HAND1-02

♥陽明学園初等部・廊下


 にんして半年以上がち、春をむかえても相変わらずちがいだな、とかたせまくしながら、おれは『教師・もりもとかず』として長いろうを歩く。

 私立ようめい学園はエスカレーター式の小中高いつかんで、ぜんりようせい、しかも女子校。筋金入りのおじようさま学校だ。大理石のろうに、ゴシック調のそうしよくほどこされたまどわく。人生で足をれる機会など、可能性すら想像したことはなかった。

 教師になるというせんたくに関してだけなら、それほどえんどおいものではなかったが。何しろ入った大学の学部が教育学部なのだから。

 とはいえ、能動的なせんたくじゃない。英語をしっかり学びたかったので、サポートに定評のある国立大をぎんしたところ、受かりそうなへんだったのが教育学部だった。それだけの話だ。

 結局、在学中は卒業すらあやうくなるほど昼夜を問わずオンラインポーカーに明け暮れていたので、かいどうしずかとの出会いがなければ確実に別の道を選んでいたことだろう。

 こうけいの育成──要するに、一流のポーカープレーヤーを育ててみせろと命じられ、気がつけばとんとんびようでこんなちがいなところに勤めることになっていた。しかも夏休み明けからのちゆう採用。おそるべしコネの力。

 それにしても、よりにもよってなぜ育成対象がおじようさま学園の小学生なのか。その理由は二つ聞かされた。

 一つはどんな競技であろうと幼いうちから始めるにしたことはないという確たる事実。

 もう一つは、美しく上品な女性ほど、かくとして有効に働くであろうという主張だ。

 確かに、いかにも『ポーカーでメシ食ってます』といった感じのおっさんより、れん乙女おとめとテーブルを囲んだ方が、客のさいひもゆるむであろうことは想像にかたくない。

 総合的に考えると、なかなかどうしてつじつまの合う話に思えてくる。

 ……ま、そんなのは建前で真の理由は全く別の所にあると考えるのがとうなのだが。


「先生、ごきげんよう」

「ああ。ごきげんよう」


 すれちがった児童からおされた。本当にあいさつが「ごきげんよう」な世界がこの地球上に存在していた事実に、しばらくの間は頭が追いつかなかったが、さすがにこの程度のローカルルールには慣れてきた。今ではおれの口からも反射的に同じ言葉が出てくる。


「…………ん」


 次の『ごきげんよう』に備えるべく視線を正面に向けると、よく見知った少女がこちらに近付いてくるところだった。

 こしの辺りで切りそろえられた、つややかなくろかみ。武道の達人よろしくしゃんとびた背筋。ただでさえ小五としては高めのたけが、そのいと相まっていっそう周りからきんて見える。

「ごきげんよう」

 少しのきんちようかんと共におれの方から声をかけた。


「………………」


 無視された。


「……おいおい」


 さすがに看過できず、すたすたと立ち去ろうとするその背中に向けて強めに呼びかけると、


「あら、かず先生。気づかずすみません。ごきげんよう」

 かえったその少女は何事もなかったかのように微笑ほほえみ、軽くしやくした。うそつけ。絶対気づいていたくせに。

「…………いや、いいんだ」


 イヤミの一つでもぶつけてやろうかと考えたが、やめた。口げんかをいどむべき相手ではない。いろんな意味で。


「今日の部活はどうする? 通常営業でいいか?」


 代わりに業務れんらくをでっちあげた。そう、この少女はようめい学園初等部ポーカークラブの一員……それどころか部長である。放課後は毎日顔を合わせる相手だ。幸いにも担任をしているクラスにはざいせきしていないから授業で会うことはないが。幸いにも。


「通常ではない営業方法を思いついたのでしたら聞かせてもらいたいものですわ」


 アルカイックスマイルにこつな皮肉がめられている。おれに対して、この少女はいつもこういう態度だ。

 まあ、気持ちはわからないでもないのだが。


「……悪かった。引き続き対策を考えておく」


 せきばらい一つ残し、おれきびすを返した。げるのではない。そろそろ担任クラスに向かわないとホームルームに間に合わない。この学校はやたら広いのだ。


よろしくお願いしますね。そのためにここへいらしたんでしょう?」


 なかしに、おだやかな口調で痛い所をかれる。


「ああ。わかってるさ。……しゆ


 おれにできることと言えば、少女をわざとらしくフルネームで呼び『みなまで言うな』という心境を伝えるのがせいぜいだった。

 そう。おれにとって最大の想定外は、ようめい学園初等部ポーカークラブに所属しているかいどうしずかの実のむすめ、という存在である。


「ごきげんよう」

「きゃ、お声をかけて頂けるなんて! ご、ごきげんようです、しゆさまっ!」

「まあ。やめて下さい。クラスメイトに『さま』だなんて。もっと気さくでいいんですよ」

「そんな、もったいないお言葉ですっ! ああ、どうしましょう。しゆさまにたしなめられてしまいましたわっ!」

「ず、ずるいですっ。しゆさま、わたくしにもっ!」

「……ですから、さま付けは。……困ったものです」


 しゆが一歩進むたび、ろうせんぼうの花がく。

 つまり『かいどう』とは、そういうことなのだ。


♠陽明学園初等部・五年二組教室


「ここにコインがある。裏と表の重さは同じだ」


 算数の授業中、『場合の数』の単元に入ったばかりだったので少し雑談をすることにした。これからする話はギャンブルと向き合う上で基本中の基本となる。本来のカリキュラムからは外れてしまうものの、おれがなんのためにここへ送られたのかを考えれば、正しい判断だろう。


「ちなみにこの話はテストに出ないから気楽に聞いてくれ」


 そう伝えると、教室全体の空気がほどけたような感じがした。そして逆にこうしんげきされたのか、ますます視線がコインをかかげたおれの手元に集まる。

 新任まもないころはこの程度の注目でもひどくきんちようしてしまっていたものだが、今はなんてことない。教師ぎようにも、三十人強のおじようさま小学生にも、だいぶ慣れてきたようだ。


「このコインを投げて、表が出る確率と裏が出る確率、何%かわかる人?」


 たずねると、児童たちの何人かが顔を見合わせ始めた。あまりにも簡単すぎる問題だから逆にかんぐってしまっているようだ。


なおに考えてくれ。イカサマとかはなしだ」


 そう付け足すと、一人、また一人。やがてほぼ全員が挙手をした。


「じゃあ、あき


 適当に児童を選んで当てると、あきは立ち上がってハキハキと答えた。


「どっちも50%だと思います。イカサマじゃないなら」

「その通り。確率は半々だ。じゃあもうひとつ問題。実際にやってみたら、四回連続で表が出た。同じコインを投げて、次に裏が出る確率は?」


 今度はだれも手を挙げない。しんけんなやんでいる子が多い。

 しばらくだまって、自主性に任せる。すると、一人の児童がおずおずと手を挙げた。


「何%かはわかりませんけど、すごく裏が出やすいと思います。四回も表が出た後なんですから、次はきっと裏です」


 よし、パーフェクト。ねらどおりパーフェクトにちがえてくれて、うれしくなる。


「そう思うよな。でも不正解なんだ。使うコインが変わってないんだから、確率は半々のまま。たとえ四回連続で表が出た後だろうと、次に裏が出る可能性はやっぱり50%」


 にわかに教室がざわつき始めた。言われてみれば当たり前の話、でも感覚としてどうしてもなつとくできない。そうめいなおじようさまたちが集まっているからなおさら、みんな混乱してしまっている様子だった。

 約一名ニヤニヤこっちを見ているヤツがいるが、とりあえず無視しておこう。

 この、ある連続する法則が出現した後に、確率変動が起こるように感じてしまう事象については、主に二つの呼び名があたえられている。

 一つは『ギャンブラーのびゆう』。れっきとした経済用語だ。

 そしてもう一つが、いわゆる『ツキ』『流れ』と呼ばれるものぜんぱん

 別におれはどちらの言葉でとらえてもいと思っている。

 ただひとつ確かな事実は、重さが均一なコインを投げた時、裏と表の出る確率は常に半々であるということ。


「あの、先生……」


 また別の子が挙手。うなずいて耳をかたむける。


「ん? なつとくがいかない?」

「いえ、というか。前提がヘンなのでは」

「前提というと?」

「そもそも、確率が半々なのに、四回連続で表が出るっておかしくないですか?」

い質問だなぁ」


 おっと、いかん。うれしくなりすぎて『教師口調』を忘れそうになってしまった。


「とりあえず先に結論を言うぞ。それほどおかしくない。『たまたま』四回連続で表が出てしまうくらいのレベルなら、ぐうぜんで片づけられる」

「え、でも……」

「ちょっと小学校の算数のはんえちゃうけど、きっとみんななら理解できると思う。五回コインを投げることにして、一回目が表だった。じゃあ次にもう一度表が出る確率って何%だと思う? 表、表と二回連続で出る確率」

「えっと、えっと……半分の、半分だから……」

「そう、それで正解。50%の半分だから25%。さて、次だ。表、表、表と三連続で出る確率は?」

「25%の半分です!」


 クラスの知的こうしんに火がついたらしく、挙手無しで正解が飛んできた。もしかしたらこれまでで最も、かいどうしずかに感謝の念をいだいてしまっているしゆんかんかもしれない。やりがいのある仕事って楽しい。小学生って最高かな?


「そう! 12.5%。さあ、いよいよ表が連続で四回出る確率に辿たどいた。もう計算はいいよな。小数点は外しちゃって約6%の確率で、コインは四連続で表になる」

「6%って、めちゃめちゃ少なくないですか……?」

「んーと。みんな、ゲームでガチャ引く?」

「たまに引きまーす!」

「重課金勢でーす」


 今ちょっと聞き捨てならない反応があったような気がしたが、だつせんが長くなってきたので無視しよう。おじようさま学校だから問題ないのだろう、たぶん。


「そのガチャでSSRとかURとか星5とか、一番レアなカードが出る確率、何%って書いてあった?」

「え、書いてあるの?」


 ある。ずっと昔に景品表示法で明記しなきゃいけないルールになったから。


「私、見たかも。確か、私のやってるゲームだと、3%……あ」

「3%か。かなり低いね。低いけど、ゼロじゃない。ゼロじゃないことは起こりうる。表が四連続で出る確率は、ガチャで最高のレアリティを一発引きする確率のだいたい二倍くらいだ」


 そこまでたたみかけて、おれは一度クラス全体をわたす。感心しきってる子、何の話だったか混乱し始めてる子、てる子、ニヤニヤしてるヤツ。反応は様々だ。


「その6%のぐうぜんがどれくらいのぐうぜんか、たぶん人によって受け止め方がちがうと思う。けっこうあるじゃんと思う子も、ほぼありえないじゃんと思う子も、どっちもいるだろう。ただ、とにかく覚えておいてしい。コイン投げで四連続表が出たとしても、その次は必ずまた50%の確率にもどる。五連続で表が出る確率は3%。だけど、四回表が出た後でもう一度コインを投げた時、また表が出る確率は変わらずに50%なんだ。裏が出やすくなったりは、絶対にしない。これをずっと、大人になるまで忘れないでいてほしい」

「どうしてですか?」

「言い方を変えれば、ぐうぜんは確率に勝てないってことを知ってしいんだ。今回は四連続だったけど、これがもし四百連続だったら? 全部表が出ることってあると思う?」

「それはぜったいありえないです」

「うん。ここまで回数をかえせば全部表になる確率はゼロに等しくなる。たまたま表が連続するぐうぜんは、たまたま裏が連続するぐうぜんとぶつかり合って、コインを投げる回数が多くなればなるほど、元の確率、つまり50%に収束していく。これを『たいすうの法則』という」

たいすうの法則……。それを、覚えておくんですか?」

「覚えておいて。次のテストには出ないけど」

「先生、どうして?」

「またガチャのたとえで悪いが、『十連五回も回してSSRゼロなんだから、次こそしかったカードが出るはず!』とか思ったことない? 逆に『一回目の十連でいきなりSSR二枚! 今日はツイてる! もっと回そう!』とか」

「う……」

「もうわかったよね。これはどっちもちがった考え方。回せば回すほど、本来の確率……さっき言ってくれたガチャだと3%に収束していくだけ。『ツキ』は『たいすう』に絶対勝てないんだ。さて、それでは最後に応用問題。この事実から導き出される、人生の教訓は?」


 一度、しぃんとなる教室。それからずかしそうに、『重課金勢』の子が手を挙げた。


「ガチャは、ほどほどに……」

い答えだ。勝率が50%以下のじゆんすいちようはんばくは、長居したら絶対に負ける。近付かないか、どうしてもまんできないならせめて一発勝負でさっさとねらいにしておくこと。外したらいさぎよあきらめよう」


 例えばバカラとか、ルーレットとか。場代をカジノにかれてしまうから、たくけても回数を重ねれば重ねるほど必ず損をするシステムになっている。


「さて、だつせんはこれくらいにして教科書の──」

「ねーセンセー。もし勝率が51%以上あるちようはんばくならどーなんスか?」


 ようやく授業を始めようとした寸前、ずっとニヤニヤしてたヤツがますますニヤニヤしながら挙手をした。余計なことを。今日のところは教訓だけで終わらせようとしていたのに。


「……そうだなぁ。もしそんなオイシイ話が成立する場面があるんなら、ぜひ、やるべきなんじゃないか? なるべくたっぷり、長い時間をかけて」


 例えば……ポーカーとか、な。

 授業中にもかかわらず、制服の外側に羽織った上着のフードをかぶってニヤニヤしているそいつ──ようめい学園初等部ポーカークラブメンバー、したに、おれはわざとうんざりした顔を見せつけながらため息をもらした。

 まったく。これでもマシになった方とはいえ、ポーカーテーブルの外ではもう少し地味にえという忠告を、いつになったら聞いてくれるのやら。

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