柴犬キリ

キリは恵まれていると思う。少なくともいまのところは。

私たちは子育ても一応終わり,なんとなく、嵐が過ぎ去ったように最近は落ち着いていて、キリをゆっくり散歩に連れて行ったり、高いお菓子を与えてやったり、随分良くしてやっている。

言い遅れたが、キリとは柴犬のオスで,今年の正月、我が家に家族として加わったワンコロのことである。

イヌのガムとか、棒のお菓子を私が与えてやると、こんなに親切にしてくれるあなたは誰なの? という表情で軽くしっぽを振りながら私にお礼を言いにくる。頭を撫でてやると、挨拶が済んだとばかりに、ガムをしゃぶる。


もっぱら面倒を見るのは妻だが、妻はキリをかわいがりながらも、シベールのことを決して忘れない。


シベールとは、数年前に亡くなったコーギーのメスで、十数年間、私たちと生活を共にした。


私たちもその頃はまだまだなんだかんだと忙しく、精神的にも金銭的にも余裕のない生活を送っていた。妻も仕事をしていたし、それは今みたいにリモートではなく、横浜だの新宿だの,あるいは日本橋とか丸の内とか、かなり精神的にも時間的にも大変なものだった。


だからシベールは、落ち着いて、余裕をもって可愛がってやるというわけにはいかなかった。

今思うと、可哀想なことをした。


一度だけ、旅行に連れて行ってやったことがある。


明け方伊豆の今井浜に着き、砂浜を走って、シベールはとても喜んでいた。

まだ春で、その日は天気も良く、最高の日向ぼっこ日和だった。


子供はつりに興じ、私と妻は砂浜に座って、のんびりと1日をすごした。

シベールは始終笑っていた。

今残っている写真の中でも、シベールは満面の笑みを浮かべている。


最後はガンだった。

賢い、美しい犬だった。


妻はキリの世話をしながらも、やっぱりシベールのことは忘れないという。

忙しい中で、自分が十何年も可愛がった犬である。忘れられるはずがない。


でも、キリが来て、一時的なのんびり気分は一掃されてしまって、妻はこのわんぱくぼうずに手を焼く毎日である。


ちょっと降圧剤を飲もうとして落としたら、一瞬にして取って食べてしまい、一日中ぐったりと寝ていたり、散歩から帰ってたまたま妻に足を強く踏まれ、妻の足に噛みついて妻の足は血だらけになったという事件も起こしている。

医者に通って足を消毒してもらいながらも、私は妻に感心した。

私など、気分が悪くてキリを嫌いになりそうだったが、妻はキリを全面的に許す。そしてすぐに全身で可愛がる。なんて心が広いのだろうと、私などは感心してしまう。


とにかくものすごいエネルギーを発散させながら、キリは毎日元気いっぱいに部屋じゅう飛び回っている。


でもキリはシベールに比べればずっと妻にかまってもらえて、幸せに違いない。


これから一体どんなわんぱくぶりを発揮するのだろう。

なんとか、妻のためにもお手柔らかに願いたいものである。

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