7 彼女の意思

「それは参ったなぁ」


 ルミアは脱出の為の策を探しているのか、その結界や足元の魔法陣に手を触れる。

 だがしかし、この結界を破壊する以外に脱出する方法など存在しない。テレポートでも超えられず、そして地面の下にも結界が張り巡らされている。その証拠にシオンの背にあった半透明の結界も消滅している。つまりは完全に彼女は外の世界から隔離されているのだ。


「死にたくなければその霊装を解除するんだ。でなければキミが力尽きるまでキミの力を原動力にこの結界は生き続けるぞ」


 そしてそれを捨てた後、こちらが結界を解除した直後に素の力で奇襲されたとしても無駄だ。吸い上げた力の一部が徐々にシオンの手にも集まっている。これをうまく扱えば霊装を彼女の手の届かない所にやった上で叩き潰す事もできる。

 故に彼女は詰んでいる。こちらの価値は揺るがない。


「いやいやいや、まだ私は負けてないよシオン君」


「負けだよ。キミの負けなんだ」


「言ってくれるね」


「いくらでも言ってやるさ。僕は僕のちっぽけな出力とキミの化物じみた力を考慮したうえでこの選択をしたんだ。にも関わらず僕にその時間を慢心して与えた。そんな状態で僕に勝てると思うなよ」


 そしてシオンは笑みを浮かべてルミアに言う。


「僕を誰だと思っている」


 誰よりも評価され、誰よりも精霊を踏みにじってきた神童。

 それは誇れる事ではないけれど、この分野では誰にだって負けない。

 ルミアになんか、負けはしない。


「まったく、勝ち誇っちゃって。こんなこっちがお膳立てしてあげないと成しえない様な方法でさぁ、ちょっと恥ずかしくないの?」


「いいんだよ。地べたを這いつくばろうが、どれだけ汚い手を使おうが、何だっていいんだよ」


 そうだ。何でもいい。振りかえって誇れるものが何もなくても、この事実だけは誇ってもいいんだ。


「キミを倒せればそれでいい」


 あの子を守れるならそれでいい。


「ふーん。まあまあ買ったほうが正義って言うからね。それは物凄く正しいかなって思うんだ」


 その結界に手を触れながらルミアは言う。


「さて、ではでは一体キミと私、どっちが正義なんだろうね?」


「……何を言っている。僕が正義だよ。さあ、その霊装を捨てるんだ」


 だってこの結界は壊せない出られない。彼女が倒れるまで消滅もしない。

 完全に追い詰めて、反撃の余地すら無くしている。もうこちらの勝利は揺るがないのだ。

 だがその言葉にルミアは反応しない。


「いやー、それにしても凄いねシオン君。このままじゃこちらの霊装の一撃を最大出力で放っても壊せないっていうか、こっちが自分の力に殺されちゃうよ」


 その言葉に、不穏な物を感じた。

 ……このままじゃ?


 それはまるでそうでなければ突破できると言っている様だ。


「それになんか色々複雑というか、どういう原理で動いているのか良く分からないんだよね」


 そしてルミアは結界に手を触れたまま、一拍空けてからシオンに言う。


「たったの二十八パーセント程しか術式に侵入できない」


「……ッ!?」


 一瞬、いや、持続的に。目の前の女は何を言っているのだろうと思った。


(侵入? ……それも二十八パーセントだと?)


 精霊術のシステムへの侵入。対精霊術の技能。

 既に使用者の手から離れ、独立した状態で運用される精霊術のコントロールを奪う技術の結晶。

 アルダリアスの地下でも使用したシオンにしか成しえない精霊学の境地。


 それを……いくら術式構造が似ているとはいえ、精霊術ですらない可能性もあるその力に対し、四分の一も解析し侵入してきた。もし自分がなんの知識もない状態でこの術式と向き合って、それだけの事ができるだろうか?

 いや、そもそもルミアがそれを使えるという事そのものが驚愕だった。


「うーん、まあそれだけできれば十分かな。うんうん、何事も挑戦だ。いっちょやってみようか」


 そう言ってルミアは槍を構える。

 壊せなければ自分で自分を殺す事になると理解して居る筈なのに。


(……ぁ)


 一瞬ルミアと目があった。

 その目から得られる情報は確信だ。

 この術式を破ることができると。それを今から破るんだという確信。


「せーのッ!」


 そしてそんな軽い掛け声と共に槍の一撃が放たれた。

 激しい衝突音の末に聞こえてくるのは破砕音。

 そうして生まれた衝撃に煽られ、シオンの体が後方に転がる。

 殆ど動かなくなった体をどうにか酷使して体制を立て直し、正面を見据える。


(……なんの冗談だこれは)


 目の前に結界なんてものはもう存在しない。

 それを破壊して、ああ疲れたと言わんばかりに体を伸ばすルミアの姿だけがそこにあった。


「おーうまく行ったうまく行った。案外なんとかなるもんだね」


 そしてそう言いながらこちらに向かって歩く彼女は、彼の言葉を復唱する。


「僕にその時間を慢心して与えた。そんな状態で僕に勝てると思うなよ」


 そして嘲笑う様に。


「僕を誰だと思っている……ドヤッ! だってさ、アハハハハハハハハハハハハハッ! ヤバイ、マジウケるんですけど!」


「……」


 そうやってこちらを嘲笑うルミアに対して、放心する事しかできなかった。

 破られた。こちらの唯一にして最強の勝筋を失った。

 そして……失ったのはそれだけじゃない。


 そもそも出力以外ではこちらが勝っているという絶対条件。


 それさえも。その事実はどうであれ認識できなくなっていく。


 つまりは詰みだ。


 彼女の思惑通り、こちらを最高の状態で叩き潰す構図が出来上がってしまった。


「いやぁ、いいねえ。凄くいい。こう、アレだよ。やっぱり一方的にってのも良いけど、上げて落とすってのが一番良い反応するね」


 笑いながら、嘲笑いながら、ルミアは本当に楽しそうにそんな事を言う。

 そしてシオンに問いかけた。


「ねえねえ、今どんな気持ち?」


 目にもとまらぬ速度で距離を詰め、シオンに殴りかかって。


「ガハ……ッ!?」


 なんとか必死に起き上がろうとした所で溝内に拳を叩き込まれ、その勢いで地面を転がる。

 そういう事が起きたんだという事は理解できた。つまりはまだ生きている。

 まだ生かされて遊ばれている。これまでと同じように。

 だけど違う事があるとすれば、こちらに一切の打つ手がないという事だろう。


 だってこんなのどうすればいい?


「ねえねえ教えてよシオン君。今一体どんな気持ちなのかな? 簡潔でも長文でもいいよ。ルミアちゃんが聞いて差し上げよう」


 目の前からニコニコと笑いながら歩いてくる女をどうやったら止められる?


「……」


 どうする事も出来ない。彼女を結界に閉じ込めていた時にシオンがその手に収集した力を駆使しても、今の状態の彼女には傷一つ付けられないだろう。

 それこそこちらも彼女と同じ様な……否、彼と同じような事でもしない限りは同じ土俵にすら立てない。

 その手の黒い刻印が白く染まる様な事でもなければ、どうにもならない。

 そしてそんな事はできやしない。できなかった。

 シオンの手の刻印は黒いままだ。


「うーん、教えてくれないか。ああ、でももう一つ聞きたいことがあったんだけど、いいかな?」


 そう言ったルミアはシオンの視界から姿を消す。

 一体ルミアがどこに行ったのか。シオンには見当も付かなかった。

 それを見つける前に感じたのは誰かに後ろから抱き付かれる感覚だ。

 そして抱き付いてきた誰かはシオンの耳元で言葉を紡ぐ。


「なんかシオン君の連れてる精霊、感情戻ってきてるみたいだけど……あれ、何がどうなってるの?」


「……ッ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、激痛が走る体を必死に動かしてルミアを振り払いながら起き上がる。

 振り払えた。まるで何もない所で体を動かしたように、簡単に体が動いた。

 振り払われたルミアが居る場所。シオンの背後。振りかえってもそこには誰もいない。

 そして今度こそ背後から。ルミアが突然消えたその場所から、その言葉は紡がれる。


「いやいや、こんな簡単な幻術に引っかかるなんて。もう完全に取り乱しちゃってるね。シオン君らしくない」


 その言葉に反応して再び振り返ると、そこにはもう既にルミアが立っていた。


「えいッ!」


 そして額に放たれたのはデコピンだ。たかがそんな物で体が勢いよく仰け反り再び地面を転がった。

 そしてそんな額を抑え蹲るシオンを見降ろす様に立っているルミアは問う。


「あー、それでさっきのなんだけどさ、正直な話どうなってるのかな?」


「……」


「それともシオン君にもさっぱり分からないのかな? まあ分からないならそれでいし、別にやる事変わんないんだけどね。あー、一体何をしたら分かるのかなー。なんだか色々楽しみだなー」


「ふざけ――」


「ふざけてませーん」


 言いながら、シオンの腹部を踏みつけ踏みにじる。


「グァ……ッ」


「今日もルミアちゃんは世の為世界の為、人類の発展に尽くすのでした」


「……」


 駄目だと、そう思った。


「さぁ、帰ったら何からしようかなー。今から楽しみだなー」


 それだけは駄目だと、そう思いながら指を動かした。

 もう何も考えなくても分かる。


(……僕は此処で殺される)


 目の前の女のふざけた思考回路の元、十中八九殺される。

 でも……それでも。


(でも、あの子だけは……ッ)


 何が何でも目の前の女の手に渡しては行けない。

 その先が見えなくとも、この場だけでも逃がさなければならない。

 だから必死に絞りだそうとした。此処で自分がどんな目にあってもいい。どれだけ惨い死に方をしてもかまわない。それでも彼女だけでも助ける術を考えた。

 考えながら……やがてシオンは目を見開いた。

 答えは何も出なかった。ルミアに何かを去れたわけじゃな合った。


(……なんで)


 視界の先に現れた。


(なんでキミが……此処にいるんだ……ッ)


 視界の先に、長い金髪の小柄な少女が立っていた。

 その手に武器はなく、何かがあるとすれば黒い刻印位の物。

 そんな彼女は光が失われた瞳でこちらを見据え……そしてこちらに向けて走り出した。


 宿で待っている様に言ったのに。

 助けてくれなんて言っていないのに。

 此処に辿り着く為の自我があれば、どうにもならないと理解できた筈なのに。


 それでも彼女はそこに居た。


 彼女の意思でそこに居た。

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