カフェオレをスペイン語で



藤圭子さんの歌ではないけど(古っ!)、17、18、19と、私の人生暗かった。


そんなある日のこと、成田空港からパリのシャルル・ドゴール空港へ向かう飛行機に乗った。私は機内で、一生懸命スペイン語の教科書を見ていた。


パリを経由して寝台車でバルセロナに到着し、そして私を待っていてくれた島谷さんと会い、しばらく島谷さんの家の一員としてお世話になるようになった。


島谷さんは、スペイン人の奥さんと、4歳のななみちゃんと、2歳のゆいちゃんの4人暮らしだった。


ピソと呼ばれる古い石造りのアパートに住んでいて、四畳くらいの小さな部屋を、私に当てがってくれた。


シャワーはなく、まだ冬だったこともあって、台所で、タライにお湯を汲んで身体を洗うというあんばいだった。


奥さんは毎日のように私を市場などの買い物に連れて行ってくれ、ついでにスペイン語も教えてくれた。

ちなみに奥さんは日本語はペラペラだった。


ある休日、皆で散歩した時、バールという、日本でいう喫茶店みたいな店に入った。

島谷さんに促され、

「カフェ・オ・レ」

と注文してみたら通じたが、スペインではカフェ・オ・レとは言わず(カフェ・オ・レはフランス語)、カフェ・コン・レーチェというのだと知った。


私が注文したあと、島谷さんが、

「タンビェン」

と言ったので、「タンビェン」って何? と聞くと、私も同じ、の意味だと教えてくれる。


こんな具合で私のスペイン語の上達は遅かったが、私は少しも焦らなかった。

むしろ、楽しかった。


皆でコーヒーを飲み、そしていよいよお勘定となった時、島谷さんが私に

「やってみる?」

と聞く?


私は頷き、その日の昼勉強した言葉を試してみた。

「クワント エス?(いくらですか)」

と、店のおばさんが、

「シエント ベインティ シンコ」

と言う。


私は頭の中で復唱し、数字を探し、

「わかった!」

というと、島谷さんと奥さんは、

「ホント? いくら?」

「125ペセタ」

「おっ、やるねえ」

と、2人とも嬉しそうに褒めてくれる。


こんな調子で、私は少しずつスペインの生活に馴染み始めた。

シャワーがないだけでなく、トイレはすぐ詰まるし、水は大きなタンクを持って買いにいかなければならないし、色々な文化の違いに戸惑っていたが、何しろ島谷さんというオブラートがあったので、それはそれで楽しかった。


今のバルセロナを私は知らない。

しかし、私はこのように、40年前のバルセロナを鮮明に覚えている。


色々と暗いことばかりだった私の青年期に、こうして光がさし始めたのだった。


1話完結をうたっているので、一旦この話はここで終わるけど、書けたらまたスペインの生活について書こうと思ってます。


ただし、40年前のスペインの生活について。


興味があったら、また読んでください。

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