3 幻魔兵

 三体がエフェスへ向かって疾走はしった。風のような速度を、しかし全てエフェスのレイピアが捉えていた。すれ違った次の瞬間には、一体のゴベリヌスの胴から臓腑はらわたが溢れた。一体の頸動脈から血が飛沫いた。もう一体はマーベルの真正面に落ち、割られた頭蓋から黒々とした液体をこぼした。全て即死である。

 

 騎士たちが抜剣し、ゴベリヌス二体に応じる。たった二体でもゴベリヌスの手数は多い。両手両足による攻撃の上、尋常ではなく速いのだ。壮年の騎士はそれでも何とか捌いている。残る四人は完全に押されていた。一人が瞬く間に胸と下腹を穿たれ、崩れ落ちた。

 

「すみません、ハイダン卿……」

「フェイダス……!」


 壮年の騎士が沈痛な声で部下の名を呼んだ。最早死んでいる。

 

 エフェスが跳躍した。二体のゴベリヌスが阻むように動いたが、その肉体は二つに切断されて地に転がった。

 

 騎士と幻魔兵を挟む位置に着地した。二度揮われたレイピアの切先が、ゴベリヌスの脊髄を正確に断ち落とす。

 

「やるではないか、やるではないか……ゴンバザ流槍術を学んで二十五年、これほどの剣客はついぞ出逢わなかった」

 

 残る一人が前に出た。エフェスが踏み込む。繰り出した剣を、槍が受けた。身の丈七尺に及ぼうかという巨体の幻魔兵オルクス――ゲッグス師範である。

 

 オルクスは醜い口元を嘲笑の形に歪めた。エフェスは一度後退し、敵と距離を置いた。

 

「借りるぞ」


 エフェスはレイピアを押し付けながら、今度はハイダンの長剣を手にしていた。呆れるほどの手並みである。


 ハイダンが抗議の声を上げる前に、マーベルはレイピアを見た。刃こぼれが激しい。研ぎに出しても再び使い物になるか怪しかった。新品に近いこの剣を、よくぞこの短時間で酷使出来たものだと思う。


 今エフェスの手にした剣はレイピアより肉厚で長い、より実戦向けのものである。


「我がゴンバザ流槍術免許皆伝の技の冴え、味わえィ!」

 

 エフェスは無言で長剣を揮う。オルクスの槍が風切り音を上げる。鋼と鋼がぶつかり合い、薄闇の中に火花が舞い散る。オルクスの槍捌きは、ただの人間であった先程までとは明らかに勢いが違う。速さが違う。気迫が違う。エフェスはそれを受け流し、払い除け、躱す。

 

「ゴンバザ流槍術、百裂突をよくぞ躱した! だが次は――ぬおッ!」

 

 エフェスの斬撃が巻きながら、オルクスの肩口へ走る。紙一重で躱し、槍の石突を横に薙ぐ。エフェスが下がる。


「おお、見える、見える! お前の太刀筋が見えるぞッ!」


 オルクスの尻尾が跳ね上がった。槍の穂先めいた先端がエフェスの頬を掠める。横に跳んだエフェスを槍と尻尾が攻め立てる。剣一本で防ぎ続けるが、二の腕、脚、肩と傷が増えてゆく。

 

「先刻までの威勢の良さはどうした!? それそれそれそれ!」

 

 オルクスの笑みが獰猛さを増す。エフェスは、しかし一切の動揺の色も浮かべていない。

 

 マーベル含む騎士たちは傍観するしかなかった。攻防の激しさに迂闊な横入りを躊躇ためらうのは無論だが、それ以上に武の道に生きる者の性質として、固唾を呑んで戦闘の成り行きを見守っていた。

 

 五十合は打ち合わせた頃だろうか。次第にオルクスの笑みが消え、徐々に驚愕の色彩を帯びてゆく。


「貴様……」

「もう慣れた。概ねわかった。お前の槍は下らん槍だ」


 鋼が打ち交わす音を切らすことなく、エフェスがそう断じた。それでいて紫水晶の瞳はじっとオルクスを見据えている。


「人として技を磨くならまだしも、魔に魂を売り渡した。お前にその流派を名乗る資格はない」


 一層力強く長剣が揮われた。銀の筋が走り、尻尾の槍が甲高い破断音と共に弾け飛んだ。槍の穂先に似たそれが壮年の騎士の脚元に突き刺さる。


「ぬがッ!?」


 オルクスが驚愕の呻きを上げる。

 

 剣の速度が増した。もうマーベルの眼でも捉えきれない。三箇所ほぼ同時に、無傷だったオルクスの手足から血が噴き出す。エフェスの逆襲はオルクスの攻めよりなお苛烈だった。オルクスの指がもげ、眼が裂け、耳が斬り飛ばされた。

 

 一瞬だけ、剣の攻め手が緩んだ。オルクスはそれを疲労のためと解釈した。

 

「馬鹿め! 我が必殺の一撃を受けよ! ゴンバザ流槍術奥義――」


 必殺の一撃は放たれない。永遠に。エフェスの踏み込みと共に剣が銀の流星と化す。同時に、オルクスの首は宙に舞っていた。


「天龍剣、〈貫光迅雷〉」


 振り向きざまの残心と共に剣を血振りした。装甲に覆われた頭が落ちる。

 

 騎士たちがどよめいた。エフェスの剣に度肝を抜かれただけでなく、八つの幻魔兵の屍が、黒紫の焔に包まれたからだ。

 

「おお……な、何なのだ……?」

「幻魔兵。噂にも聞いたことがあるだろう。覇国の異形の兵を」


 長剣を担ぐようにして、エフェスが騎士たちへ近づいた。


「これがガウデリスの!?」

「馬鹿な、これでは魔物ではないか……!」


 マーベルは彼らの驚愕が理解出来た。霊脈レイ・ライン由来の魔力マナで命を繋ぐ生物である魔物は、百年前から相当に数を減らし、今では見ること稀だった。

 幻魔兵がその力を奪ったというエフェスの言を信じるならば、それはおよそ通常の人知を超えていた。魔術師の手が入ったとして、姿といい機能といい、果たして人をここまでの異類異形の生物に変貌させしめることが可能なのだろうか――


 くすぶるように幻魔焔が消えた。残るは塵だけである。壮年の騎士が額を押さえ、途方に暮れたような溜息を吐いた。

 

「貴様――否、貴公は一体何者なのだ、ドレイクとやら!? 部下共々命を救われたのは礼を言わせてもらう。二名は死んだが、それも武門の常だ――だが、マエリデン侯爵の首を刎ね飛ばしたと思ったら幻魔兵とやらと交戦して……そんなことより、どうやって牢から出たというのだ!?」

「それは全部どうでもいいことだろう」

「何ッ!?」

「ハイダン卿、抑えて! それからエフェス・ドレイク、あなたはちょっと黙って!」


 マーベルはエフェスとハイダンの間に割って入った。この場でエフェスに任せておけば話がこじれるだけと判断したからだ。


「……彼の名はエフェス・ドレイク。ガウデリス覇国の敵を名乗っています」

「侯爵を殺害したのは」

「彼が覇国にアズレアを売り渡さんとしていたため、と申していますが」


 マーベルはちらとエフェスの方を見た。ハイダンも含め騎士たちは彼を露骨なまでに警戒しているが、その剣の恐るべき技倆を目の当たりにしているため、手を出しかねているようだ。それに、生命を助けられたのは紛れもない事実なのである。


「……その侯爵なのだがな、遺体が行方不明なのだ」


 意外な言葉に、マーベルが虚を衝かれた。


「何があった?」


 エフェスが語気鋭く促した。ハイダンは彼に胡乱げな視線を向けたが、髭の生えた顎をさすりながら応えてくれた。


「侯爵邸で家族だけの別離の儀を行なっていたのだが、司祭が来た時には家族は皆殺害され、遺体が消えていたというのだ。エフェス・ドレイク、貴公にはこの謎がわかるか?」

「家族も死んだか」

「ああ。妻に老母、娘二人の仲睦まじい家族だった」

 

 マーベルは、エフェスの眼に凄まじい光がよぎるのを見た。それは一瞬だけで、すぐ透徹とした眼に戻っていた。

 

「……奴が本丸だったか。大公は、どこにいる」

「本丸だと?」

「どこにいるんだ、大公は。危険だぞ」


 怪訝に口を開きかけたハイダンを制して、マーベルが明かりの着いた窓を指差した。

 

「あの部屋が大公殿下の寝所よ」


 それこそ疾風のようにエフェスが駆け出し、壁を登り、窓から窓へ、露台バルコニーを跳躍して渡っていった。

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