第3話


 昼食を済ませてから、俺達は漁港に集合した。漁港、といっても大層なものではない。桟橋にいくつか小舟が繋がれているだけだ。近くの防波堤で、漁師たちがビール片手に、網の修理をしていた。その頭上にウミネコがぷかぷか浮かんでいる。

「何で港なのさー?」

 リコが訊いた。

「分かってねえな」

 答えたのはヨシツネだ。

「ヨシツネは分かるの?」

「当たり前だろ」

「何さ?」

「アイスクリームを作るには、氷が必要だろ? 氷と言えば、海にでっかい氷が浮いてるじゃねえか」

「え!?」

「南極だよ。南極」

 リコが俺を見た。

「……流石に違うよね? ボクでも分かるよ」

「悪い悪い。間違えた。あれだろ? 北極だろ?」

「「…………」」

「じゃあどうしろってんだよ!? 北極でも南極でもないならよお!」

 ヨシツネが意味不明な怒り方をしていた。

「あれだよ」

 指差す。

「六本木島?」

「ああ」

 沖合に、ポッカリと黒い物体が突き出していた。あれが六本木島だ。かつて、あれは空に届くほどの塔だったらしい。ただ、地球温暖化によって海面が上昇し、水底に沈んだ。その真ん中より上だけが、、こうして波間に顔を覗かせているのだ。

「遺跡から昔の機械を発掘するってか?」

「違う。硝石だ」

「「ショウセキ!……って何ですか?」」

 別名、硝酸カリウム。化学組成はKNO3。

「ざっくり言えば、水に溶かすと冷たくなる。それこそ、アイスクリームができるくらいに」

「おいおい! そんな便利な物が有るなら、早く言ってくれよ!」

「保証はできない。有る、かもしれない」

「上等だろ。有るかもしれないなら。アイスクリームの為なら、火の中で、水の中でも行くぜ。俺は」

 北極まで行こうとしていたくらいだ。六本木島くらい行ってもらわないと困る。

「ちなみに、北極って何処に有るか知ってる?」

「ホッカイドウの上の方だろ?」

 間違ってはない。

「ホッカイドウは?」

「グンマの上の方」

 それも、間違ってはない。間違ってはいないけれど。地図が大雑把だ。

「舟はどうするの?」

 リコが訊いた。

「借りよう」

 防波堤をざっと見渡すと、釣り糸を垂れてる老人がいた。ジョウシマさんだ。歳をとってから海に出ることは無くなったが、それでも舟を持っていた。今では一日中、岸辺で釣りをしている。若い頃は凄かったらしい。

「リコ。頼む」

「はーい」

 リコが、三人でお金を出し合って買ったお酒の瓶を持って、走っていく。それから、しばらくジョウシマさんと言葉を交わしていた。遠目にも楽しそうな事が分かる。

「舟、借りるだけだろ? 何が面白いんだよ?」

「さあ」

 リコが戻ってきた。

「貸してくれるって!」

「「「ありがとうございまーす!」」」

 三人揃って、ジョウシマさんに頭を下げる。

「何だ。君たちも一緒かい」

「良いじゃねえか、シゲじい。アイスクリームが出来たら、シゲじいにも食べさせてやるから」

「アイスクリームって?」

「楽しみにしててくれよ」

 縄を解いて、舟を出す。

「にわか雨には気をつけなあかんよー!」

 岸からジョウシマさんの声が聞こえた。

「ありがとー!」

 元気一杯、リコが立ち上がって手を振る。

 重心が高くなって、舟が揺れた。

「バカ! 立つなよ!」

 ヨシツネが彼女の襟を引っ張る。

「酷い! 何するのさ!?」

「お前が何すんだよ! 転覆すんだろ!」

 しかし、その後は順調だった。

 本日は晴天。波も穏やか。オールを漕げば、その分、舟は進む。

「ヨシツネ。代わってくれよ。そろそろ疲れた」

「おう。任せとけ!」

 彼がオールを掴み、力強く身体に引き付ける。

 グググ、と舟が加速する。

「おお。速いな」

「当たり前よ!」

「ヨシツネ行け行け!」 

 リコが言った。

「次はお前の番だからな」

「ええ!? ボクも漕ぐの?」

「たりめーだろ!」

「あのさ、ヨシツネは忘れてるかもしれないけど、ボク、女の子なんだよ?」

「知ってるよ。漕げ。アイスクリームに性別は関係無えんだ」

「そうか……。アイスクリームの世界は厳しいな……」

 海の上。日光を遮るものなど無い。六本木島に着いた頃には、三人とも汗にまみれていた。

 波間に突き出た巨大な石塊。材質は何だろうか。僅か百年にも満たない過去、人間がこれを造り上げたのだと言われても、ちょっと信じられそうに無い。

「で、この中に硝石が有るのか?」

「かもしれない」

「良し。行こうぜ!」

 ヨシツネは、割れ目から、半ば倒壊したビルの内部に入り込む。そして、すぐに戻って来た。

「臭え! とんでもなく臭え!」

「コウモリが、寝床にしてるからな」

 塔の中には、彼らの糞が積もり積もっているのだ。

「あー、確かに」

 リコが納得したように言った。

「夕方になると、ここから飛び出してくるよね。黒い煙みたいに」

「なあ、ハルツグ。このクソの中に、ショウセキが有るのか?」

「多分な」

「マジかよ……」

「アイスクリームの為なら、火の中、水の中なんだろう?」

「クソの中とは言ってねえけどな!」

「そもそも、このコウモリの排せつ物が、硝石の原料なんだよ」

「「はあ!?」」

 簡単に説明する。

 硝石と言うのは、生物の排せつ物に含まれたアンモニアや尿素が、細菌に分解され、土壌のカリウムと結びついた物だ。

「ショウセキってウンコなのか!?」

「話を聞け……」

「でも、何でわざわざ、六本木島にまで来たの?」

「硝石ができる為には、条件が有るんだ」

 フンが有るだけでは、硝石は出来ない。フン以外に、硝石が出来る条件は二つ。一つは、雨が当たらない事。もう一つは、植物が生えない事。このビルの中なら、雨風は当たらないし、暗いから植物も生えない。

「……でもさ、アイスクリームの為には、この中に入って、ショウセキを集めないといけないんだよね?」

 リコが訊いた。

「ああ。そうなるな」

「うわあ……」

 リコはうんざりしたように言った。

「ボク、アイス、要らないかも……」

 その時、ヨシツネは舟に積んで来たシャベルを持った。

「……ヨシツネは、行くのか?」

「ああ」

 岩の割れ目からは、強烈な臭気が漏れている。この中は、どうなっているのか。悪臭で人が死にかねない。

 硝石を提案したのは俺だが、それでも、躊躇してしまう。

「ハルツグ。リコ。俺、思うんだよ」

 ヨシツネが言った。

「こんな暑い夏に、冷たいアイスを食べるってのは、普通は有り得ないんだよ。俺達は今まで、昔の人間が遺してくれた機械を使って、特に苦労もしないで、その有り得ない事をしてた。でも、有り得ない事をしようと思ったら、このくらいの苦労はしないといけないんだよ。そうだろ?」

 確かに、ヨシツネの言う通りだ。

 冷蔵庫。その中に、常に冬を造り出す魔法のような箱だ。それを造る為に、過去の人間がどれだけ苦労したのだろうか。技術を失くした今の自分には、とても想像できない。しかし、楽な事ではなかったはずだ。

「覚悟が決まったよ」

 俺もシャベルを持った。

「行こうぜ。ハルツグ」

「そうだな」

 目の前のビルの割れ目からは、とてつもない臭気が漏れ出している。

 それでも、俺達は踏み出した。

「二人とも、頑張ってねー!」

「リコ。手伝わねえ奴に、アイスは食わせないからな」

「ええ⁉」

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