12 救いの光
俺がこの世界で目を覚まして半月が経った今でも、あの時の事は不意によく浮かびあがってくる。
あの時……俺が目を覚まして直後の記憶だ。
誠一に事の結末を聞いて、自らがもたらした最悪の結末の重圧に押し潰されていた時の記憶だ。
半強制的に自分のやってきた事に目を向けて、現実に叩きのめされて押しつぶされる。
何を考えたって結果は変わらない。それでもただひたすらに坩堝に嵌ったかの様にその思考をループさせていく。
それすらもまともに思考が働かず拙くて、そんな思考ではそもそもどんな答えに辿り着きたかったのかすらも分からない。
分からないまま、ただ全身を襲う苦しさに耐えながらその場で縮こまっていたんだ。
そんな時に刻印からエルが近づいてくる感覚がした。
誠一の申し出を断ったというのに、エルが近づいてきたのだ。
『……ッ』
困惑した。
来ると思っていなかったのに来たとかそういう事じゃない。
俺の目の前にエルが現れるという事そのものに困惑したのだ。
一体俺の前に現れて、どんな視線を向けてくるのか。それが怖くて仕方がなかったんだ。
改めて考えなくても刻印は刻まれていて、俺達の信頼関係が失われていない事はどこかで理解していた筈なのに。
それでも安堵できなかったのは。それでも実質的にエルを拒絶していたのは、きっと気が動転していたのもあるだろうけど、それよりなによりこんなどうしようもない人間を未だに信用してくれているような相手を失うのが怖かったのだと思う。
それがきっと刻印が刻まれているという事の意味を忘れさせた。
それを忘れさせて、エルと顔を会わせるのが怖くて、その場から逃げ出そうとしたんだ。
だけど逃げだす前にエルが扉を開いて現れた。
『エル……なんで……』
エルと会うのが怖かったという条件反射なのかもしれない。ほぼ無意識に二、三歩後ずさって、そしてその場に崩れ落ちてしまっていた。
そしてそんな俺の前にまでエルはやってきて、しゃがみ込んで俺に言う。
『なんて顔してるんですか、エイジさん』
そう言うエルの表情を見た時、どうしようもなく困惑した。
だってそうだ。その時エルが浮かべていたのは俺が逃げたかった冷めた表情ではない。本当にいつも通りの表情で俺に声を掛けてきたのだ。
……皆を殺した俺に対してだ。
『お前こそなんでそんな顔してんだよ……俺は……失敗したんだぞ。皆を殺したんだぞ』
だから思わず言ってしまった。折角そんな表情を向けてくれているのに。
そしてそんな俺にエルは言った。
『エイジさんは誰も殺してなんかいないじゃないですか』
『いや……違うだろ。俺が殺したんだ。俺がこんな選択をしたから。こんなリスクのあった選択を選ぶことを正しいと思ったから。思って実行したから! 皆が死んだんだぞ。それはもう俺が殺したって事だろうが!』
その言葉にエルは少し臆した様な表情を浮かべるが、それでもすぐに元に戻って言葉を紡ぐ。
『……違いますよ。エイジさんは皆を助けようとしたんです。その為に精一杯頑張ったんですよ。その結果こうなっちゃったかもしれないですけど……それを殺しただなんて言わないでください』
慰められていた。
どんな視線をむけられるのか。拒絶されるのではないかと怯えていたのに、エルは俺を慰めてくれていた。
……なのに。
『……違うんだよ』
俺はエルの慰めを否定していた。
『……全部全部俺が悪いんだ。俺のせいでヒルダもアイラもリーシャも……ナタリアも……皆死んだんだ。そうなる方向に……舵を切ったのは俺なんだから……俺が……ッ』
その慰めを受け入れれば。それに縋ってしまえば。まるで自分の犯した間違いを。罪を肯定してしまうように思えたから。そんな物を受け入れられる筈がなかった。受け入れる資格がないと思った。
それでも受け入れたいと思えたのは。縋りたいと思ったのは。どこかで防衛本能でも働いていたのかもしれない。
そういう意味では何度も思考がループしたのも、もしかすると自己防衛のつもりだったのかもしれない。仕方なかった。俺が殺したんじゃないって。自分が選んだ選択肢は間違っていなかったんだって。自分なりに何処かに落とし所を見つけて苦しみから逃れようとしていたのかもしれない。
でも結局それは受け入れられなかったし、エルの慰めも受け入れられなかった。
だけどそれでもエルは止まらなかった。止まらないでいてくれた。
『エイジさん』
俺の頭を抱えるように、エルが俺を抱きしめてきた。
突然の行動に驚くという事は無かった。そんな余裕はどこにもなかった。だからこそ……それを受け入れる事に抵抗はなかった。そうされた事に安堵している自分が居たんだ。
その安堵の感情がどういう物だったのか。その時は具体的にそれを理解する事はできなかった。
理解すらもできなかった俺に、エルは言うのだ。
『……そんなに自分を許せませんか?』
それに答えるのはあまりに容易。
『……許せる訳ねえだろ』
それが許せているのなら、俺は多分こういう事になっていなかっただろう。掌を返したように切り返す事は出来なくとも、こういう状態になる事はきっとなかった筈だ。
そしてそんな事を言った俺に、エルはこう言葉を返す。
『ですよね。エイジさんがそういう人だって事はよく知ってます。だったら……もうそれでいいですよ。エイジさんがそう思うならそれでも。あんまり私が違いますって言っても、きっと曲げませんからね』
まるで俺の言葉を受け入れる様にそう言って。そしてエルは言った。
『だけどですね、エイジさん。それを……一人で背負わないでください』
エルが俺を抱きしめる力がほんの少し強くなった様に感じ、そしてエルはそのまま俺に言う。
『エイジさんがやった事が間違いだっていうのなら。罪だっていうのなら……私にもそれを背負わせてください』
……一体何を言っているんだと思った。
縋り付きたくなるようなそんな言葉を聞きながら、それはおかしいだろと思った。
だってそうだ……そんな事はあってはならない事だ。
『そんな事……できるわけ……ないだろ。なんで俺のやった事を、エルにまで背負わせなくちゃいけない』
悪いのは俺でありエルではない。エルがこんな物を背負う必要は無くて、こんな重苦しい物を一欠片でも背負わせるのは絶対に間違っていると、そう思った。
『……お前は何も……』
『そうですね。私は何もしてませんよ』
エルは俺の言葉にきっぱりとそう返す。
だったら。だからこそそれはおかしいんだと。俺はエルの言葉に対してそう思った。それはそうだろう。だってそう断言できるのだとすれば、本当にそれを背負う必要も何もないだろうから。
だけどエルのその言葉とは裏腹に、伸ばしてくれた救いの手が引いていく事はなかった。
そしてそんな風にエルの言葉を否定しても、俺が自然と伸ばし続けた手が引くことも無かったのだと思う。
縋りつくように伸ばしたその手が引くことは無かったのだと思う。
『それでも私はエイジさんの契約者です。一心同体なんてきれいな物じゃないかもしれませんけど……私達は確かに繋がっているんです。だったらいいじゃないですか。辛い時ぐらい頼ってください。辛い時ぐらい隣りで支えさせてください。その位の事はさせてくださいよ』
そしてそんな風なエルの言葉をどこかで否定しても、ただただその手を伸ばし続けた。
『辛かったら泣いたっていいんです。弱音だってなんだって、吐いてもらっていいんです。だから一人で抱え込まないでください』
伸ばし続けていたから、そうやって差し伸べられた手を無意識に掴もうとしたんだ。
『私でよければ傍にいますから』
伸ばされた手を掴んで、自然と涙していたんだ。
『……ッ』
伸ばされて来たその手に向かって手を伸ばしたとして、俺が背負いこんでいた重圧が軽くなったのかといえばそれは否だ。いろんな事がループするようにフラッシュバックしてきて、なおも俺を押し潰そうと重圧をかけてくる。
辛かった。どうしようもなく自業自得なその重圧はどうしようもない程に辛かった。
それは変わらなかったんだ。
だけど確かに……光が見えた。
ずっと暗闇の中に居たようなそんな感覚の中で、一筋の光が差し込んできたのだ。
果たして溢れてきた涙が。いや、もっとそれ以前。抱きしめられて安堵できたのが重圧に心が耐えかねた結果なのか。それとも差し込んできた光による物なのか。それはあの時の俺にはわからなかった。もう、何なんだか分からなくなっていたんだ。何が何だか分からないまま涙が溢れてきたんだ。
だけど今なら確かに言える。あの時分からなかった感情を簡潔にまとめる事ができる。
俺は必死に助けを求めていて。そしてエルに救ってもらったんだ。
救ってもらっているんだ。
半月が経過した今でもまだ全身には重圧が纏わりついている。
ふとしたことでナタリア達の一件がフラッシュバックして蘇ってくる。夜は睡眠薬を飲まないと眠れない事も多い。
そして眠れても全てが悪夢となって襲ってくる事もまた多い。
何も何も変わらない。俺があの時に抱いた重苦しさはきっと何も変わっちゃいないんだ。
それでも俺は生きている。エルのおかげで生き永らえている。
そう自覚できる位にはエルの存在が俺にとって大きな物になっていた。
常に手を引いてもらっているように。常に背中を押してもらっているように。エルのおかげで今日も俺はこの世界に溶け込んでいられる。二本の足で立つ事が出来ている。
例え悪夢で目が覚めても、隣りに眠るエルの寝顔を見られれば安堵できる。
だから今日も俺は潰れる事なく生きていける。
本当に本当に、エルに救われ続けている。
だけど一つだけ分からない事がある。
俺はエルに救われて、今日もこうして生きている。それだけは間違えようのない事実だ。
だけど……かつて誇っていた俺の大切だった物は、まだ俺の中にいるのだろうか。
果たして瀬戸栄治と呼ばれて来た人間は、まだ此処に居るのだろうか?
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