私の家族
妻は2回私の実家を追い出されている。
1度目は拓哉が生まれて8ヶ月の頃、妻は私の父とうまくいかず、「出て行け」の一言で、私たちは拓哉を連れて親と別居した。
物心つく前の子供を連れて1からの再出発は辛かった。
2度目は、中国に1年ほど住んで帰国した時、拓哉が中国に行く前と同じ小学校に通うにも、テーブルひとつない状況で日本で再出発するにも、とりあえず一旦実家に親子3人で転がり込むしかなかった。
妻は、同居していた私の姉の分も含めて5人分の食事を毎食作り、洗濯をし、パートもした。その間、妻は随分いびられていたようだ。
しかし3年後のある日、母は「静かに暮らしたい」といい、私たち親子3人は実家を出ざるを得なかった。
その頃ひとりっ子の拓哉は12歳、中学生になったばかりだったが、それ以降、私の姉と母、つまりおばと祖母に絶対会わなくなったばかりか、祖母方の親戚関係を一切絶ってしまった。
拓哉は妻の母国も、妻の兄妹たちも嫌うようになり、それ以降天涯孤独の身になった。
妻も追い出されて深く傷ついたし、拓哉は尚更だろう。
私も17歳の時も含めて都合3回実家を追い出されたことになる。
拓哉はそれ以降10年間祖母と会わなかった。
こうした事は、全て一家の主人として、私が頼りないのがいけないのだ。
やっと気持ちにけりがついたのか、拓哉が祖母に再会したのは去年である。
こうした経緯があったにもかかわらず、妻は私の父の墓参りを提案した。
拓哉も実家と一応は和解しているし、和解していないのは妻だけだったが、その妻が「人間として必要なこと」と、墓参りを提案したのだから行かないわけにはいかない。
こうして、私たちは3人で、10年以上行ってなかった私の父の墓参りに行くことになった。
父の墓は山梨の富士の見える所にあり、大分車で走らなければならない。
しかし今はもう拓哉が最初から最後まで運転してくれる。
私は随分楽になった。
ちなみにウチは山梨とは何の関係もなく、ただ父が富士の見える所に、ということで、そこに墓を買っただけだ。
私は、私と、私たち家族3人に大変な苦悩をくれた、この自分の家の墓に入るつもりはない。
当然妻も入らないだろう。
たぶん拓哉もそれは同じだろう。
だけど誰もそんな事は口にせず、墓参りを済ませた。
妻と拓哉は墓石が汚れていたので、2人で拭いてくれた。
墓参りを終えて、さあどこへ行こう?
3人で考えた挙句、静岡の沼津で美味しい魚を食べ、それから伊豆半島の付け根を横切って、熱海を経由してから帰ろうということになった。
熱海へ向かう途中のことだ。
つい先週の事なのに、遠い昔の記憶を思い出すように、忘れられない場面がある。
拓哉が隣で運転している。フィルムを見るように、息子の静かな面差しがアップになっている。そのすぐ向こうに、真緑の稲穂が陽光を受けながら一面に広がっている。さらに遥か向こうには、夏の山の稜線が続いている。
何か、夢か、映画でも見ているような不思議さがあった。
辛いことの多かった実家との付き合いだが、ここで一段落したという気がした。
これからは、3人で、なるべく辛いことの少ない人生を歩みたいと思う。
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