第5話 フューチャー列伝

 コーヒーの香りが、ふと過去の記憶へと私を誘った。扉があって、それを開いた。そして中へと入る。

「こんにちは」

 おや、誰だろう。こんなところに女の子がいる。私の知っている子だろうか? それとも?

「おじさん。笑って。おじさんの笑顔、私は大好きなの」

「おお。君を喜ばせることができるなら、それは私の喜びだ。さあ、見給えよ。私の表情筋が全員集合で君のためにスマイルを形成するだろう」

「あら、いい笑顔! 思わず、私も笑いたくなっちゃうわ」

 なんてチャーミングな子だろう。私はどうしてもこの子を知っているような気がするのだ。どこだっただろう? 思い出そうとするたびに、私の頭の中は心地よいしびれを感じる。まるでこのときのために、私のちっぽけな頭の中は己の記憶という記憶を詰め込んだ倉庫となっていたというのだろうか。いや、これでいい。これでいいんだ。私にはそう思える。このむずがゆいしびれは、私の生きている証だ。

「どうしたの、おじさん」

 考え込んでいるところを、その子にそう聞かれる。

「どうか気を悪くしないでほしい。君を思い出そうとしているんだ。私にはどうも君に会ったことがあって、そしてよく知っている人のような気がするもんでね」

「そうなの、物好きな人ね。でも、おじさんはきっとわたしを『思い出す』ことはできないかもしれない。それはおじさんがこれからも齢を重ねていくことと関連してるわ。そういう意味でなら、たしかに、わたしたちはもう会っているのかもしれない」

「なんとも謎かけの好きな子だ。どちらにしたって私は君を『想起する』のだよ。それがおじさんを形成する世界観なのだから」

 この脳みそが役に立たないことがあるなんて、思いもよらなかった。この脳みその『記憶の保管庫』に入っているものだけが、私の記憶のすべてではないのだ。

「おじさん、面白いね。でも私はそれを痛快に感じたし、どうしたんだか、ワクワクが止まらないの。これはいったい何を指し示しているのか、考えてみるとそれは、記憶ということもできるし、記憶でないかもしれない。ある種のプリインストールインフォメーションなのかもしれないの」

「なるほど」

 目をつむり、じっと考える。目を開けた。少女はいなくなっていた。私はそれを惜しまなかった。むしろ心のどこかで彼女から自由を奪うことを怖れていたかもしれない。それに……また会えるだろう。そう思えていた。

 やがて、どやどやと息子たちが帰ってきた。

「オヤジ、今日は本当にいい日和だったな」

 長男が言った。たしかに今日はさわやかな秋のまさに小春日和といった具合だった。それはたしかだ。

「まるで来年の春に時間跳躍したみたいな天気だったな」

 次男のその言葉に私ははっとした。時間跳躍。それは、まさか。……そうか、そうだったのか。私はそこで合点がいった。おそらくはそこに答えがある。まるで過去を振り返るがごとく、私は未来のことを垣間見たのだ。あの子は私の孫だ。そうであれば、おお、楽しみにしていよう。また会える日が来るのを。いつか未来のある日に、私は彼女と再会するのだ。

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