特別短編『マーヤ・オーケルマンさん全裸になりすぎ問題』★その2
【2】
♦羽田空港・国際線ターミナル
「マジか……マジなのか……」
到着してもなお招集された場所に動揺を隠せない。
えっ、飛ぶの……?
しかも、海外に……?
昨日の夜に連絡を受けて以降、俺の頭の中はずっと同じ疑問符が渦巻き続けていた。
「引きずり回す、のスケールがおかしいだろ……」
これがお嬢様ということなのか。そうなのか。
「……いや、待て。まだ最後の希望が残されている」
それは、マーヤが実は飛行機オタだったというケースだ。展望台から機体を眺めに来た。うん、なくはない。イメージとは違いすぎるが、もともとイメージが難しい少女だ。なくはない。
「やっほーカズラ。ちゃんとパスポート持ってきたよね?」
はい、顔を合わせて第一声でいきなり最後の希望潰えた。
なんて、告げられた『持ってくるものリスト』の時点で機体マニアのセンは無理筋だとわかってはいたのだけれども。
白のワンピースに、麦わら帽子。いつもの制服とは違う完全リゾート仕様のマーヤを前にして、ついに俺は希望的観測を完全に諦めざるを得なくなった。間違いなく飛ぶ気だ。
「なに? ヘンな顔でジロジロ見て。私服姿のマーヤ様に恋しちゃった?」
「発想のぶっ飛びかたにいよいよ呆れてるんだ。……海外はないだろ、いくらなんでも」
ありのままの本音をぶつけると、なぜかマーヤは不満げな顔に。
「その発言は頂けないなー。カズラはただのコーチじゃなくて、現役ポーカープレーヤーでもあるんでしょ? なら、海外にビビるとかこの先の伸び代ないよ?」
……言いたいことは理解できた。確かに、ポーカープレーヤーとして名を上げるには海外へ飛び出すことが不可欠だ。空前のブームが訪れたとはいえ、やはりまだ日本の中だけで競い合っていてもそのレベルはたかが知れている。
「海外にビビってるわけじゃない。教え子の小学生と二人きりで海外に飛び出すという事態にビビってるんだ」
ビビってるというか、ダメでは。バレたらどれだけ健全に過ごそうとアウト判定を免れようがないのでは。
「教え子の小学生と週末二人きりの時点で危ない橋渡ってるんだから、ちょっとやそっとのオプションで怖じ気づかないでよ」
「マーヤの一存で決めておいてそれを言うか」
あと『海外』はちょっとやそっとのオプションではないのでは。
「それにね、ワタシもちゃんと考えあってやってるの」
「……考え?」
「不本意ながら入部テストとやらを受けさせられたけど、よく考えたらワタシの方だってテストしたいわけ。カズラがワタシのコーチとしてふさわしいのかどうか」
「む……。その気持ちはまあ、受け止めておこう。けど今日のこれに繋がる意味がわからんのだが」
「それこそ危ない橋を渡らせてみたいの。ちょっとでもハードラックとダンスっちゃえば人生終了かもっていう空気感をどう乗り越えるのか、それを見せて♥️。大したモノもかかってないポーカーテーブルじゃわからない根っこの度胸ってやつを♥️」
「▲♯○☆」
「放送禁止用語ありがとう。さ、もうテストは始まってるんだから。いいよ、別にしっぽを巻いて逃げ出しても。まー、そしたらテストの結果は、わかるよね?」
嗤うマーヤ。もうやだこの小学五年生。
……冷静になろう。こういうピンチの時こそ、論理的に動けなければそれこそマーヤの言う通り、ポーカープレーヤーとしての伸び代がない。
Q:マーヤに幻滅されていいか?
A:よくない。俺の使命にかかわる。
Q:この旅行に生存ルートはあるか?
A:ある。要は問題さえ起こらなければいい。
Q:問題は起こるか?
A:俺が能動的に起こす可能性はゼロ。外的要因は予想できないが、それは自動車事故を予想できないのと同じ。どこで何をしてようと外的要因での問題は起こりうる。
論理的結論。
退路なし。
「……とびっきりの胃痛をありがとう、マーヤ」
「あはは、どういたしまして。これできっとカズラは成長するよ。ま、実のところそんなに心配しなくてヘーキヘーキ。初回だからイージーモード。必要な予約は済ませてもらったし、向こうのホテルにはカズラが執事だって連絡してある。キョドキョドしなければ誰も何も疑わないって」
執事、執事か。確かに実際その役目に徹すれば社会的にもなんら問題はない。胸につかえていた空気が、ほんの少し抜けたような気分になった。
初回、というフレーズが非常に空恐ろしくはあるが、ひとまず聞かなかったことにしよう。
「スーツ着てきて良かったな。多少は執事っぽく見えるかも」
小学生を連れていても悪目立ちしない格好、というだけで選んだのだが、僥倖だったか。
「ついたら暑さですぐ脱ぐことになる気がするけど。行き先シンガポールだし」
「シンガポールか」
俺の中でもう一段安堵感が増した。治安良し、アジア人の見た目浮かず。確かに『海外』というくくりの中ではイージーなところを選んでくれたのかもしれない。
……っと、いけない。うっかり目の前の小悪魔に感謝の念を浮かべそうになった。それは人がよすぎる。
「さ、覚悟が決まったんならさっさといこ? フライトまでは余裕あるけど立ち話もなんだし」
「わかった。もはや何も抗議すまい。……荷物預けたいんだが、マーヤは?」
「一泊なのにスーツケースでかすぎでしょ。何入ってんのそれ?」
「スカスカ。スーツケースが一個しかないんだよ、ウチには」
「その発想はなかった」
あってくれお嬢様。
「ま、カズラが預けるんならワタシも預けようかな。機内持ち込みできるサイズだけど身軽になりたいし」
かわいらしい出で立ちに反した、コンパクトながら頑健そうな荷物をポンと叩くマーヤ。そっちは逆に荷物少なすぎないか。それだけ旅慣れてることの表れなのかもしれないが。
「えっとね、うちらのエアラインの受付は……あそこか。ついてきて」
電光掲示板を確認するや、マーヤは迷わず歩き出す。いい大人が小学生に任せきりというのもなんだが、今回の旅行に関してはマーヤ完全主導だしどうしようもない。全て素直に従おう。
そういえば今さらだけど、予約関係は『済ませてもらった』と言っていたが、当然親に……だよな? よく許可が出たものだ。オーケルマンファミリー、謎しかない。
「ここ」
立ち止まったマーヤが指さしたカウンターの手荷物受付には長蛇の列が。海外旅行はこれを待つのが苦痛なんだよな……。
「了解、じゃあ並ぶか」
「え、何に?」
何にって。選択肢は他にないような。
「そりゃ、荷物預けるのに」
「ガラスキじゃん」
マーヤが長蛇の列……の、そのひとつ奥のレーンを指さす。確かにガラスキだ。誰も並んでない……が。
「あの。ビジネスクラス専用受付って書いてあるんですが」
まさか、という思いで呟くと、マーヤはなぜか眉根を寄せた。
「ビジネスで我慢してよ。このエアライン、羽田-シンガポール線はファーストクラスがないの」
……なるほど。お嬢様にはエコノミークラスという概念そのものが目に入ってないのか。
いかん、いかんぞ。今一瞬この旅行に対し、微妙な『アガり感』を覚えてしまった。
違う。執事。俺は執事。それでなくてもこれはマーヤから課されたテスト。楽しんではいけない。あくまで粛然と、全日程をこなさなくては。
「そういうものなのですね、お嬢様」
「おっ、執事モードいいね。実は他のエアラインならあるんだけどねー、羽田-シンガポールのファースト。ただ、そっちは行きも帰りも離陸の時間が微妙でさ。向こうに長く滞在するならここの方がよかったし、それに」
「それに?」
「ウチって、家族でこのエアラインのグループのマイレージ溜めてるんだ」
「……でしたか」
マイルは溜めるのか、お嬢様。
富裕層の意志決定ポイントがよく分からなくなる俺だった。
♦出国ロビー
出国審査は滞りなく抜けた。まあ、機械の自動認識だし犯罪歴でもない限り引っかかるケースは少ないと思われるが。
「フフフ、緊張した?」
「出国は別に。向こうに着いてからの入国は多少身構えてるけど」
素直な気持ちを告げると、マーヤは少し呆れ顔になった。
「英語? 英語できないとポーカーの大会、苦労するよ」
「いやいやそこじゃない。心配ごとは」
俺だってそれくらいの先読みはして人生を送ってきたので英語の勉強に関してはぬかりない。発音は微妙かもしれないが英語圏の人間とコミュニケーションをとることにはそれなりの自信がある。
心配してるのは、小学五年生の女子と二人旅行だとバレたケースに対してだ。審査は個人個人で行われるのでおそらく気付かれないとは思うが……。
「いいじゃん。別室送りになったらなったでハクが付くよ。なにされたかレポート楽しみにしてる。ドイツあたりだと問答無用で素っ裸にひんむかれるらしいけどシンガポールはどうなんだろうねー?」
「そんなハクいらんわ。……さて、と。フライトまでまだ一時間以上あるな。どうする? カフェでも入るか? それとも免税店でも見て回る?」
「買い物はべつにいいからさっさとラウンジいこラウンジ」
「ラウ……ンジ……?」
それはまさか、たまにテレビで見るあの超豪華なごはん食べ放題お酒含むドリンク飲み放題なセレブスペースのこと……なの……か?
「はいれるの?」
「やだなー。ビジネスクラスでもラウンジくらい入れるよ」
「ごはんたべられるの?」
「食べられるけど機内食でるからほどほどにねー」
なんだか一瞬幼児退行してしまった気がする。マーヤが聖母に見えた。いやそれはないとすぐ我に返ったが。
まただぞ俺。ダメだ、ダメなのだ。
胸に刻め。これは『絶対に楽しんではいけない小学五年生女子と海外旅行48時』なのだと。
らうんじではめのまえでおすしをにぎってもらって三かんだけたべました。とてもおいしかったです。
♠飛行機内
びじねすくらすのしーとはとてもひろいです。
きないしょくもとてもおいしかったです。
「……ハッ!?」
いかん、また幼児退行してた……。
半分気を失ったような状態で搭乗し、気付けばもう安定空域。なにがなにやらわからぬままセレブ旅行のイベントをいくつか漠然とやり過ごしてしまった。
だが、いいのだ。浮かれてしまうよりずっといい。あとはもっと粛然と、執事らしく全ての行程をこなせるようになれば完璧だ。
ジェットストリームをBGMに、静謐な時間が続いている。さすがはビジネスクラスと言うべきか、周りからは物音ひとつ聞こえてこない。
マーヤは何をしているのだろうか。シートが全てセパレートになっているので、隣の席でもほとんど様子を窺い知ることができない。
「(カズラ、遊ぼ)」
暇を持て余してきたし映画でも観るかと思った矢先、俺の眼前にマーヤが身体を滑り込ませてきた。
「(遊ぶってどうやって? それと、周りに迷惑だろ)」
「(声出さなきゃ大丈夫だよ。遊ぶのはもちろんこれ)」
小声で囁きながら、マーヤが取り出したのはトランプだった。
「(いや、いくらビジネスのシートでもトランプは無理あるだろ。マーヤの座るところないし)」
「(こうすれば平気じゃん)」
確認もないまま、マーヤがいきなり俺の太ももの上に跨がってきた。スカートの奥のぬくもりが、じんわりと下半身に伝わる。
「(マズいですよ)」
「(そうやって慌てるからマズく見えるの。堂々としてろ)」
そりゃ慌てるだろ……。仕切り板で周りからある程度遮断されているとはいえ、通路をしょっちゅうCAさんが行き来してる環境だ。傍目からは『絶対に楽しんでる小学五年生女子と海外旅行48時』に見えてしまいかねない。
かといって無理矢理どかせようとしてモメるのも目立つし……どうすればいいんだ。
「(なにする? さすがにホールデムやるにはスペースが足りないよね。しかたないからファイブドローかな)」
「(いいよ、もう、なんでも……)」
俺は抵抗を諦めた。この小学五年生女子は執事にすごく懐いているのだ。そういう空気をでっち上げてむしろ微笑ましげな視線を勝ち取る。見せてやろう、俺の(ヤケ)クソ度胸というやつを。
「(そんじゃ開始ー)」
マーヤがトランプをシャッフルして、ファイブドローポーカーが始まった。チップは架空のものをメモ帳に書いて計算することに。
二戦、三戦とこなしていくうち、勝負が白熱してきた。ファイブドローだから相手の役を読むのは不可能だが、ブラフ合戦だけでもそこそこ燃える。さすがはマーヤ、役無しのブタでも何食わぬ顔でベットしてきたりしてその一挙手一投足から目が離せない。
強い。知っていたが、やっぱりマーヤは強い。だがさほど負ける気はしなかった。
年長者としての意地。それもあるが、もっと影響が大きいのはこの体勢だ。跨がられたまま互いの肌の温度を交換しあってる事実の方が気になってしまい、逆にカードに対して無心でいられる。
これは、パーカーを被ったりサングラスをかけたりして表情を隠すよりよっぽど効果的ではないか。今度大会に出るときは小学生を抱きながら参戦してみるか。
いや、もちろん冗談だが。
「(……ツーペア)」
「(悪いな、フルハウスだ)」
「(うそやーん)」
ばたり、と前のめりに倒れ、全身を俺に預けるマーヤ。……さすがは元外国人と言うべきか、ボディタッチに対し無頓着な子だなぁ。
「(次、いくか?)」
「(ふてくされた。ねる)」
早く起き上がって欲しくて再戦を促したのだが、マーヤは逆にぎゅっと俺の身体を抱き枕のようにかかえ、目を閉じてしまった。
「(おい待て。寝るなら自分の席に戻ってくれ)」
「(………………)」
返事がない。
「(マーヤ、頼むって)」
「…………すー」
何度か呼びかけてみたが、返ってくるのはリズミカルな呼吸音だけ。まさか、本当に寝てしまったのか? この短時間で?
「(おーい……)」
ダメだ、反応なし。
どうする。隣の席に戻すか? でも本当に寝たのなら起こしてしまうのも気が引けるしなぁ。
「すー……すー」
俺の葛藤も知らず、心地よさそうな寝息をたて続けるマーヤ。
「(ガキンチョめ)」
寝落ちるの早すぎだろ。俺なんて最近睡眠導入剤の処方を受けようかと本気で考え始めているというのに。
しかし、なんというか。
こうして静かに眠っている顔は、まるで純朴な小学生のようだ。いや、実際小学生なのだが小悪魔的な所業ばかり見せつけられてきたからついそんな感想を抱いてしまった。
「(……しかたないな。今日だけだぞ)」
俺はマーヤの移動を諦め、着陸前まで放置してやることにした。
折り重なった身体の上に、ブランケットを被せる。ますます少女のぬくもりと、ほんのり甘い香りが伝わってくるようになった。
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