第4話 西洋哲学

 オレはただ街を歩いていただけだ。そして、オレの人生は一変してしまった。まずは声をかけられた。

「マーフィー?」

 言っておくが、オレはマーフィーではない。そんなヤツのことは全く知らない。だからオレはこう言うしかなかった。

「いや、違う」

 オレに分かるのは、オレがマーフィーではないってことだけ。それでどうなるもんでもない。だが、オレは知らなかった。自分の本当の名前を。真名を。ただ少なくともマーフィーではないはずなんだ。オレはどこまでも東洋人で、そこから論理的に考えると、親がマーフィーという名前によほどの愛着がない限り付けられるはずがない。そういうことだ。

「君はそれを、自分がマーフィーではないと、確信を持って言えるかね?」

 だからそんなふうに詰められて、オレはほとほと困ってしまった。マーフィー? まず誰だよ? しかし、このおじさんも相当しつこそうな感じがする。オレがマーフィーですって言うまで付きまとって離れない。そんな雰囲気を醸し出している。さあて、どうする? 面倒に巻き込まれたくないが、だからと言って嘘も言いたくない。たとえ主観的に嘘を言ったつもりが無くても、客観的に見て嘘だったとしたら。この世界はそういうのにも厳しい。自分にあてはめられない限り、好き勝手な物差しで、人を叩くのさ。ともあれ、話を前に進めなければならなかった。

「聞かせてくれ、本当に。マーフィーとは何なのか。その本質を」

 おじさんはやっと真剣な表情を緩めた。

「そういう疑問を持つ以上、君がマーフィーであるかどうかは、この際問題ではなくなった。真実に問題なのは、マーフィーであるかどうかを考える、その思考が本質へと属しているということなのだ。そして君は一つの答えをやがて得るつもりかね? 自分の立場、自分の考えを持って。まだ若いし、おそらくは一生をかけても困難な問題に、物怖じしないというのだね。それにしても、おお、人よ! 人は真実を知ることはない。そしてその場その場でそれぞれの事象に答えを与えながら生きているし、それが駄目なことなんて、全くない。とんでもないことだ。誰しもがそうしているというのに。そしてそうでなければ生きていけないというのに。それは理にかなったことだ。この世界のすべてを知った上で判断するなんて、そんな恵まれた状況に人はいないのだから。では、そうしたことを知らないまま生きていくというのには、どれほどの意味があるのだろうか。それはわからない。しかしどうしても言えることがあるとすれば、真実について長い論文を書くことはできないということだ。真実を扱うのは、それはそれは難しいが、それ自体は簡単明瞭に記述できてしまうのだ。私はそれを知っている」

 言い切ったそのおじさんは、おそらくは。そう、もしかして。

「神。あなたがそうなのか?」

「イエス。アイム・イエス」

 オレの目の前に西洋の神様がいた。オレはその日から西洋教に入信し、この東洋のまちで布教を開始した。そこそこの信者を獲得したところで、オレにお召しがかかった。だからオレは旅立った。遠い国へ。狭き門をくぐって。

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