特別短編『生足とスプリングボード』★その2
「勝てないぃぃぃぃ~!」
バタリ、とテーブルに身を投げだす巴。インディアンポーカーにおいてもなお、朱梨と留子の強さは圧倒的だった。
「ぼちぼちいい時間だし、今日のところはこれくらいにしておこう」
コーチとして本日の活動終了を告げる。全寮制の学校ではあるが、門限にさえ間にあえばその間の課外活動は自由だ。あと一時間強くらいはクラブ活動に精を出す余裕はある。あるのだが、いったん区切りをつけた方が良さそうだという判断。
ここまでの対戦を見て、問題に気づいた。朱梨と留子がすれっからしすぎる。巴のわかりやすさも敗因のひとつであることは間違いないが、それ以上に二人が強い。
このまま負けを重ねると、いたずらに自信ばかりを奪ってしまいそうだ。
しかし現在このクラブに在籍してるのは三人のみ。困った。インディアンポーカーですら、巴を鍛える初期段階のルールとして相応しくないのかもしれないな。
「わかりました、それではまた明日」
淡々と頷き、朱梨は率先して帰り支度を始める。普段からポーカーフェイスで内面を読みづらい少女だが、巴をいじめ続けるのは得策ではないと、朱梨もまた思ったのだろう。
「巴~、そう落ち込むことないっス。お風呂でなぐさめてあげるっス」
留子も巴を慰めつつ、パーカーのフードをかぶり直す。
「うう、私、頭悪いのかなぁ……」
「知性の問題ではないですよ。経験の差でしょう」
二人からフォローをされても、巴の面持ちは沈んだままだった。
このまま黙って帰らせるのは、職務怠慢になってしまいそうだ。
「巴、少し残ってくれるか? 朱梨と留子はお疲れ様。先に帰ってていいぞ」
「……ん。りょーかいっス」
「それでは」
余計な詮索はせず、ポーカールームから立ち去る二人。さすが心理戦には長けているから、俺の思惑もすぐ察してくれる。そういう意味では共に活動をするのが楽な子たちだ。
……他の様々な意味においては、トップクラスに扱いづらいのだが。
「さて、と。とりあえず座って」
「は、はいっ」
二人を見送って戻ってきた巴にもう一度ポーカーテーブルにつくよう伝え、自分も隣に腰掛ける。
「…………」
「…………」
沈黙が訪れた。どう慰めるのが適切なのか。なかなか頭の中で言葉がまとまらなくてつい間が空いてしまった。
「あ、あのっ! 先生、私がんばりますから……だから……クビは許して下さいっ!」
「へ?」
無言のプレッシャーに耐えられなくなった様子で急に立ち上がり、腰を直角に折る巴。居残り命令が、どうやら大きな不安を煽ってしまったようだった。
「クビになんてするもんか。巴はもうとっくに大事な戦力だよ」
余計な心配を与えたことを反省しつつ、俺も立ち上がって優しく声をかける。
「でも入部テストの時、優秀なメンバーしか集める気はないって……」
「そのテストを、巴はクリアした。だからもうクビにされる心配なんてする必要はない。まっすぐ前を見て成長し続けてくれればそれでいい」
「和羅先生……!」
顔を持ち上げ、ぱっと表情を明るくする巴。
「ありがとうございます。…………それでもやっぱり、不安になります。私、少しずつでも成長できているんでしょうか。今日なんて本当にやられっぱなしで」
しかしその元気は長く続かず、またすぐ面持ちに影が差す。やはりインディアンポーカーという形式でもっても二人にこてんぱんにされたのが、かなり堪えているようだ。
「ずっと忘れないで欲しいんだが、あの二人は全国でも通用するレベルのポーカープレーヤーだ。初心者が太刀打ちできないのは当たり前の話だし、逆に真っ向からやり合えるようになった時は巴も全国レベルに到達した証拠になる」
「……はい。ただ、あまりにも差を感じるばっかりで」
「それも敗因のひとつかもしれないな」
「えっ? どういう意味でしょう?」
「怖れによる期待値」
「……?」
首をかしげる巴。期待値という概念はポーカー論で頻出するのだが、まずはもっと噛み砕いて説明した方がいいだろう。
「今回も、二人とも強そうだ。そういう先入観をもって、自分の手に対して弱気になってしまう。そういうところ、ないか?」
「あ……。言われてみれば、あるかもしれないです」
「それが朱梨と留子にとって更なるアドバンテージになる。プレーする前から巴だけハンデを自ら背負いに行っているようなものだ。だからますます圧倒されてしまう」
「……仰ることは、わかります。でも、実際に二人は強いから」
「ま、それも事実なんだよな」
難しい問題だ。虚勢を張ってでも対等な心境をキープしないと勝負のスタートラインにすら立てないが、巴が現状で抱えている問題が、換言すると『虚勢を張れない』ところにあるのだから。
「先生、どうしたら私、自信をもって勝負に挑めるでしょう?」
「いっそ、ポーカーから離れてみるのも手かもなあ。巴は何か、『これなら絶対誰にも負けない』って自信のあるモノ、ないか? ゲームでも運動でもなんでもいいから、一度二人に勝ったという経験を積めば、精神的に楽になる気がするんだが」
「………………………………」
しょんぼりとした沈黙。なんだか申し訳ない。
そもそもゲーム分野だと留子が先天的に強いし、才色兼備なお嬢様である朱梨は運動能力でも非凡な能力の持ち主だ。たとえポーカーではなくとも、ちょっとやそっとの素養で圧倒できる相手ではないのだった。
「競技じゃなくてもいい。他の人にできないことができる、とか。……耳を自在に動かせたり」
「動かせません」
「実は大食いだったり」
「それは留子です」
「料理が上手」
「それは朱梨です。この前家庭科の調理実習で作ったクッキーをもらいましたけど、とても同じ材料を使ったとは思えない焼き上がりでした」
朱梨、料理もできるのか。完璧超人すぎる。
「………………あーっ、と」
「………………すみません、なんの才能もなくて」
気まずい時が流れる。何か、何かないか。このまま巴の隠れた才能が発掘できなければ、呼び止めておいて傷口に塩を塗っただけになりかねない。
「……あ」
「ん!? 何か思いついたか!?」
「ほんとうに……ほんとうに大したことじゃないんですけど、一つだけ」
「ぜひ聞かせてくれ!」
「わ、わかりました。…………では、先生。申し訳ないんですけど、床に膝をついて下さいませんか?」
「床に? こうか?」
言われるまま立ち膝の体制になる俺。いったい何が始まるのやらと静観していると、巴は椅子に腰掛けたままおもむろに右足の靴、さらに靴下も脱ぎ、素足になった。
「あの……どうぞ。好きにしてみて下さい」
「へ!?」
そしてその露わになった足の指を俺の眼前に差し出すのだった。
小学五年生の女子が素足を突きつけ、好きにしろと言う。
どうしろと。
「いいか巴。教師には越えられない一線というものがある」
「……? でも先生、得意なことがあるなら見せてみろと」
「と、得意なのか?」
「はい、これだけは得意……というか、平気なんです。好きにくすぐってみてください」
「巴が平気でも俺は……ん、くすぐり?」
「はい。私、足の裏を触られてもくすぐったくないんです。試してみて下さい」
なんだ、そういう意味だったのか。なんとなくホッとする。いや、別に巴の素足に対しやましい思考が浮かんでいたわけではないが。
さておき、それが事実ならけっこうな特異体質だよな。俄然興味が湧いてきた。
「いいんだな、本当に」
「はい、ぜんぜん平気ですから」
にっこり笑う巴。心なしか自信を取り戻しているようにも見える。ならば。
「…………失礼する」
左手で足首を支えつつ、右手の指先をすぼめて土ふまず辺りに触れる。ぷにっと柔らかい。これが小学生の足の裏か。初めて触った。当たり前だが。
「こんな感じか?」
「もっと触れるか触れないかの力加減の方が効くと思いますよ、普通の人には」
つーっと滑らせるように五指を開いていく俺。巴はニコニコしたまま微動だにしない。
同じように何度か、触れ加減をよりソフトにしながら足の裏をなで続ける俺。
「~♪」
顔色一つ変えない巴。
「これは……間違いなく才能だ」
「えへへ。やっと和羅先生に褒めてもらえました」
あらゆる角度から巴の足の裏をなで回してみたが、一向に反応は得られず。
勝てる。足の裏のくすぐり合いならば、巴は朱梨と留子を圧倒できるに違いない。
あとはこの優位性をどうやって発揮してもらうかだが……そこは、巴に単身で頑張ってもらうしかないだろうな。
まさか俺がクラブ活動中に『今日は皆さんに、ちょっとくすぐり合いをしてもらいます』と持ちかけるわけにもいかないし。
おそらく宿舎でいっしょに入浴するタイミングなんかもあるだろう。そんな折をうまく巴に狙ってもらって……。
思案を重ねる俺。その間もずっと、無意識で巴の足の裏をさすり続けてしまっていた。
「やー、あたしとしたことが忘れ物しちゃったっス…………え?」
「巴、まだ帰ってなかったんです…………は?」
扉が開く音に続いて聞こえた声に振り向く。
ひざまずき、巴の足を握りしめた体勢のままで。
「…………留子」
「みなまで言うなっス」
朱梨が冷え切った声を発すると、すかさず、留子はスマホを取り出し電話をかけるそぶりを見せる。
「待て! 違う! 違うんだ!」
緊急事態と判断し、俺は飛びかかるように留子のスマホを奪取。ディスプレイを覗き込めば『110』の番号がバッチリ入力済みだった。
「何が違うっスか。さすがにあの絵面は弁解不能っス」
「合意の上だ!」
「つまり先生も意志を持って、巴の足をさすっていたと」
「頼む! 一度最後までしっかり話をさせてくれ!」
人生最大級のピンチだった。俺は有無を言わさず一方的に事実をまくし立てる。なるべくクールな教師像を演じようとしてきた今までの全てが台無しになるくらいの必死さで、俺は行為の正当性を二人に訴え続けた。
「言いたいことはそれだけですか。……留子」
「ガッテンっス」
朱梨の合図で再びスマホを掲げる留子。ダメだ、このままだとガチで俺の人生が終了を迎えてしまう……っ。
「…………に、逃げるのか!? 留子も、朱梨も!」
ヤケクソ混じりに叫ぶと、留子の手が止まる。
「逃げるとは、どういう意味です?」
尋ねてきたのは朱梨の方だった。引き寄せた。土壇場で。この窮地を脱する、か細い蜘蛛の糸を。
「……巴は、まだポーカーの初心者だ。二人と真剣勝負するには時期尚早。たとえインディアンポーカーでも、やればやるほど自信の喪失にしかならない」
「それは、そうかもしれないっスけど。それとセンセーが巴の生足にちょっかい出していたのとなんの関係が?」
「ハンデマッチの方法を探っていた。そして、ついに見つけた。巴は足のくすぐりに強い。つまり『くすぐりインディアンポーカー』ならば、巴は留子とも朱梨とも対等に戦える可能性がある」
「くすぐり」
「インディアンポーカー?」
顔を見合わせる留子と朱梨。よくもまあ、これほどのデタラメをとっさに口にできたものだと俺は自分自身に感心する。しかもそれを真顔で女子小学生に訴えかける暴挙。ポーカープレーヤーとしてブラフ力は日々鍛えているが、こんな形で使うことになるのはあまりにも想定外だった。
「なんスかそれ……?」
「三人がインディアンポーカーをプレーする。その間、俺は机の下に潜り込んでランダムに誰かの足をくすぐる。インディアンポーカーにイレギュラー要素を混ぜ込んだハンデマッチが、これで成立する」
「留子、最後通牒です。通報を」
「さようなら和羅センセー」
「待て! ……逃げるのか? くすぐりインディアンポーカーでは勝ち目がないから、勝負自体を不成立にしようと?」
「……………………」
「……………………」
朱梨も留子も沈黙した。読み通りだ。二人ともポーカーの能力に自信があるからこそ、この挑発を回避できない。
「巴はすごいぞ。天性のくすぐり耐性の持ち主だ。くすぐりインディアンポーカーでなら、ガチンコの朱梨にも留子にも負けないと俺は読む」
「それは、やってみないとわからないのでは?」
「足をくすぐられたくらいであたしらのポーカー力が落ちる? 舐められたもんっスね」
たおやかに微笑む朱梨と、フードを深くかぶり直す留子。
押し切った。俺は、確信する。
「なら明日、答えを探ってみようじゃないか。もし俺の方が間違っていたら、土下座でもなんでもするさ」
「……その言葉に二言はないですね、和羅先生?」
「土下座させたうえで、センセーの後頭部を踏みつけてやるっス」
あえて挑発的な目を向けると、二人は射貫くような視線でにらみ返してくる。頼もしい。さすが、ポーカーに心を捧げた運命の虜たち。
これは明日、熱い勝負が見られそうだ。先ほどまでの窮地も忘れ、俺は沸き立つ興奮を抑えきれなくなっていた。
「あ、あのう……。なんだか話が、妙に大げさなことに……」
途中からひとり蚊帳の外だった巴の不安げな声が、夕暮れのポーカールームにか弱く響いた。
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