第3話 ドリンクドライブ

 繁華街の一角にある古ぼけたビル。その地下一階にそのバーは入っていた。通りに面した螺旋状の階段を降りれば、その入り口にたどり着く。扉を開けると、チリンと気持ちのいい音が鳴り、それは現れる。清潔に磨かれた木製のカウンター、ぱりっとした白シャツにベストを及んだマスター、そしてその後ろにはお客たちをもてなす銘酒たち。

「ごくり……」

 僕は思わず、のどを鳴らしていた。こんなことでいいのか。完全に飲まれてしまっている。そうではないというところを見せなければ、早々にお帰りを願われてしまうのではないか。杞憂には違いなかったが、それでも僕はさらに落ち着き払って、カウンター席に座った。

「マスター。ジャンジャックジャクソンを」

 最近、アメリカ東海岸あたりで流行っているらしい最新カクテルの名前を告げる。マスターは微笑を浮かべつつうなずき、シェイカーを手に取る。

 琥珀色の美しい液体と、それから赤銅色の逞しい液体を注ぎ込み、シェイク。いったい何が出来ようとしてるのだろう。

 グラスに注がれてそれは僕の目の前に来た。

「ジャンジャックジャクソンです」

 血のような色だ。これはおそらくジャンジャックジャクソンという人物の血を模したものなんだろう。僕はそう見当をつけた。なぜなら僕にはそう思えたから。おしゃれな、そして重い思想を持ったカクテルだと、僕はすでにそう確信していた。

 そっと手に取り、ちょっと飲む。

「おお……」

 舌の上に踊るのは、まさしく血の味ではないだろうか。これは……こんなカクテルが許されるのか。ある意味、人間の命に対する冒とくではないか。だが、しかし。ああ、そうか。冒涜でない芸術だけが芸術ではないのだ。現代ではこういうことだってあるのだ。僕はそれを感じていた。この酩酊、この酔いのまわり、この陶酔。これこそは人間を道徳から解き放ち、いや、引き剥がし、そして自由の場所に僕たちを連れて行ってくれるのではないか。僕はそう信じる気になった。この素晴らしいカクテルに酔い痴れて。

 きゅっと飲み干して、僕はふうと大きく息を吐いた。

「ありがとう、マスター」

 いつのまにか、僕はマスターにお礼を言っていた。マスターは口元に微笑を浮かべた。なんて素晴らしい雰囲気だろう、なんて素晴らしいバーだろう。僕はとことん酔い痴れていった。

「また来るよ」

 そう言い残して、僕は外へと出た。夜風が心地よい。こんな夜にドライブなんてしたら素敵じゃないか? いつの間にか僕はハンドルを握っていた。そして信号待ちのパトカーのカマを掘っていた。

 そうだ、こんな夜もある。僕は人間の掟を忘れて、夜に酔い痴れてしまったんだ。

 目が覚めたとき、僕は自分の部屋のベッドにいた。どうやらすべては夢だったようだ。そりゃそうだ。ジャンジャックジャクソンなんてカクテルがあってたまるか。そして飲酒運転なんかしてたまるか。人として、それはダメなんだ。僕は強く強く心に誓っていた。「飲酒運転なんかしないぞ!!!」と。

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