旅情
あれは……確か17歳になったばかりの頃、高校の春休みのことだったと思う。
私は愛車の、その頃人気のあったホンダCB400fourを駆って、4泊5日の、初めての1人旅に出たのだった。
あの旅のことは、鮮明に覚えている。
1泊目は、長野の諏訪湖のほとりで、東京から自転車を飛ばしてきたクラスメイトと落ち合い、湖の近くのユースホステルに泊まった。
その頃、ユースホステルという、安い宿が流行っていた。
女の子も何人か泊まっていて、こちらも向こうも話をしたかったのだと思うが、皆が皆恥ずかしがり屋で、結局どの女の子とも言葉を交わさずに、翌朝次の目的地へ出発した。
諏訪からが、私が楽しみにしていた中山道(なかせんどう)を走る旅だ。奈良井宿を通って馬籠宿の民宿に泊まる予定だった。
ところがここでアクシデント。なんとタイヤがパンクしてしまったのだ。
馬籠宿まではまだ距離がある。バイクを引いて歩くには遠すぎる。
どれくらい歩いたろう。2キロか、3キロか。
と、ちゃんと運良く小さなクルマの修理工場があった。
本来ならバイクのパンクなど本業から逸れるのだろうが、工場の主人は気持ち良く修理してくれた。
しかも、奥から私と同い年くらいの女の子が出てきて、どこから来たのか、どこへ行くのか、ひとり旅なんて勇気あるね,とか、私と色んな会話をすることになった。
多分娘さんだと思う。
ほどなく修理が終わると、おじさんは代金を受け取らずにこう言った。
「人と人の出会いってさ、こういうもんだよな。いいじゃん、パンク修理くらいでお互い楽しく話ができたんだから」
私は礼を言い、主人は名刺ひとつ差し出さず、娘さんともその場限りで別れることになった。
馬籠宿の民宿には無事着いた。
その夜、古い宿場町の宿の一室で、私はこの出来事を思い出していた。
なんだか、娘さんがとてもかわいかったような気がしてきて、戻ってもう一度話がしたいと思った。
旅はまだまだ続くのだが、自分がこんな土地に生まれ、育ち、あんな女の子と、やがて一緒に暮らしたりすることを想像し、切ない不思議な気持ちになった。
何かが間違えば、そういう人生もあったはずだと私は想像し、眠れなくなった。
こんな経験も,空想も、生まれて初めてのことだ。
宿の夜は更ける。
私は娘さんの微笑みを思い出しながら,いつしか眠りに落ちていた。
翌日は名古屋に出て、浜名湖畔のユースホステルに泊まり、その翌日はそこから東名高速に乗った。
高速ではかなりスピードを出して走り、この話は新学期が始まった後、皆に自慢することになる。
その日は富士山の麓のユースホステルに泊まったが、あまりかわいい女の子はいなかった。
私はその夜も、木曽路のあの女の子を思い出していた。
もちろんその後の人生で、その女の子に2度と会うことはなかったが、今でも私はその子の顔を思い出すことができる。
私はこの先も、その女の子を忘れることはないだろう。
高校生の頃の、仄かな旅の思い出である。
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