2  刀槍

 牢の出口は城の裏側にあった。周囲はもう暗く、篝火が焚かれている。中庭に差し掛かったあたりで、エフェスの足が止まった。

 八人の男がいた。いずれも得物は六尺の柄の槍である。侯爵の食客たる武芸者たちだ。

 

「ゲッグス師範」

「おう、これはマーベル卿ではないか」


 ゲッグスと呼ばれた禿頭の巨漢が大声で呼ばわった。巨漢は手にした六尺の柄の槍をこれ見よがしに掲げ、穂先をぎらつかせた。

 

「そこな男。侯爵の首を落とせしは汝であるか。囚人めしうどならば囚人らしくしておればよかろうものを。さては卿を質に鍵でも奪ったか」

「お前たちが来るのは予想していた。わざわざ出迎えに来てやったぞ。牢獄では八人は狭すぎるからな」


 居丈高なゲッグスに対し、エフェスは冷淡さで応じた。ゲッグスがマーベルに視線を向けたが、気にしないことにした。女騎士であれば今のような眼には慣れていた。


「フン、味なことを言う。腕に覚えはあるのだろうな。確かに刎頸ふんけいは困難な技であるが……所詮文官の首、据物斬りとさして変わらん」


 ゲッグスは頭上で槍を振り回した。その唸りの力強さや速度は自信に溢れ、堂に入ったものである。しかしエフェスは師範の言葉や技に対して感銘を受けた様子は一切なかった。冷ややかと言っていい視線は全く変わっていない。


「ともかくマーベル卿を解放してもらおうか。我らは食客として長きに渡り徒食の身に甘んじてきたのだ。仇討せねば侯爵に申し訳が立たぬ」


 解放も何もマーベルは何の拘束も受けていない。彼女が何かを言おうとする前に、エフェスが口を開いた。


「で、一つ訊いてもいいか?」

「何だ」

「金銭か、魔性か。どちらで結びついていた?」


 ゲッグスが口元だけでにやりと嗤った。獰猛な笑みであった。


「確かめてみろ」


 居並ぶ槍の穂先がエフェスに向けて突きつけられた。一分の隙もない構えである。

 それでもエフェスは顔色一つ変えなかった。透徹たる眼のまま、言った。


「面倒だ。まとめて、来い」


 篝火の中、ゲッグス師範の余裕顔が崩れた。禿頭を赤く染めて怒気も顕にし、大声で弟子たちを呼ばわった。


「貴様如き無頼など弟子共で十分よ! ゴンバザ流の名にかけて、ゆけィ!」


 ゲッグスが下がり、代わりに七人の弟子が前に出てきた。いずれもこの不埒者に一泡吹かせんと息巻く顔だった。

 

 エフェスが動いた。散歩めいた歩みである。気合の声とともに槍が次々に突きこまれる。それらをエフェスは躱すともなく躱し、手にしたレイピアを殆ど無造作に揮ってゆく。槍の螻蛄けら首が切断され、穂先が地に落ちた。


 男の一人が切られた槍のポールでエフェスの背後を襲った。それを背中に眼でもあるかのように躱し、手にしたものを奪って男を投げ飛ばした。男たちが次々と打ちかかってくるが、いずれの攻撃もエフェスには触れることがない。

 エフェスは踏み込んだ。手にした槍の柄は六尺棒となり、男たちを打ち据え、跳ね上げ、突き飛ばす。


 それほどの時間はかからなかった。残らず倒れ伏した弟子たちを、ゲッグスは肩を震わせて見下ろした。エフェスは呼吸を毛ほどの乱れもさせず、揺るがぬ眼でそれを見た。

 

「ゲッグス師範、どうした? 弟子たちはこんな為体ていたらくだぞ。まさか、師範が出ない訳がないよな?」

「……言われるまでもない! 醜態を晒した弟子の尻拭いは師の役目よッ!」


 エフェスは中庭の土にレイピアの切先を刺し、手放した。五歩の間合を置いてゲッグスが槍を、エフェスが棒を構える。禿頭の巨漢が眼を剥き、甲高い気合の声を上げて、槍の穂先をエフェスに走らせた。棒と槍が交差した。弟子たちとは異なり、音からして師範の槍は柄まで鋼鉄製である。エフェスは材質の差を全く気にせず、連続の刺突をいなしながら前に踏み込む。再度武器が交差した。ゲッグスの右手から槍が落ちた。巨漢の顔は苦悶に歪んでいた。手の甲を砕かれたのだ。尤もその一撃はマーベルの眼からしても不明瞭である。

 

 二人は向き直り、柄と棒を打ち合わせた。棒がゲッグスの両肩と胸を突いた。巨漢は槍を取り落としながら鼻を抑え、後退りした。指の間から血が溢れていた。


「おのれ……ッ!」


 エフェスが相当に加減をして打っていることが、マーベルでも理解出来た。彼が本気で急所を打てば、皆即死は免れないだろう。傍観者であるマーベルにさえわかったことが、対戦者であるゲッグスにわからないはずがない。

 

「これで終わりか?」

「何のこれしき……!」


 ゲッグスは顔を上げた。鼻から下が血に染まり、凄惨とも言っていい表情だ。


「弟子たちよ! 立て! 立つのだ! ゴンバザ流槍術の名に懸けて奴を殺せッ!」


 師の声に、操り人形めいた動きで次々と弟子たちが立ち上がった。ゲッグスが雪辱の気炎を吐く。両手を大きく広げ、右手は拳に固め、血走った眼には殺意がみなぎる。

 

「若造に眼に物見せてくれん! 装甲!」

 

 拳と掌が胸の前で叩きつけられた。北方武門に於いて抱拳と呼ばれる儀礼である。そしてそれは、異様な現象を巻き起こした。周囲に風が起こり、黒紫に燃える禍々しい焔が師範を覆い隠す。

  

 立ち上がった弟子たちも「装甲」と口々に呟き、抱拳を行なう。八つもの紫焔が起こったが、熱はない。それが却ってマーベルには禍々しいもののように感じられた。

 

「これは何……?」

「幻魔焔――熱を伴わぬ超自然の焔。マーベルは、見るのは初めてか」

 

 掴みどころのない眼で焔を見据えながら、エフェスが呟くように言った。

 

「魔物、魔獣の力を奪って造りし幻魔甲冑。それを鎧った者をこう呼ぶ」

 

 同時に全ての焔が消える。そこには先程までの男たちの姿もなければ、炭化した死体もない。いたのは金属の光沢を放つ皮膚をした、異形のつわものたちであった。それらは皆、全身隈無くまなく鎧をまとった悪鬼という印象を与えた。

 

「幻魔兵。――弟子共は〈ゴベリヌス〉……ゲッグスは〈オルクス〉――ようやく本性を現したな」

「幻魔……?」

「覇国の擁する魔性の軍勢だよ」


 エフェスは棒を捨て、土に刺しておいたレイピアを抜いた。

 

「そして俺の敵だ」


 透徹とした眼が、敵愾心に満ちた。

 

 肥大した頭部に細い胴体、小ぶりな角――ゴベリヌスたちが肉食獣を思わせる構えを見せた。得物は手にしていないが、伸ばしたその指先は研ぎ澄まされた刀槍のように鋭利だった。篝火の焔にギラギラと金属質の爪が照り映える。

 

 野太い悲鳴が上がった。マーベルはその方向を見た。

 

「な、何なのだ、此奴こやつらは!?」

「そこの貴様、何故牢から出ている!?」

「というかマーベル卿!?」


 六人の騎士である。彼らに気づいたエフェスが大声を張り上げた。

 

「死にたくなければこっちに来るな!」

「何を世迷い言を――」


 若い騎士が発しかけた怒声は永遠にかき消えた。顔に大穴が開いていた。遥か後方、石垣に穂先だけの槍が音高く突き立った。ゴベリヌスが投じたものである。

 

「――モナン!?」


 壮年の男が一拍遅れて犠牲になった騎士の名を呼んだ。モナンの肉体が倒れるのと殆ど同時に、二体のゴベリヌスが騎士たちへ走り出す。

 

 鋭く舌打ちし、エフェスもまた走り出した。

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