人工流星

第1話


 人が一生に読む本はどれくらいだろう。


 仮に、一日十二時間本を読み、一冊あたり三時間で読んだとしよう。一日四冊読める計算だ。人生を六十年とすれば、生涯で読むことのできる本は八七六〇〇冊という事になる。


 なんて少ないんだろう。この図書館の蔵書だけでも三十万は有る。人は一生に、この図書館の蔵書すら読めないみたいだ。


「おやおや? これはいけませんねえ」

「いけませんねえ」


 変なのが来た。


 ヨシツネとリコだけど。


「おいハルツグ。こいつは何だよ?」


 ハンモックのそばに積まれた本の山だった。


「わざわざ本棚まで取りに行くのが面倒だから」

「そうじゃねえよ。これ、何冊有んだよ?」


 リコが勝手に、いっさーつ、にさーつ、と数え始めていた。


「八冊です。隊長」

「よし。有罪ギルティ!」


 そう言って彼らは、俺のハンモックを振り子よろしく揺すり始める。


「よ、よせ! 落ちる! ……急に、何だよ?」

「俺たちは夏休み警察だ!」

「夏休みなのに暗い事をしてるハルちゃんを取り締まるのが仕事なのです! 百パーセント慈善事業だよ」

「ほっといてくれよ。俺はこれでも、結構、楽しいんだよ」


 まるで迷路のように並ぶ本棚。そこにギッシリと詰まった本。その一つ一つに、未知の物語や、新しい知識、他人の人生が書かれている。


 これは旅だ。


 お茶を片手に行く旅。


「暗い! 暗いよ!」


 ヨシツネが言った。


「この良さが分からんとは、お前さんたちが可哀想だよ」

「んー、このハンモックは良いですなあ」


 ふと、隣のハンモックにリコが乗っかる。


「お茶、要るか? 温いけど」

「苦いから要らない」

「あ、そう」

「俺は貰うぜ」


 そう言って、ヨシツネもハンモックに寝そべる。お茶を一口飲むと、彼は呟く。


「悪くねえ」

「だろう?」


 ここは図書館の二階。屋根や壁は経年劣化で半壊していた。半分、外だ。しかし、そのおかげで風通しは良い。日光が差し込むおかげで、樹まで根を張っている。緑陰が心地良い。夏でもそれなりに涼しく過ごせる。おまけに本も山のように有る。


「だけど暗いぞ!」


 ヨシツネが叫んだ。


「何か、もっとこう、パーっと面白いことしようぜ! 夏らしくさあ!」

「何かって?」

「それは、……まだ決まってないけどよ」


 そうなのだ。夏休みと聞くと、何となく心が弾んで、特別な何かをしたくなる。ただ、その特別な何かが、何なのか分からない。ソワソワしているうちに時間が過ぎてしまう。


 もちろん、毎回、同じ失敗を繰り返すつもりは無いけど。だから、俺はこうして図書館に来たのだ。


「これ、見てみろよ」


 俺は、読んでいたページをヨシツネに見せた。リコも横から覗き込む。


「黒色火薬!? 何だよ、それ?」

「硝石、余っただろ?」


 二人が苦い表情をする。アイスクリームを作るために苦労して採りに行ったのに、結局、必要が無かったあれだ。


「あれで黒色火薬が作れるんだ。まあ、花火だよ」

「「花火!?」」


 二人が目を輝かせる。


「まずは硝石の精製だな。……精製ってのは、不純物を取り除く事らしい」


 俺は本を片手に説明する。


「綺麗にするって事?」

 

 リコが訊いた。


「多分、そんな感じ」

「アホかお前。クソなんか磨いたところでクソだろうが」


 ヨシツネが言った。


「クソじゃない。硝石だ」

「はあ……。何が悲しくてウ○コを洗わなきゃいけないんだよ……」

「ねえ、汚いよ」


 リコが不機嫌そうに言った。


 俺たちはまず、集めてきた枯草を燃やす。


 図書館の二階は屋根が崩れていて、半分屋外だ。多少、火を使っても問題ない。階段を降りれば、文字通り山のように本が有る。何か分からない事が有ればすぐに調べられた。


 枯草はプスプスと音を立てて燃える。白い煙がもくもくと登る。


「暑いー。ハルツグさんよお。これで花火が出来なかったら、俺はキレちまいそうだよ」

「じゃあ止めれば良いだろ」

「そしたら、ボクとハルちゃんで、花火独り占めにしちゃうから」

「はいはい。やりますよー」


 今度は、拾ってきたドラム缶に水を張り、そこに硝石を放り込む。水面に浮いてきたゴミは取り除く。


「次は?」

「えっと……、草を焼いて出来た灰を、ドラム缶の中に入れる」

「はーい」


 リコがドバドバと、ドラム缶に灰に投入する。


「それから、煮詰める」


 俺たちは廃材を拾ってきて、火を焚いた。その焚き火で、ドラム缶を熱する。


「……こんなんで、本当に花火が出来んのか?」

「本には、そう書いてある」

「信用できんのかよ?」

「一応、キチンとした装丁の本にはなっているから……」


 本を作るのも手間がかかる。昔の人だって、全く信用ならない情報を記すために、わざわざ本を作ったりはしないだろう。


 しかし、自信がない。


 グラグラと煮立つドラム缶。


 その中には灰と糞。


 その光景は余りにも奇妙だった。


「そもそも、ウ○コを灰と混ぜて、おまけに煮詰めるなんてどういう発想だよ? 狂ってんだろ」

「……まあ、普通は思いつかないよな」

「最初にやろうとした人は、どんな人なんだろうねー?」


 リコが言った。


「確かに……」


 俺たちは、この手順を踏めば火薬が出来る、という事を知っている(本の内容を全面的に信じるとして)。


 しかし、最初にこれを試した人は、そんな事は知らないはずだ。それにも関わらず、わざわざ糞を掻き集め、灰と混ぜて煮詰めるなんて事をした。


 何故。


 昔の人は、頭が良かったから、結果が予想できたのか。


 分からない。


 やがて、ドラム缶の中の水分が蒸発し、ドロドロと煮詰まってきた。


「……次は、火から下ろして、冷やす」

「はあ!? 有り得ねえ!」

「何だよ?」

「冷やすくらいなら、最初から煮るなよ」

「知るかよ……」


 ドラム缶は重い上、熱くなっていたので、俺たちは焚き火に水をかけて火を消す。


「それで?」

「こうすると、白い結晶が得られる、らしい」


 ヨシツネがドラム缶の中を覗き込む。


「無えぞ」

「しばらく待つらしい」

「本当かよ?」


 俺たちは暇を持て余していた。


「結晶が出なかったら切れちまうよ……」


 ヨシツネはそんな事をブツブツと呟いていた。


 しばらくして、俺たちはドラム缶の中を覗き込む。


「あ、あった!」


 その時、リコが叫んだ。


 確かに、ドラム缶の壁面に小さな白い粒が張り付いていた。


「ゴミじゃねえの?」


 ヨシツネが言った。しかし、粒はポツポツと増え、その一つ一つも次第に大きくなっていく。


「「「おお!」」」


 三人揃って歓声を上げていた。


 感動だ。


 純粋に、感動。


 未知に対する驚き。


 それは、このご時世、なかなか味わう機会の無い感情だった。

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