4 髑髏

「大公殿下、覇国にくだられよ。さすれば領土は安堵され、民も安寧に済みましょう」


 部屋には二人の男が向かい合っている。ガウンを来た三十路半ばの男がアズレア大公モンドだろう。大公に説諭する年嵩の男は、何とマエリデン侯爵だった。エフェスによって刎ねられたはずの首は、ちゃんと存在していた。


「覇国の勢いは最早燎原の火に等しく、近くクーヴィッツの国境も崩れましょう。その前に、よしみを通じるのです」


 大公は椅子に座ったまま、じっと侯爵を見つめている。死した人間が復活したことへ、喜ばしさより困惑が勝っているのだろう。


「覇国を統べる君主――覇王は、確かに敵への扱いは苛烈であります。しかし降った者への扱いは寛大にして慈悲に溢れ、まさしく一大の覇者と言えましょう」


 説諭は奇妙に必死さを帯びていた。侯爵が更に言い募ろうとするのへ、大公が片手を上げて制した。


「……マエリデン侯爵、卿は先代である父の頃からよく仕えてくれた。無論、マエリデン家がアズレアの譜代であることも理解しておる。卿はまさしく股肱の臣と言える」

「大公殿下、それでは」

「しかし――」

「交渉の余地はない、大公殿。相手が懐に刃物を呑んでいるとなれば、尚更だ」


 エフェスは露台バルコニーの窓から入った。その顔を認め、大公も侯爵も驚きの表情をした。


「何者か? 名乗れ」

「お気づきの通り、そこのマエリデン侯爵を刎首した者だ。名を、エフェス・ドレイク。非常時にて、帯剣を失礼する」


 大公の誰何すいかに答えながらも、エフェスはマエリデン侯爵との距離を測った。十歩余り。大公の寝所はそれなりには広い。しかしエフェスが全力で仕掛けるには不十分だ。その上厄介なことに、同じ部屋のソファには公妃が眠そうな幼い娘を抱いて座っている。大公への人質のつもりか。露台からでは陰になって見えない位置だった。

 

 エフェスは決意した。

 

「……二十年前、白虎平原に於いてガウデリス氏族は割拠する二十八の部族を平定せしめ、以てガウデリス覇国と称した。しかしそれを肯んじなかった部族はどうなったか?」


 皆、無言である。エフェスは室内を見渡し、言った。


鏖殺おうさつだ。三つの部族の六十万の民が、老いも若きも男も女も病人も、一切を問わず殺戮された」


 大公が眼だけで頷いた。小心そうな男だが、人として必要な事柄はわきまえているようだ。


「時代を下って五年前、小国ウェキネが向こう百年は草木も生えぬ『瘴土しょうど』に変えられた。覇国の進軍の通り道にあった、それだけの理由だ。これに限った話ではないが、降るとは生殺与奪の権を譲り渡すということだ」

「その話は私も聞いておる。虚構とまでは言わぬが誇張と思っていた」


 ためらいがちに大公が口を開いた。エフェスが応じる。


「ロイデンとムナモロスの話は、大公殿?」

「酷い有様だそうだな、ウェキネ程ではないが」

「ロイデンの王室は一人残らず首都から連れ去られ、行方は未だ不明だそうだ。ムナモロスは赤子の王が傀儡かいらいとして立てられ、覇国がいいように民を搾取している」


 口角泡を飛ばして、マエリデン侯爵がエフェスを指弾した。


「殿下! 股肱の臣たる私を差し置き、そこの男を信じると仰るのですか!?」


 大公の困惑の眼が侯爵の方を向いた。


「あの祝宴には、私もいたのだよ、侯爵。卿が首を刎ねられるところを直に見ていた。何故生きておるのだ」


 侯爵もその謎には答えられぬ。エフェスが紫水晶の眼で侯爵を睨みつけた。

 

「あんたは迂闊に動くべきではなかったな。首を刎ねられた時点でじっと死んでいるべきだったんだ。あるいはじっとしていられぬ理由でもあったのか」


 不意に、侯爵の身体から殺気が放たれた。大公と公妃が揃って、小さく痙攣けいれんのような反応を示した。


「……何故背いたのだ」


 脂汗を流しながら、大公が問うた。その問いに対し、侯爵は下卑た笑いを浮かべて答えた。


「一流の武芸者であるその男や、健常であった大公殿下にはわかりますまい。生まれつき喘息を持つ身の辛さは」

「……卿の家族を殺したのは卿自身か!」


 大公の怒声が飛んだ。いっそ開き直ったかのように、侯爵の口から哄笑が溢れ出した。


「ハハハハハッ! 夢でしたからねぇ! 健康な身体になって! 剣を揮うことが! だから武芸者を食客として養ったのですよ! あのような品性下劣な! 大言壮語の甚だしいゲッグスの如き輩を! 尤もそのゲッグスはそこな男が斬ったようですがね」


 エフェスは右足を半歩引いた。いつでも踏み込み、致命的な一撃を侯爵に叩き込めるように。距離は十分。しかし、予想通りだとすれば――

 

 口に笑みを残しながら、侯爵の眼から涙がこぼれた。心底からの悲嘆が、そこにあった。


「……妻も、母も、娘たちにも悪いことをしてしまった。私は彼女らのことは忘れない。今の健康は、彼女らの犠牲の元に成り立っているのだから。私は、家族の犠牲の元に健やかに生きるッ!」


 公妃が小さく悲鳴を上げ、娘を強く抱き寄せた。大公の顔が悲痛に歪んだ。


「卿は、そこまで……」

「狂ったか――あるいは狂わされたか……!」


 エフェスの呟きと殆ど同時に、侯爵の脚元から黒紫の焔が立ち上る。あらかじめそれを見計らっていたエフェスは踏み込み、十歩余りの距離を一息で詰めた。鋼の長剣が侯爵の首を再び刎ね飛ばす――


 刀身にはしかし、肉を斬り骨を断つ感覚はなかった。剣は水でも斬るかのようにするりと抜けた。エフェスは咄嗟に飛び退いた。次の瞬間、黒紫の焔――幻魔焔が侯爵を中心とする半径二尺(約六十センチメートル)圏内を取り巻くように燃え上がっていた。あの焔に触れれば、生者の肉体はただでは済まぬ。


 幻魔焔の中から攻撃が来た。床の天鵞絨ヴェルヴェットの絨毯が鋭く裂けた。エフェスは右に躱しながら胴薙ぎに剣を揮った。

 

 鋼の感覚と共に剣が止められていた。止めたのは頭部――更に言うならばその歯である。金属の髑髏どくろの歯が、幻魔兵を屠るエフェスの剣を受け止めていた。思わず呻き声のように呟いた。

 

「〈デュラハン〉……!」

「これが覇国に降る最大の恩恵ですよ、殿下」


 髑髏が愉悦めいた声で告げた。声帯を通さぬ、超常の声。ひずんでいるもののそれは確かにマエリデン侯爵の声であった。


 長剣を右手に、髑髏の頭部を左手に携えた、全身鎧の異形の騎士。伝承に謳われる首無しの騎士デュラハンがそこにいた。その体躯は明らかに以前のマエリデン侯爵よりも二回りは大きくなっていた。その首が長剣を噛んだまま、嘲笑うように言った。

 

「この力があれば、こんなことも出来る!」


 髑髏がエフェスの身体を投げ飛ばした。タペストリーの貼られた壁を背中でぶち抜き、部屋と部屋をつなげてしまった。デュラハンが言った。


「ほう、それでも剣を手放さぬとは」


 エフェスはちらと剣を見た。見事にくっきりと、歯型が残っている。刀身が鍔近くから僅かにだが歪んでもいた。初撃で仕留められなかったのが悔やまれたが、もう遅い。闘いは始まっている。エフェスは剣を構えた。距離は二十歩余りに開いてしまっていた。


「まだ戦意は衰えぬか……なら!」


 デュラハンの剣が黒紫に彩られた。揮われる剣。幻魔焔をまとった斬撃が、二十歩の距離を飛んできた。気迫の呼気と共に、エフェスはそれを撃ち落とす。攻撃が砕け散るのと同じく、刀身に亀裂が入るのを感じる。

 

「幻魔斬波を防ぐとはやるな……」


 今度は二度、斬波が飛んだ。二度、切り払う。刀身の亀裂が大きくなる。一歩前に出たところでまた斬波が来た。今度は前転で躱す。これで十六、七歩と言ったところか。


「どうやら騎士級の力はあると見た。余程念入りに調整チューンを受けたようだな」

「かなりのところまで知っているようだ。これはますます生かしておく理由がない」


 全身鎧の巨体が床を蹴った。脚元が絨毯を巻き込むようにして爆ぜた。十六歩の距離が瞬く間に詰まる。エフェスは剣を前に掲げた。エフェスの六尺の長身がまた吹っ飛んだ。木材と共に刀身の鋼が破片と化し、灯明に照らされて煌めくのが一瞬見えた。


「どうですか! 殿下! これでも覇国に降る理由がないと仰るか!」


 デュラハンが侯爵の声を張り上げた。


「何が力だ……」


 エフェスの闘気は萎えぬ。ゆっくりと立ち上がる。全身が痛む。呼吸すら苦しい。それでも敵を、デュラハンを睨みつけるのはやめない。


「力を揮うのは、この上なく愉しいよ。貴様は愉しくないのか、ドレイクとやら? 自分より弱い者を一方的に斬り刻んだりは?」

「それほど暇でも酔狂でもないからな……」

「そうか」


 斬波が飛来した。エフェスは横に転がって回避した。気づけば廊下まで出ていた。


「私は愉しかったぞ! 妻や娘たちの肉体を斬り裂く時でもな!」


 壁越しのエフェスを狙って、斬波が幾度も飛んだ。木材のみならず大理石や石膏の建材も一緒くたに斬り刻まれ、破片を撒き散らす。エフェスは致命傷を負わぬように避けるのが精一杯である。


 侯爵は、やはり愉しんでいた。人間であった頃に自分を何もわからぬまま刎首してのけた武芸者を、一方的に嬲り者にすることについてこの上ない愉悦を見出しているようだった。

 

 力を以てさいなしいたげること、それが健常な身体を求めていた頃からの望みであったのかはわからない。侯爵自身にも最早わからぬことだろう。


 わかることは、マエリデン侯爵がまさしく幻魔――身も心も魔性に売り渡した怪物に成り果てたという事実だった。

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