある。もし行き詰ってしまったら、それならそれでよし。わしは自分で自分にケリをつけるだろう。死が、わしを救ってくれるだろう。わしにはそう信じられるのじゃ。永遠の旅路か、夢すら見ない眠りか、そのいずれであろうとも、わしは構わない。死はわしを救う。死は最後にわしを自由にする」

 老人はごほんと一つ、せき込んだ。そして続ける。

「わしはこの世界に遺していこう、わしの死体を片付ける労をとってくれた人に、ちょっとしたお礼を。そして残りは偉大なる陛下の金庫かねぐらにでも納めればよい。わしはそれ以上でもそれ以下でもない存在となって、わしの仕事の成果が、その影響が、この世界に残存する限度において、わしはなおも生きるだろう」

 外で風の音が鳴った。老人はベッドに半身を起こしたままだったが、ひとく寒そうに背中を丸めていた。

「ご老人」私は言った。「寒いですか? 熱いお茶はいかがでしょう。サヴォワールはシュンシュンいっています」

「いや、いいのだ友よ」老人は私の申し出を断って、「寒さに震えることについて、わしには一つの思い出がある。あのときもそうだったのだ。あのときも、わしは何かを待っていて、そして一人、膝小僧を抱えて、何かを待っていたのだ。そしておそらく、それはもうすぐわしを迎えに来るのだ」

「ご老人……」

「あの机のいちばん上の引き出しにある茶色い封筒の中に三十ルーブリある。それは君にあげよう。どうか忘れないでおくれ。それは君に渡す、わしの死体を片付けてくれる君に」

 知らず、私の目から涙が零れ落ちていた。

「さようなら、ご老人。こんなにも静謐な、平穏な眠りがあなたに訪れること、私はあなたに代わって、神に感謝しましょう」

「そうだ、ありがとう」

 老人は、ゆっくりゆっくりベッドに身を横たえた。そして「ふう……」と長いため息を、肺の底から空気を吐き出すような長いため息を吐いて、それっきり、この肉体を残してこの世から旅立った。

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