8 故に彼らの刻印は
「駄目だ! こっちに来るな、逃げろッ!」
必死に声を絞りだし、こちらに向かって走ってくる精霊を止めようとする。
だけど止まらない。
強くその意思をぶつけた。いつも普通に接しようとする様な声ではない。もはや命令とも取れるような叫びだったのに。
それでも彼女は止まらない。
止められる訳がなかった。
彼女は確かに表情を作っていた。
良くみなければ無表情にも取れてしまう些細な変化。だけどずっと変わらない無表情を見てきたから、それが分かってしまう。
どうやっても止まらない事が分かってしまう。
とにかく必死に。黒い刻印で歪に繋がる人間を助ける為に必死になっている事が、伝わってしまったから。
感情表現があまりに希薄な彼女がそんな表情を浮かべてしまえば……それはきっと揺るがない。
訪れる結果も何も揺るがないのに。
「騒ぎを聞いて出てきたのかな? 健気だね。なんで感情が戻ってるのかは分からないけど、それだけシオン君が大切なのかな?」
シオンを踏みつけたまま視線だけを金髪の精霊へと向けて、ルミアは言葉を紡ぐ。
「本当に健気で、そして可哀想。きっとずっと待ってたんだね」
そしてそんな意味深な言葉を言ったルミアは、放たれた蹴りを軽く霊装で受け止める。
本当に軽くだ。虫でも追い払う様な軽い動作で彼女の全身全霊の攻撃を受け止めて見せたのだ。
そしてあくまでその延長線上だ。本当にその程度にルミアは霊装を振るった。
あの精霊を薙ぎ払ったのだ。
「……ッ」
その光景を見て、もし自分が彼女の名前を知っていたのならそれを叫んだだろうとシオンを思う。
だけどきっとそれをしようがしまいが、辿り着く先は変わらない。
地面に転がったその精霊はその場で苦しそうに蹲る。
その場から起き上がれない程のダメージを負っているのは明白だった。
そんな光景を見て、思わず目を見開いた。
見開いて、体が動きだした。
「ルミアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
それは火事場の馬鹿力の様な物だったのかもしれない。
シオンは精霊術を発動させて右手に何かを纏わせる。そしてそのまま踏みつけている足に殴りかかった。
「おっと」
それを軽く躱しながらルミアはシオンから距離を取る。
それこそ、シオンを弄ぶように。
怒りで表情を歪ませるシオンを弄ぶように。
シオンは精霊術を発動させて自身の周囲に淡く赤色に光る球体を六つ出現させ、それを全弾射出する。
それらはルミアの張った結界に防がれるが、周囲に煙幕をまき散らす。
そして同時発動していた別の精霊術によって生まれた剣が、ルミアの頭上に降ってくる。
だけど煙幕の中でそれが壊された金属音が鳴り響いた。
知っている。こんな事が通用しない事位は知っている。
そんな事は知っているんだ。
「いやーシオン君修羅ってる修羅ってる」
そう言いながらルミアの周囲の煙幕が振り払われた。
「どれだけあの精霊の事を大切に思ってるんだよ。とても私の霊装なんかと比べものにならない位酷い事をいっぱいしてた人間だとは思えないや」
「……黙れ」
「えーっと、アレ凄かったよね。ドール化していない精霊を何人も生け捕りにしてきて一カ所に集めて! ……シオン君は何をしようとしていたっけ?」
「黙れよ」
「あれは凄いよねぇ。何せアレは――」
「お前もうちょっと黙れよ!」
叫び散らして、勢い任せに殴りかかった。
それを軽々とルミアは躱しながらシオンに言う。
「それはあの子に聞かれたくないから?」
「……ッ!」
「図星かな? そうだね、今更シオン君自身の傷に触れてもキミは耐えるだろうからね。そんな事より自分のやってきた事を今のあの子に知られるのは嫌なんだね。耐えられないんだね。今は色んな事に反応を示すからね」
放たれるシオンからの攻撃を笑いながら躱し続け、今更何かに気付いた様にわざとらしくルミアは問う。
「そういえば不思議だよね。シオン君はあれだけあの精霊の事を大切に思っていて、あの精霊もシオン君を助けようと必死になる程シオン君の事を大切に思っているんじゃないかな? なのに……どうしてキミ達の刻印は黒いままなんだろうね?」
「黙れって言ってるだろうが!」
その原因はシオン自身も理解している。
彼女に自我が戻ってきた。こちらの意思に反応を示してくれる。
仮にシオンが精霊との契約を断ち切ったとしても、シオンには精霊術の源になる力の生成力と、契約の為の精霊術の記憶がある以上、こちらから申請して瀬戸栄治とエルの様に本来の契約を結ぼうとする事も出来た筈だ。
だけどシオンの刻印は黒いままだ。
「拒絶されるのが怖かった?」
「……ッ!?」
「これもまた図星かな。まあそうだよね。人間と精霊の契約はある程度の信頼がなければ成立しない。だから皆無理矢理黒い刻印を刻んでいるんだ。断られるから。お前なんかと契約できるかって拒絶されるから」
そうだ。結局の所それなのだ。
「怖いよね。必死になって助けようとした相手が何の信頼も向けてくれていなかったら。拒絶されたら。それこそもう立ち直れないよね? 怖くてそんな物触れられないよね? 臆病者のシオン君」
そしてシオンを軽く掌底で突き飛ばしてから、ルミアは言う。
「あの子はきっと待ってただろうにね」
先の意味深な言葉の復唱。
だけど今ならルミアの言いたい事が理解できる。
そして完全に呑み込んだ。この戦いの敗因。
それはただ一重に……自分が臆病だったからだ。
きっと手を伸ばせば、その手を掴んでもらえた。
だけどそうする勇気はなかった。今だってあるのかどうかは分からない。
自分の様な精霊からすればどうしようもない程の大罪人である自分が、精霊に受け入れられる筈がないと何処かで思っていたから。その思考がその手を阻み続けたから。たった一度手を伸ばしただけで本当に大切だと思えた物をすべて失ってしまうのが怖かったから。
失うのが怖くて、どこかで彼女を拒み続けていた。
「さてシオン君。そろそろ終わりにしよっか。私はこれでも結構満足したしね。それに、キミが死んであの子がどんな表情を見せてくれるのかも早く見てみたい」
そう言ったルミアは気が付けばシオンの前に立っていた。
そして反応できなかったシオンの胸倉を掴むと、そのまま上空に放り投げた。
「……ッ!」
「最後だから派手に行こうよ」
そしてそんな言葉と共に霊装の一撃が発動した。
派手で単純で、それ故にその凄まじさが分かる……槍の突きによる衝撃波。
それが放たれた瞬間、シオンは半ば無意識に対抗策を組み上げた。
本来であればルミアの霊装を止めた後、ルミアを拘束する為に使うはずだった吸い上げた力。
その全てを使ってルミアにとっては何でもない一撃から命辛々逃れるために、必死に策を講じた。
多重結界。全てのリソースを防御に振り分けた極端な肉体強化。その出力そのものをその吸い上げた力でブーストを掛ける。
それでも激痛と共に視界が暗転し……次に目を開いた時には何処かに眠っていて、空を見上げている。
意識を失っていた。それがどの位の間かは分からない。それでもまだ生きているという事は。目に見えて死が目の前に見えてくる程の出血量をみれば、それ程長い時間では無かったのだろうという事は察せられる。
そしてその一撃位は防がれるという事をルミアは察していたのかもしれない。
「……ぁ」
上空から何かが降ってくるのが分かった。それがどう考えてもルミアがシオンを殺す為に放った精霊術である事も理解できた。
こんどこそ体は動かない。奇跡的に両足も右腕もまだ繋がっているが、それらを動かす力は今度こそ沸いてこない。寧ろ意識を取り戻せた事が奇跡ですらある。
アレを迎撃する為の精霊術はもう放てない。何かを放てても止められない。
……走馬灯まで見え始めている今、もうできる事なんて何もない。
だけどそうして見えた走馬灯と今の自分の有様を見ると、これは罰なのかと思った。
率先して誰よりも。あの霊装を作り上げたルミアの比で無いほどに精霊を蔑ろにし続けてきた自分への罰なのかと。
だけど。そうだとしても。
(……あの子は、関係ない)
自分がどれだけ重い罪を背負おうとも。
自分がどれだけ惨たらしい死を遂げるべきだとしても。
それに巻き込まれるように、あの精霊が蔑ろにされていいわけがない。
その思いが体を動かそうとした。
こんな所で死ねるかと。あの子をルミアの好きにさせてたまるかと。
体は動かなくとも。その諦めかかった意思を生きながらせる。
その思いが届いたのかもしれない。
こんな醜い世界でも。その思いを聞き届けてくれたのかもしれない。
(……え?)
一瞬視界に見慣れた……いや、見慣れていた姿が映った。
本当に一瞬。そこからその存在に抱えられたように視界が揺れ、一気にその場から遠ざかる。
そして次の瞬間放たれていた何かが地面に着弾する。そこからは何の衝撃も破壊音も発生しない。
(何が……起きた?)
何も分からなかった。
何故明らかにこちらを殺しにかかってきたあの精霊術が不発に終わっているのかも。
「大丈夫かシオン! 返事できんなら返事しろ!」
「カ……イル?」
何故自分が親友のカイル・バーンに助けられているのかも。
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