精霊流し

誰でもあることかもしれないけれど、風邪とか、アレルギーとか、そういうのでなく、ハッキリと理由の分からない不調に襲われることがあって困る。

仕事を辞めるまでは、会社でもたまにそういうことがあって、そんな時は誰もいない更衣室とか、トイレの中などで、「キモ」に力を入れて、『よし、大丈夫! 気合い入れていくぞ!』などと心の中で叫んで、自分を支えていた。

なんでこんなことを書いたかというと、ここ2、3日調子が悪く、困っている。

夏場は水分が不足しているのか、塩分が足りないのか、こんなことが多い。

で、ふと、子供が4歳か5歳くらいの頃、伊豆の伊東に海水浴に行った時のことを思い出した。というのも、その時もこんな不調に苦しんでいたからだ。

まずホテルに着いた日の夕食どき、お飲み物は何にします? と中居さんに聞かれ,酒を注文する気にもならなかったのを思い出した。

その上子供にはお子様メニューの夕食を頼んでいたのだが、そこにオムライスが出てきて、子供はその頃タマゴにアレルギーがあって、それをホテルに伝えるのを私が忘れていたわけで、子供はムッとするし、私はホテル側に詫びて作り直してもらわなければならなかった。

その日の記憶はそこで途切れて翌日午前、ゆっくりとホテルを出た私たちは海水浴場へ行ったところから次の記憶が始まる。


海水浴場に来たはいいが、太陽の熱さたるや凄まじく、砂の上はとても素足で歩けない。

空いている場所探しをするだけで、空の陽光と砂の照り返しでもう汗ダラダラで、私は体調イマイチだし、これじゃ子供にもキツすぎると思い、妻と話し合ってとりあえず海辺を離れることになった。

旅行は車で来たのだが、海水浴場へは歩いてきたので,灼熱地獄の中を小さな子供の手を引いてホテルの方向へ歩いたが、こりゃたまらん、とんでもない暑さだ、と、うどん屋があったのでとりあえずそこに飛び込んだ。

やっと空調の冷気に当たりながら、入ってしまった以上仕方ない、つけうどんを3人前頼んで、早めの昼食を食べた。

「子供がアレルギーで蕎麦がダメで」

うどんを頼んだ理由をそんなふうに話し、

「大豆もダメでして。味噌汁も飲めません」

聞かれたのか何なのか、そんなことを店主に話したのを記憶している。


それからやっとの思いで3人ホテルに戻り、子供はホテルのプールで遊ばせた記憶がある。終始、私は訳の分からない不調を感じていたが、子供の様子を見たり、部屋でのんびりするだけだったから、もうそれほど辛くはなかった。


夕食の後、私たちは3人で精霊流しを近くの川に見に行った。

精霊流しといっても、観光客向けの余興だから、そんなたいそうなものではないが、それでも20センチ四方くらいのイカダに、灯籠を乗せたものが、和風旅館の建物を背景に何十、いや、百以上は流れていく様は、夏の夜に静かな風情があって、私は好ましく感じた。まさに幻想的であった。

その時である。ふっと、不調が消えたのは。すーっと気分が良くなり、川を流れてゆく灯りの、川に反射する様を眺めながら、私はいい気分になってきた。夜の海からの風が心地よい。私は涼しいと感じた。見ると、妻も子も、じっと川面を眺めている。


どれくらいの時間が経ったろう。私たちはソフトクリームを片手に、ホテルへの道を戻った。

あの精霊流しも、ホテルも、今にして思うとただの幻想ではなかったのか?

というのも、その後子供が大きくなるにつれ、釣りに行ったりして、伊東は何度も通ったのだが,あの精霊流しの行われた川も、泊まったホテルも、その後は見つけることができないまま今日に至っている。

あの川は、あのホテルは、本当に存在したのか。

さらに言えばあの旅行は本当にあったのか。


あの時の家族旅行が、今ではそんなふうに思えてならない。

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