序章ー勇者SIDEー
長閑な田園風景が広がる。見渡す限り周りを緑が覆い尽くしていて、空を見上げるとやっと綺麗な青色が顔を出す。
ここはシュヴァルツシュタットの郊外にあるフォンリーベ。王都からは遠く離れ、周囲は広大な自然に囲まれており、そんな森の中にポツンとある集落である。
自然が豊かで一面に緑が広がっている地域。地域の住民たちは耕作および狩猟採集によって生計を立てており、小さなコミュニティであることから地域一帯が親戚のように仲良が良く、慎ましやかでありつつも楽しく賑やかに暮らしていた。
子供の遊びといえば、王都ではスポーツで遊んだりおままごとをしたりといった真似事遊びを主流としているが、田舎であるが故そういった遊びではなく、近くの森での狩りであったり、川で魚をとらえたりなどといった野生を生かした、将来に生きるスキルばかりであった。
そして、清廉とした空気や穏やかな天候に恵まれ、作物も十分に育ち安定した生活を住民たちは営んでいた。
そこに住む彼女ーーユウも例外ではない。着流しを身に纏い、ゆったりと流れる時間に身を任せている。ふわり、と黒くツヤのある長髪が風になびく。
彼女が縁側に座りながらぼうっと空を眺めていると、ひょこりと井戸の方にある洗濯場から顔を出した母親から声がかかった。
「ユウ、洗い物手伝ってくれる?」
「はーい、お母さん」
「洗濯終わったら好きにしていいから。何だったら隣の村に遊びに行ってもいいのよ?」
「隣の村かあ…確かに向こうの方が友達いるけど、文字の勉強しなきゃ」
「アンタも大変ね…」
「お母さんって、読み書きと計算はどうやって習ったの?」
「あたしは近所のお爺さんが、そういうのを縁側でアンタより少し小さいくらいの時に教えてくれたのよ。といっても読み書きはやっぱりアンタが読むようなモノは読めないし、呪文も唱えられないからね」
「そっか…」
「そう考えると文字もすぐ読めるようになって書くこともすぐ出来るようになったあたり、やっぱりお告げは本物なのかもしれないわね。自分の娘がまさか勇者になるなんて思ってもみなかったけれど案外普通に育ったからビックリしたわ」
「わたしだって、物心ついた時にあなたは世界を救う勇者ですって周りから言われたけどイマイチピンとこなかったし、そもそもセキレイ村は平和だから自分の土地以外では何かが起こっていて侵略もされているなんて思わなかったもん」
ここには、教育という概念がほとんどないので、学校がない。競争社会でも支配層と被支配層に分かれる階級社会でもなく、どの住人も同じ種であり同様の言語を話すため差別化はされず、皆が仲良くただ自然に囲まれて生活しているため、そういうものが発達しなかったのだ。
文字も書いて伝えるようなものはなくほぼ絵や象徴するものの形を書くことで大体の人間は理解でき、紐の結び目の数によって表したりもできたから必要もなかった。
魔王領への侵略は、幾度も昔からあったのだが、ラングツィヒではない場所から来た“勇者”と呼ばれる存在がこの地に飛ばされ、この世界を救ってきたらしい。しかしながら、かつて勇者たちがいた場所は、あまりにも超自然的現象が蔑ろにされたためか、もう勇者を目覚めさせ、此方の世界に送る力の源を失ってしまった。そのために、今度は勇者を輩出するシステムが出来上がった。
だから、勇者たちが遺していった数々の文献(先の文献は知識人が書いたらしい)を読み解くために言語の習得は勇者にとって必須だった。残されたかつての勇者が辿った道も、勇者たちがいた地域の言語でしか印が残されていない。
彼女には、文字を学ぶ以外の選択肢は残されていなかった。勇者として、ある種先天的にその運命を決定されていたからだ。
「ユウはつまんない、って思わないの?別にあなたの代わりはいるから、やらなくてもいいのよ。無理にやるっていうのだったらやめた方がいいわ」
「ううん、べつに。やる事もないし、学問があったほうが楽しいから。それに、わたしが勉強しなくて直ぐに負けたりしたら、また次の人が繰り出さないといけない。魔王領との戦いを知ってしまった以上はもう責任があるのかなって思う。自分がやらなくて誰かがやらなきゃいけないことになる連鎖を断ち切らないわけにはいかないよ」
彼女は母親の言葉に首を振ったのち、そう答えた。自分が与えられた役目であるから、運命だろうが偶然だろうが与えられた自分自身が全うするのが筋だ、と彼女は当然のように考えていたのである。
この時は、まだこの風習がいかに理不尽なことかと少しも考えたことがなかったのだ。
「…まったく、責任感が強いんだから」
「うーん?そんなつもりは無いんだけどな。でもなったものは仕方ないよ」
「そう考えてくれるならお母さんも気が楽だからいいわ」
「そう考えて!あ、勉強の前に何かすることある?」
「あ、そうそうこれ、お隣さんに届けに行ってくれるかしら?」
そう言って母親が手渡した背負えるカゴに沢山入っていたのは、ユウの家が育てていて今朝採ったばかりの野菜たちだった。太陽の光を目いっぱい浴びたのがわかるほどにつやつやだ。
「はーい」
どさり、と彼女は母親から渡されたものを受け取って背中にしょった。
走ればものの20分ほどで着くが、時間を掛けたいと思った。
しばらくして、家に着く。勝手知ったるというふうに、ユウは家の中に入って行った。
「おじさーん、おばさーん、お野菜が採れたのでお裾分けに来ましたー」
「お、ユウちゃんじゃねえか。いつもお手伝いして偉いなぁ。うちのバカ息子は山に入って遊んでばっかだ」
「ありがとうございます。…あれ、おばさんは?」
「あいつはウマさ乗って隣の村に薬草取りに行ったんだ」
「ユウちゃんが勇者とは思えないねえ…こんなにべっぴんな女子なのにな。うちの奴とは二日しか変わんねえのになぁ」
「おじさんは相変わらずお世辞が上手ですね。わたしも自分が勇者だ、っていうのは未だに信じられませんが、あの時間に生まれたのはわたしだけだったので、そういう運命だったんですね」
「何も女の子のユウちゃんに過酷な運命背負わせなくても良かったのにな、神さまも意地が悪い」
「わたしは女では三人目でしたっけ。一人目と十一人目の方が確か女性だった記憶はありますから、珍しいともいえますが前例はあるみたいです。それに、勇者になった人々は死亡した例はまだ無くてコテンパンに殺られた後でも、みなさん戻ってきていますから大丈夫ですよ」
「女の人たちは一様にみな、成果を出しているのも事実だしなあ。一番目のは街一つと森一つ取り返して軍備を整えたんだっけか?」
「十一番目は魔王領の3つ前の関門まで辿り着いたみたいですからね。時空間のトラップに引っ掛かってしまって生涯独身のお告げを受けてしまってショックで撤退したみたいです」
「ラングツィヒの逆襲もそこまでだったもんなぁ。男の勇者たちは魔王領の生物たちが繰り出す幻想にイチコロだったし、それにやられなかったやつも一部はスライムたちの粘液攻撃や蝙蝠男の超音波攻撃に嫌気がさしてみんな戻ってきちまってる。今のところまだ魔界に入った奴は居ねえし」
「修行のときに何度か戦ってますけど、一撃で倒さないとしつこいんですよ。どろっとしてるからヘンな攻撃されます」
「災難だなぁ。それに倒しても肥料になる訳じゃないんだろ?」
「倒すと鉱石になります。そのまま遺体が残っても色合いや成分的にも植物に害をなしそうですし、剣に出来るし装飾品にもなるのでそこは女としてはラッキーです」
鉱石はこの地域では珍しく、なかなか手に入らないから、手に入れられたらもうけものなのだ。正規ルートで売ればそこそこのお金になる。
「やっぱそこは女の子だなぁ」
「常に女ですよ…」
ずずず、と出されたお茶を啜る。ユウにはこの人の淹れるお茶はいつも熱くてつい行儀が悪いと知っていてもやってしまう。熱い温度は苦手だ。
「ただいまー…ってユウ来てたのかよ」
ゲッ、と態とらしく顔を顰める幼馴染に彼女は好戦的な態度を示す。
「うん、野菜届けに。いちゃわるい?」
「別に…つーかいつまでいるんだよ」
「おい、お前!ユウちゃんに失礼だろ」
「いいですよ、おじさん。コイツの態度のことはこれっぽっちも別に気にしていませんから」
これっぽっちも、というところを彼女は強調する。ベー、と幼馴染に対して舌を出してから、縁側から立ち上がる。
「んだよその態度!」
「べっつにー?」
「ほんと可愛げねえのな」
「可愛げなんて求めても無駄よ。あんたの周り、女はわたしとおばあさんたちとかしかいないじゃないの」
「うっせー」
「コラ!そんなこと言ってたらユウちゃんお嫁さんに来てくれなくなるぞ!」
「こんな嫁いらねえよ!」
「こんなとは何だ!こんなにも別嬪さんな幼馴染がいてオマエは幸せもんだろ」
「別に?」
つーん、とそっぽを向く幼馴染の態度は相変わらずだ。おもわずわらってしまう。
「素直になれよ!本当おまえっちゃ、」
「いいよおじさん、そんな言わなくて。それよりお母さんが心配してるといけないからもうそろそろ行くね?」
「おおそっか…気いつけてな!」
「うん、じゃあ!」
そういって、隣人の家を去る。何故か寄り道をしたい気分になったユウは、近くに流れている川へと向かった。
この地域は複雑な地形はあまり無く、ほぼ一本道沿いに民家や山が並んでいる。川も一本道傍を下ったところにある。ざりざりと砂利を踏みつけながら、川のほとりについた。
心地よい冷たさをはらんだ風を川辺に一人腰掛ける。
美味しい透き通っている濁りのない水。生き生きとしている緑色。そこにいる生物たちは皆が皆、自分は生きていると主張していた。
水面に自分の顔を映す。先ほどのことを思い出しているためか、どこか不満げな顔をしていた。
いつか幼馴染と結婚するのだろう。コイツのことはそんなに嫌いでもないからいいかな、とユウは昔から、漠然とそう思っていた。
何故なら、この地域は平均年齢は高齢化していて過疎化していて人口が少ないために、自然と同じ地域にいて歳が近いひとと生涯をともにする人が多い。かといって他の村落とは距離が遠く、出て行く気にもならないのだ。それに、自分たちは生育過程で面倒を見てもらい将来的に面倒を見る両親がいる、という考えを自然発生的にしているために外に出る気持ちが湧き上がらないのだ。
彼女は恋も愛もわからない。
その存在はそもそも外来の書物(主に地球)に載っているから知っているだけであって、もし彼女が勇者ではなく普通に育っていたらそれに交流することはなかっただろうので、知らずに終わっていた可能性もある。
そう考えれば、勇者になったことも悪くないと思えた。
「ただいまー」
がらり、と家の引き戸を開ける。今を覗くと、 母が笑顔で出迎えてくれた。
「おかえり、遅かったわね」
もう洗濯物をたたみ終わったのか、居間で彼女は寛いでいた。座椅子に座ってみかんを食べながら手招きしているので横に座る。
「うん、ちょっと話し込んじゃって」
「あ、ユウにいいたいことがあったのよ」
「なに?」
「ニホンってとこ、分かる?」
「もちろん。「イノチダイジニ」とかのニホンの呪文とかあるから大体は言語も把握してるわ。でも突然どうして?」
ニホンは人間界にある、科学文明の発達している場所で、ラングツィヒ王国のあるこちらの世界にも地球人にも人気の観光スポットだ。
「あなたももうすぐ招集掛かるんだろうし、一度行ってみたらどうかなって。近所のリロおばちゃんがしきりにオススメしていたわ。もちろん、勇者になったら暫く娯楽施設に出掛けられないだろうから息抜き程度にだけど」
もうすぐ招集。その言葉に今まで動かしていた手を止めた。そういえば、もうこの間招集された勇者で百八人目。彼女はいつ呼ばれてもおかしくない状況になっていることをやっと自覚した。
外の世界に行くのには時空間の移動をせねばならないから当然費用がかかる。鉱石何十個と引き換えに空間移動して、違う世界を体験するのはもったいないような気がしていたから、余計に行く気にもならなかったのだ。
だから彼女は誘われても今まで断ってきたけれども、今は違う。
暫く安定した生活や楽しい生活から離れなければならない時期が近づいてきている。
自由の軛は、もうそこまで迫ってしまっていた。
「ツアーなの?」
最近は転移陣を使用した、人間界ツアーが流行っている。フォンリーベは田舎のため、 ほとんどの人はいったことがないが、王都の貴族階級にはかなり浸透していた。
「そう。観光した後に【街コン】というのに参加して、また自由行動して再集合みたいよ」
「観光かあ…」
ユウにはマチコンが何かわからなかったが、観光のようなものだと考えて流した。
「興味ないかしら?今まで鍛錬ばかりで他の所に行ったことなかったみたいだから行ってみたら?」
「いって、みようかな」
「あら、珍しい」
自分で提案をしたくせに母親は酷くおどろいていて、クスリと一つ笑みをこぼした。
「ニホンのどのあたりに行くのかな」
「えっと、確かトウキョウだったかしら。ニホンの首都よ」
王都レベルの都市ということか。
「へえ、ってことは凄いところなんだ。人間界でもかなり発展している部類にはいるところかな、多分」
「そうなの」
「マチコンって何するのかな」
マチコン。ユウは聞いたこともない単語だった。ニホンはフォンリーベのような地域もあるときくから、野外アクティビティの1つだろうか。
「確か合コンっていう男女が出会いを求めてする会食を大規模で行うみたい」
集団でお見合いをするって感じかしらね、と笑いながらいう母に、笑い事ではないのではないかと思った。
しかし、これはチャンスかもしれない。
もし街コンが男女の馴れ初めを目的とするならば、ユウにとって馴染みのない、恋だの愛だのを実際に体験することができるチャンスなのかもしれない。
最後の自由を、何に使うかは自由だ。
「そっか、地球って規模は大きいけれど文明の発達が凄まじいから一つの地域に沢山の人が集まるのが容易なんだっけ」
「いい出会いがあるといいわね」
勇者にとって、それは不要なのかもしれない。だが、母にとっては、ユウに経験して欲しいと感じているのだろうな。
「うん、期待のない希望を抱いておくよ」
ふふふ、と二人とも自然と笑みがこぼれる。
この決断から、全てが始まった。
終末のランデヴー 天音 サトル @nv286
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