第9話 双極の存在
男は旅の支度を整えていた。どこにいくつもりなのだ。
「他人の人生を眺めるのに疲れたんだ」
男はただそう言った。行く当てもない旅に出るつもりなのだ。男の顔には決意と諦めの混じった表情が凝っていた。
遠くから声が聞こえる。鬨の声を上げて突っ込んでくるのは闇の王の近衛兵団だ。男は眉一つ動かさず剣を抜いた。剣戟はただ静かに展開される。男の皮膚のすぐ裏には赤い血が流れている。しかし闇の剣が男の肌に触れることはない。闇の眷属たちは男の剣に切り裂かれていく。しかし彼らは血を持たない。命すら持たない。無言で消えていく。
すべてが終わった後で、男は一人立ち尽くした。これからもずっとこんなことが起こるのだ。男はそれでもいいと思っていた。自分が選んだわけでもない。だからこそ死がどんな物語にも結末をもたらしてくれると信じている。死。それが男の信仰の在り処であった。
「そんなことでいいのか」
どこからか声がする。男が振り返ると、そこには
「オレは信用に値するような存在じゃないぞ」
骸骨は笑った。いや、笑ったように見えた。その骸骨とは「死」であった。男は再び剣を抜いた。自分の信仰が潰えたのを感じた。心が痛むのを感じた。死は救いではなかった。
「ぶっ殺してやる……」
男は笑った。八つ当たりをしようとしている自分が滑稽であった。骸骨も笑い出す。
「ひひひ……」
何が面白いというのか。二個の存在が敵意をむき出しにし、向かい合っていた。これから何が始まるというのか。男と死神。「死ぬ」ことから見放された者たちが「終わり」に向けて歩みを進めようとしていた。
荒野の真ん中で少年は立ち止まった。目には涙の跡がある。何を泣いていたのか。
「この世界には……」
なにもない。そのことに気づいたとでもいうのか? この世界に神聖なものは何もない。巨視的な視点から見れば、人間もそこらの虫ケラも変わらない。人はしゃべりつづける。羽虫が羽音を響かせるのと何が違うのか。分からなくなってしまっていた。少年は分からなくなってしまっていた。
「うう……」
少年はうずくまった。涙はもう流れない。それでも、もう立ち上がれなくなっていた。もう再び歩き出すことができなくなっていた。何もない世界で、空っぽの世界で、いったい自分は何をすればいいのか。答えはない。
「自分で作るしかないのだ」
突如として声が響いた。少年が顔を上げると神が立っていた。ずっと昔に行方不明になったはずの神が。
「この世界はすべて作りものだ。だいたいのところは余が創った。お前もこの世界の一部分を作って付け足せ」
神は消えた。有を作って無の中に放り込め。それが少年の受けた啓示であった。少年はもはや少年ではない。すでにして青年である。かつて少年だった青年は再び歩き出した。何のためにか。それは彼自身にも分からない。しかし、歩いていくしかないのだ。それを知ったのだ。こうして世界はまた一人、祝福された者を得たのである。
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