特別短編『生足とスプリングボード』
特別短編『生足とスプリングボード』★その1
【1】
東棟一階の角部屋。そこに
この部屋が存在することにいぶかしさを感じる人間は、はたしてどれくらい存在するだろうか。ずっと昔ならいざ知らず、空前のポーカーブームに呑み込まれて久しい本邦では、専用の部室を構えた小学校なんて大して珍しいものではない。
とはいっても、小・中・高エスカレーター式の全寮制女子校――箱入りお嬢様たちの花園である。こんなところにまでブームは浸透していたのかと、多少の驚きを与える可能性は否定できないか。
どうあれ、あるものはある。陽明学園初等部には専用の部屋が宛がわれたポーカークラブが存在し、俺、森本和羅はこの学園で教職を務めながら、新米コーチとしても小学生の少女たちと活動を共にしている。
そうなった経緯は……話すと無駄に長くなるので割愛しよう。長話は嫌いだ。この仕事を始めてからますます嫌いになった。
さて、正念場である。
正確に言うと、一人の少女がピンチを迎えていた。三人しかいない部員のうちで最も活動歴が浅い、このクラブに入りたてほやほやのルーキー、
こめかみに冷や汗。眼は泳いで虚ろ。明らかに自分の手が弱いと告白しているような挙動だった。
今、俺はディーラーとしてテーブルについているので、誰か一人に肩入れすることはできない。けれどもこの役を終えコーチとしてのポジションに戻ったなら、目の前のあどけない小学五年生に優しく囁いてあげなければなるまい。
「もう初めてじゃないだろ、力抜けよ」
とか、そんな風に。
「オールイン」
俺の右隣に腰掛けた少女が、淡々とした宣言と共にチップの山を全部差し出した。
腰の辺りで切りそろえられた黒髪と、真っ直ぐ伸びた背筋。大和撫子の見本みたいな容姿とは裏腹に、心に鬼を飼っている少女だ。
「んじゃあたしもオールインっス」
今度は左隣から、同じくチップ全賭け宣言が雑な動作で繰り返される。
パーカーのフードを目深に被った、ぱっと見ちょっとイタい系小学生。しかしトランプで対決を挑んだりしようものなら、イタい目に遭うのは確実にふっかけた側の方だ。
「…………う、うう」
二人の猛者から追い詰められ、小さな身体をますます縮こまらせる巴。残念ながら、というべきか、当然ながら、というべきか、ルールを覚えたばかりのルーキーは、これといった異能も技術も今のところ持ち合わせていない。
まあ、ただの紅白戦だ。負けたところで何かを失うとか、そういう場面ではない。
それでもちゃんと、巴は困窮してくれている。何か打開策はないかと、右往左往し続けてくれている。強い向上心がある。
何より俺が巴に対し評価しているのは、この前向きさに他ならない。
「お、オールインですっ!」
負けても負けても立ち上がってくれる。そう信じて、荒療治になってでも可及的速やかに巴のポーカー力を高めていかなければならない。
なぜなら、まったく意図していなかったピンチが降って湧いてしまったから。俺にとって残された時間は、あまりにも少ないのだ。
「……うう。また負けちゃった」
テーブルに額がつくほど項垂れる巴。全員が全てのチップを放り込んだ激突は、朱梨と留子が同じ手で引き分け。巴の一人負けで終わった。
短期的な勝負の結果はしかたがない。小学生ポーカー界隈で現在もっともポピュラーなルール、『ノーリミット・テキサスホールデム』は多分な戦略性を孕んでいるものの、カードゲームである以上運の要素を完全には排除できない。だからいっときの勝ち負けを評価してもあまり意味がない。
とはいえ、巴にはあまりにも明確な弱点がある。今回の敗北は偶然ではなく、必然だった。
「顔に出すぎっスよ、巴。よわよわカードしか持ってないって」
「あれでは残念ながら、とどめを刺して下さいと宣言しているようなものです」
苦笑と共に嘆息する留子と朱梨。
二人の言うとおりだった。ポーカーの技術云々を語る以前に、巴は表情に喜怒哀楽が出すぎている。まずここを修正しないことには、偶然の勝利すら手に入れることができないだろう。
「まだ、緊張感が抜けないか?」
俺もなるべく柔らかな声色を作って巴に尋ねてみる。直近に練習試合が決まってしまったので、ここ数日、巴には急ピッチでルールを把握させつつ、多くのゲームをこなしてもらっている。そろそろ一連の所作には慣れてきそうなものだが。
「普段は平気になりましたけど、さっきみたいなピンチになると、急にアワアワしてきちゃって……すみません」
「まあ、それもそうだよな」
それがごく一般的な小学五年生の感覚だろう。俺はお詫びを返したい気持ちになった。本来であればもっとゆっくりゲームに慣れる時間を作るべきなのだ。そうできないのは、ひとえにこちら側の問題だ。
「焦ってもしゃーないっスよ。練習試合なんて別に負けてもあたしは気にしないっス」
頭の後ろで手を組んで、あくび交じりに留子が慰める。留子は俺の抱えている『問題』について何一つ知らない。子どもたちを巻き込むのは忍びないばかりではなく、メリットすらない。ピンチの存在は、最後まで呑み込んでおく心積もりだ。
「私としては、ベストを尽くしてもらえると嬉しいです。練習試合だろうと、やるからには負けたくない。申し訳ありませんがそれが私の本心です」
朱梨にも喋っていないが、この少女の場合ポーカーに向ける情熱が留子とは桁違いだ。
だから、図らずも俺とモチベーションを共有してくれている。それもまた、ちょっと皮肉な構図だったりしつつ。
「うん。私も、せっかくクラブに入れてもらって、はじめての試合なんだからみんなの足は引っぱりたくない。難しいかもしれないけど、勝ちたい。……でも、どうしてあんなに焦っちゃうのかなぁ」
頭を抱える巴。本気の苦悩を前に、俺はただ純粋にコーチとして巴の力になってやらなくてはと覚悟を重ねる。
「ちょっと目先を変えてみるか。ここまで、ルールと戦略を実戦形式で学んでもらってきたが、とりあえずはいちど弱点の克服だけに集中しよう」
「集中って、どうするんスか?」
「ルールと戦略を棚に上げる。いったんホールデムのことは忘れて、純粋なマインドゲームをメニューに取り入れよう」
俺はおもむろにテーブルの上から一枚のカードを拾い、額の前で掲げてみせた。
「ああ、インディアンポーカーですか。……なるほど、悪くないかもしれません」
朱梨が同意してくれてホッとする。
「インディアンポーカー?」
「やったことないか? だとしても心配ない。ルールはポーカーと名のつくゲームの中で一番単純だからな」
インディアンポーカーで使うカードは、各プレーヤーにつき一枚のみ。その一枚を俺がやったように額の前に表向きで掲げ、他のプレーヤーと数字を争う。最も強いカードを持っていたプレーヤーが勝者だ。
キモは、自分が何のカードを持っているか見てはいけない――ということ。対戦相手の持ってるカードは筒抜けだが、自分が何を持っているのかはわからない。その状態で勝てると思えばチップを賭け、劣勢だと思えば降りてチップの浪費を避ける。
つまり、技術は全く必要としないルールだ。必要なのは運、そして駆け引きの心理戦と度胸。
「……? これって、運だけで勝負決まっちゃいません?」
巴はすぐにルールを理解してくれたが、はたして練習になるのか疑問のようだ。
「それがそうでもない。やってみればわかるよ」
ここは論より証拠。さっそく三人でインディアンポーカーをプレーしてもらおう。ルールを究極に単純化するため、場代なしのチップ十枚持ちでスタート。使うカードはスペードのみの十三枚、ジョーカーなし。全てのチップを失ったら脱落――ということにした。
『いっせーの!』
声を揃え、カードを掲げる三人。
カードは巴がQ、留子が7、朱梨が6だった。巴が圧倒的に強い。
「留子に勝ててると良いんですが」
「どうっスかねー。朱梨、かなり強いっスけど、勝ち目がないわけじゃないっスし」
「えっ。朱梨、強いかな?」
「まあ、巴のことは置いておきましょう」
「そうっスね。この勝負はいてもいなくても同じっスし」
「ええっ? わ、私のカードそんなにダメなの?」
それを見て、まるで口裏を合わせたかのように『巴はダメだ』と主張し始める二人。強いからこそ、不安を煽っているのだ。この嘘を、はたして巴は見抜けるか。そして、自分の手の強さを確信できるか。
「時間だ。勝負に伸るか反るか、決めてくれ」
「チップ二枚賭けるっス」
「降ります」
留子、朱梨、ともに即答。対して巴は長いこと唸った挙げ句、
「お、降り、ます……」
圧倒的に強かったQを引っ込めてしまった。
「……え、ええ!?」
そして自分の手を確認し、仰天する。
「さすが朱梨、乗ってこなかったっスか」
「巴がわかりやすすぎましたからね。Qを降ろしただけで上々でしょう」
淡々と感想を言い合い、未練もなさそうに次の勝負に備える留子と朱梨。
「……な? 充分、練習になりそうだろ?」
「うう、はい。……くやしい」
ポンと巴の肩に手を置く。ルールが単純なぶんしてやられた感もひとしおなのだろう。ぷっくり頬を膨らませた後ろ姿がかわいらしかった。
そのかわいらしさを乗り越え、勝負の虎となってくれることを祈るばかりだ。
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