第8話 綾小路の風景

 大塒おおとやの橋を渡ると、風が吹いた。もう夕方だ。今日も何をしていたのやら、何も思い出せない。ただ足の向くまま歩いてきただけだったのか?

 風の音、川の音、すべての音が収束していくのは本当に私の耳か? なぜそんなことに疑いを持つのか。そんなことをしても似非哲学にしかならないのに。

 川べりの道を行く。ぐるりとあたりを見渡す。ここには弾けるような衝動がない。穏やかに暮れていく風景があるだけ。それならなぜ、この胸の器官は鼓動を打つのか。生きる喜びを放棄したただありのままの時間の流れが、川と風と石ころと草きれに変わって私をとりまいている。

 刻一刻と、風景の色合いが変わっていく。この色、この色。この色のすべてに名前がある。人間の網膜に映る限りの色に名前がある。私はそれを覚えることを怠けてしまった。だから私の風景描写にはどこかおざなりにこの世界を歩いてきたものの寂しさが刻印されている。

 生きよ。誰かにそう命じられたのか。そうであるとも言え、そうでないとも言える。なぜか。それは感情さえ、時の流れに抗えなかったということの証明にしかならない。

 私は考えていた。この世界をどう切り取るべきか。私は考えていた。私の頭の中の世界は、この世界と相似だろうか、それとも私自身が捻じ曲げてしまっただろうか。

 土手の上を歩いている。右手には川、左手には道路。道路と土手のあいだには防風林として木々が植えられている。

 時々、枝を切って手入れをするのは何のためか。それは太い枝を残すため、全体のためである。

 本筋を残す。もしかしたらという可能性を排除していくのが時の流れであり、私は私の創作世界の中において全能でありたいと願いながら、創作世界の時間の流れに縛られなければならなかった。すべては読者諸氏に、ここと似たような世界で展開された物語であると信じてほしいがためである。

 風が吹いた。今しも夕日は山の向こうに沈もうとしていた。時間が流れていた。私はまた少し可能性を失った。

 私は少しずつ死に近づいている。この死は私の制約となっている。しかしだからこそ、ひとまとまりの物語を仕上げる可能性をも与えられた。私はこれを僥倖と捉えている。

 雨が降らないだろうか。しかし、空は澄み切った茜色である。

 私の散歩が終わろうとしていた。いったい何を考えていたのか。とりとめのないことを考えながら、また頭を空回りさせていた。

 それでも、帰ったら書き始めなければならない。可能性は潰えたのか? それは分からない。しかし一筋の道が見えている。

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