低俗な私



机について、ペンを取る。

頭の中には何もなく、何も書くことが出来ないのだが、前回投稿したのが7月31日だから約2週間、作品を1文字も書いていないことになる。


いくら暑さと湿気にやられて調子が悪かったとはいえ、何も書く気が起こらない、まして何もやる気が起こらない、では生きてるのか死んでるのか分からない。


しかし、あの志賀直哉は、生きてることと死んでることに大した差はない、というようなことを書いていたと記憶する。


それがどういう意味なのか、解釈は人それぞれだろうが、私は「城崎にて」の中で著者が何度も書いている「静かだ」という言葉に注目したい。


私はというと、妙に心が静まって、何に対しても何も感じないような、不思議な生命の落ち着きをここ数日感じている。


渡哲也さんが亡くなったと聞いても、特に感慨が湧かないが、しかし実は仕事中の同僚や上司の態度には相変わらずムカッとしたりする。


実は私は志賀直哉の「静かだ」の連発を、仏教で言うところの悟りに近い心境だったのではないかと書き、そして今の私の妙な心の静まりも、それに近いと書きたかったのだが、同僚や上司に腹を立てているようでは悟りはほど遠い。


ま、私はもっと俗物だから、同じ俗物の同僚に腹が立つのだろう。

そうに違いない。

ふんっ。


きょうはその気分転換に、妻と喫茶店でコーヒーを飲み、そのあと2人でスーパーで買い物をした。

するとなんだか心に少し元気が出たような気がした。


ここ数日の悟りにも似た静かな気持ちも、こんなことで簡単に変化するならお笑い草である。


いかに私がちっぽけな人間かということを、きょうは思い知らされた。


さて、こんなところでどうでしょうか。

つまらぬエッセイではあるが、久々に書くことが出来た。

次回はもっと上質なものを目指しますので、こんなエッセイを読んでくださった方、本当にありがとうございます。

同時に、ごめんなさいでした。

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