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 生きる意味について」への応援コメント

  • こんにちは。先日拝読いたしました所だけでしたが、それだけでもいいと思いましたし、コメントのご返信をいただいて、馬が合いそうだと思いました。生きると言う命題については、私にとっては小学校二年生からのものです。結婚してからの生が長いとはいえ、幼い頃感じたり考えたことはやはりつきまとってくるものかと思います。暗い話になりますので、詳細は書きませんが、私もご子息と同じ疑問を抱いたことも抱いていることもあります。先日、夫から叱られました。この頃複雑な環境に置かれており、前後関係を忘れましたが、ママは普通のお母さんからみて一般的ではないと息子に言われたので、ぽつりとがんばって話したのですね。初めての育児で行き届かなかったことも多かったけれども二人目の娘にはやらなかったこともあるのですよとか(言いませんが、デパートへ木製の玩具を見に行ったり、ベビーマッサージ教室で習ってお家でもしていたりとか。看病とか)話したら、私の耳が遠いのを理由に大きい声で話されたので、声が枯れてしまったのです。そっちへ行って話そうかと言っても断られるし。こんなゴネゴネなシーンが偶にあるのが残念ですが、見付けられないけれども、なにか、きっとなにか生きる意味ってあるんですよね。全く得意なこともない私ですが、先日、下手の横好きでやっておりました絵に触れてくださり、嬉しかったです。全くの他人ですが、無断商用利用の上加工されてしまい、私の名前をカットされたジャケットが出回ることがあったので、流石に困り、夫にもうひとさまに見せるの禁止令が出されてしまいました。私はね、今は実の母が、私の名前を呼んでくれる日が来たら嬉しいと思っています。他にもあると思うけれど、書き散らしてごめんなさい。m(__)m

    作者からの返信

    いすみ静江さん。
    読んでくださった上、丹念なコメントありがとうございます。

    静江さんの細かい環境や考えは分かりませんが、私は最近、人は幸せになるために生きているのだと思うようになりました。
    そして幸せとは、金がたくさんあるとか、そういうことでなく、心の状態だと思うのです。
    自分は幸せだな、そう思えれば、それが最高の幸せであり、それは骨折してベッドに横になっていても、「自分は面倒見てもらえて、ご飯にも困らず、幸せだな」と思えればそれは幸せなのであって、たとえ、たとえば貧しくとも、幸せを感じることは、つまり幸せになることはできるのだと思います。
    これが今の私の考えです。
    コメントありがとうございます。

  • 十代二十代の頃、生きる意味とか自分にはなにができるのか考えて、すごく苦しかったです。
    今の私はのほほ〜んと生きていて、楽ですけれど……。レネさんのこのエピソードを読んで、大切なことを思い出した気分です。
    大きなことを成し遂げられなくても、誰かを幸せにできたらいいなって思います。

    作者からの返信

    人間にとって、月並みな幸せこそ黄金で、その意味ではご主人やお子さんを幸せにしてあげられたら、そわ香さんも1番幸せなのかな? と、私は思います。

  • 自分一人のことしか考えていない間は見つけにくいのかも知れないですね。
    愛する者のためと言いきれるって強みだなあと思いました。

    作者からの返信

    でも、愛するもののためにと言っても、結局は自分のためなんです。
    愛する人にしてあげるのが自分にとっていいからしてあげる、自分にとって意味を感じるからしてあげる。
    結局は、自分のためなんですよ。

  • 生きる意味…。以前、悩んだり考えました。だがある人に言われました。そんなのは無いと。たまたま生まれてきただけだから、そんな事を考えずに生きたら良いと。テレビに出ていたり本を出していた方でしたから、そうかな?と思いました。今は、余り深くそんな事を考えません!むしろその方が楽。考えなくても自然とやりたいとか、なる方へ行くのかも?それで良いのでは?いちいち考えなくても。今はそう感じています…。

  • レネさんの考え、とてもよく分かります。レネさんもよくご存知のように、ウチの息子がしょっちゅう言うヤツですね、生きる意味とか生きている価値とか。
    意味なんて、死ぬまで分からんと思うし、ひょっとすると死んでも分からないのでは、と私は思ってます。
    生きる意味がないと思うなら、そしてそれがむなしいなら作ればいい。後付けでもなんでも、これが自分の生きる意味や!!と思い込んでしまえばこっちの勝ちだと私は思います。暴論でしょうか??
    それでも少しずつ、息子にもその考えが伝わってきたような気がします。

    作者からの返信

    カースケさんは、とんでもなく早熟なのでしょうね。
    おっしゃる通りだと私も思います。
    生きる意味は自分で見つけるしかないのですから、無限にある物事の中から、これが俺の生きる意味だ、と思えれば、人生の問題は半分解決したようなものだと思います。
    もしカースケさんが、そういうものを見つけつつあるとしたら、何と幸いな事でしょう。
    私も、さすが私の子供で、その厭世ぶりには悩みましたけど、とにかくどんな些細なことでも褒めてやって、褒めて褒めてしているうちに、いつの間にか生きる意味とか言わなくなりました。
    ただ、来年から社会人なので、まだまだ心配ですが。
    とにかく、後付けでもこれが生きる意味だと思えれば、仰るとおり勝ちですね。応援しております。
    コメントどうもありがとうございました。

  • 素敵なお父様ですね。

    私は「生きる意味」……棺桶入る寸前まで分からないかもしれません。
    神様を信じておられるんですね。創造者、全知全能、唯一神、絶対者の神を信じた
    方が生きるのが楽になるのかと思います、私。

    作者からの返信

    ちょっと作品を拝読した限りでは、ハナスさまはとてもお幸せそうだと感じました。
    それだけで、生きる意味に満ちているのではないかと。
    幸せだったら、それだけで生きる意味になりますもんね。
    どうぞ、今後もお幸せでありますように。
    コメントありがとうございました。

  • 生きる意味。
    私はメンタルが下がるとそれが未だに希薄になってきて、私に存在価値はないのでは?とか、役に立たないからもう消えてしまいたいとか思います。

    どうも私は誰かの役に立たないと生きている意味がないと思ってしまうようで。そう育てられたからかもしれませんが……。

    高校生のころそれを一時期模索していて、人間が生きるのは、自分の子孫を残し、その子孫に地球を残すためだとかなんとか思ってました。若かった……。
    その頃の考えによると私は子供がいないのでほんと生きてる意味なくなってしまう。

    ただ、私は生きる意味は未だによく分かりませんが、日々の幸せを感じられるほどにはなっているので、それで良いのかなとも思っています。

    そして、生きる意味はわからないのに、生きた証は残したいんですよ。我がままなんです。
    小説を書くのもたぶんそれです。
    書いたものは読まれるか読まれないかは別として残るから。

    ちなみに私は祖父が住職でしたので仏教徒でしたが、主人と結婚してカトリックになってます。まだ神様の存在を身近には感じられませんが、いらっしゃるとは思いますし、いて欲しいと思います。けど、レネさんと同じく、神様を信じていようと生きる意味は自分で見つけるものだと思ってます。
    だからこれからも模索します。

    作者からの返信

    天音さんと私の考え方はかなり似てますね。
    別にこれが生きる意味だ、というものがなくても、自然に生きていられる程度に幸せならば、それは素晴らしいことではないでしょうか?
    そして自分が生きた証は残したいと言うのも私も同じです。ある意味では、カクヨムが私はその証だと思っています。
    そうですか、おじいさまが住職で、今はカトリックですか。私も特定の宗教はありませんけど、歳と共に信仰心は深まる一方です。
    信仰はその人にとって大きなもので、天音さんはクリスチャンになれたのは羨ましい気がします。
    生きた証を残すためにも、今後も頑張りましょう。
    きょうもコメントありがとうございました。
    よい1日を。

    編集済

  • 編集済

    息子さんの「生きる意味がない」って気持ち、とても分かります。
    生きる意味がないと、意義がみつからないので、とても苦しいと思います。

    自分の子供をみていても、この位の勉強とかできだと、だいたいこういう
    人生みたいなのが、周りから洗脳されているので、すごく人生がさせられて
    いる感じに思えます。

    本当は、自分が自分の人生を選んでいいはずなのに、
    自分で人生を切り開いている人が、あまりいないので、
    怖いですし、このまま周りに合わせていた方が楽だと思ってしまう。

    私もそう思っていたので、とても苦しかったですが、
    私は、自分を幸せにしたり、楽しくしたり、面白くする意味だけを
    選ぶと決めました。

    だから、どんな結果でも、自分の気持ちを一番に大切にしてあげられたと
    思うと、すごく幸せです。

    レネさんや息子さんの人生を、もっともっと楽しくなる
    意味がたくさんみつかりますように。

    作者からの返信

    shimo55さま。
    人間はどこまで行っても結局最終的にはエゴイズムがゼロになるということはないと思います。
    その意味で、結局、自分が楽しいか、自分が苦しくないか、という基準で物事を選ぶのは当然であると思いますし、私も、息子も、結局そうだと思います。
    それでいいのではないでしようか。
    息子も少しずつ変わってきて、来年は社会人なので、また悩むこともあるかもしれませんが、それは仕方ない。
    少しでも、自分に合った、いい人生を送ってくれることを願っています。
    読んでいただき、コメントまでいただいてありがとうございました。

  • 生きる意味について考えていたころ、怪しい新興宗教に引っかかって危うく大金を巻き上げられそうになったことがあります…。
    僕は、今でもたまにそういうことを考えることがあるのですが、考えている間も考えてない間も自分が生きてしかいないことに気づきました。息をしているし、五感もあるし、生きているということが分かりすぎるのです。思い返せば死んでいた期間はなく、常に生きてしかいなかったです。そしてこの束縛からは、死ぬまで逃れられない。
    生きているしかないとわかったのに、なんかたまに生きる意味を考えてしまうんですよね。この束縛からも死ぬまで逃れられないと思います。

    作者からの返信

    島尾さまは奥深い方だと私は思いました。
    結局、何をガタガタ言おうが考えようが、自分が生きている事に変わりはないですもんね。
    島尾さまのおっしゃるとおり、そうしてなんだかんだ考えながら、結局生きていくのが人間なのかもしれませんよね。
    ところで、大金を巻き上げられずに済んで本当によかったですね。