第6話 思い出の破片
トモキの姉はかつて新体操をやっていた。
彼女が中学生、そしてトモキが小学校低学年のころ、トモキは姉の新体操の競技会に駆り出されたことがあった。なんのことはない、プラスチック製のメガホンを片手に応援するだけのことである。それに主な応援は姉のチームメイトがやっていた。
「ゆっこー!! ふぁいとー!!」
タイミングをわきまえた、きれいにそろった声援が送られる。トモキはその隣で右手に持ったメガホンを左手の手のひらに打ちつけて拍手していた。
姉の演技が終わると、トモキは姉に会いに行こうと思った。姉の所属するクラブが陣取っていたのは市立総合体育館の二階席である。トモキはまず廊下に出てそこから階段で一階におりようとした。
二階の廊下に奇妙な連中がいた。皆、ゴツいカメラを持っている。その顔は脂が浮いて、興奮で赤くなっていた。
(なんだろう?)
トモキ少年は子供ながらの好奇心を発揮した。何気なく通り過ぎ、一階へと下りる階段の陰に隠れて、様子をうかがう。
「さっきの子、かわいくなかった? え?」
「ウヒヒヒ……」
「あのボールになりたい」
男たちが話しているのが聞こえる。話の内容から、男たちはさっきの姉の演技について話しているようだと見当をつけた。
「足を高く上げた時さぁ……」
一人の男が仲間たちを見回しながらニタニタ笑った。
「筋が見えた」
男たちがどっと笑う。
「最低だな!!」
「ヒヒヒ!!!」
トモキ少年には筋とは何かがよく分からなかった。ただ、彼らの笑い声には何か良くないもの、不快なものが混じっていると少年の感性は告げていた。
「もっとお尻に食いこんでくれないと」
男たちの一人から脈絡なく飛び出した言葉が、トモキ少年の心臓をひやりとさせた。さらにその男は己の高揚した気分を持て余したかのように、ズボンの上から自分の股間を揉み込んだのだ。トモキ少年は男たちが怖くなった。足音を殺して階段を飛ぶように下り、その場を離れる。
一階のロビーで、少年は姉を見つけた。
「姉ちゃん!」
姉はトモキ少年を振り返って、さっきの演技で使ったボールをポンと投げた。少年はドッジボールの要領でそのボールを受け止める。
「ナイスキャッチ!」
姉はそう言って少年をほめる。少年は得意げに笑う。この短いやり取りだけで、少年はさっきの男たちのことを忘れた。少年はシスコンだったのだ。
「二階いこうよ、二階!」
レオタードの上にダウンジャケットを羽織った姉の手を引っ張る。しかし……。
「おいで。こっち」
姉がトモキ少年の手を強く引いた。一階の観覧席に行くようである。トモキ少年は別にそれでもよかった。素直に姉についていく。体育館への出入り口のところで少年は何気なく二階に上がる階段の方を見た。そこにはあの男たちがいた。両手で持ったカメラを胸の前に構えて、トモキたちを見送っていた。
十年の月日が流れた。トモキはこのときのことを完全に忘れていた。正月、大学を出て遠くの街に就職した姉が帰省してきた。新体操をやっていたころの心配になるような細さはない。どこにでもいる気のいいお姉ちゃんである。
「ただいま」
「おかえり、姉ちゃん」
「ほい、お土産」
姉はその紙包みをひょいっと投げた。トモキはそれを受け止める。そのまま居間の方へと行く姉の背中を見送りながら、トモキはなぜかあのときのことを――あの男たちのことを、あの会話を、あの階段のところで自分と姉を見送ったときの彼らの表情を――思い出した。そして、あの一連の場面の意味を完全に悟ったのである。
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