第26話【第四章】

【第四章】


 ガタン、と全身が揺さぶられて、俺は意識を取り戻した。何かの上に、仰向けに横たわっている。キュルキュルとキャスターの回転音がするところからして、担架に乗せられているらしいと察しがついた。人の声もするが、音の輪郭がぼんやりとして、意味は分からない。


 俺はしばし、瞼を閉じたままでいた。戦闘で受けたダメージの具合を感じ取ろうと試みる。

 全身が、隈なく鈍痛に襲われている。しかし、骨や関節、筋肉に異常はないようだ。


 この期に及んで、ようやく誰が、何を言っているのかが分かるようになった。


「わあああっ! 葉月、葉月!」

「馬鹿野郎、下手に揺するんじゃねえ、和也!」

「二人は潤一くんを外に運び出してくれ。葉月くんの緊急手術中だからな」


 最後の言葉はドクのものだ。と、いうことは、今俺たちがいるのは情報統括部、すなわち寺ということか。


「ん……」


 呻きながら目を開くと、真っ先に目に入ったのは、憲明の顔だった。


「大丈夫か、潤一?」

「ああ、麻酔は?」

「使ってない。お前の感覚が全てだ」


 と、いうことは、臓器にも損傷はなかったということか。親父は見事に、人体の急所を外すようにして俺を打ち負かしたらしい。

 俺はゆっくり頷いてみせてから、問うた。


「他の皆は?」

「俺と和也は無事だ。だが……」


 憲明は珍しく、眉をハの字にして情けない表情を作った。

 そうか、やはり葉月は撃たれたのか。


「葉月は?」

「今はもう緊急手術に入った。弾丸が、葉月の肝臓近くに残っているらしい。ドクが摘出を試みてるが、助かるかどうかは五分五分だそうだ」


 憲明の口調には、不安の色が滲んでいる。俺は、自分の心臓が冷めきっていくような錯覚に囚われた。


 俺は横たわっているのが気持ち悪くなって、腰から上を持ち上げた。


「おい潤一、大丈夫なのか?」

「憲明、『お前の感覚が全てだ』って言ったのはそっちだろう?」


 すると、憲明は少しばかり口元を緩ませ、『そんな皮肉が言えるなら、お前は大丈夫だな』と言って後退した。


「気をつけろ。転ばないようにな」

「分かってる」


 立ち上がってみて、ようやく俺は周囲の状況を理解した。ここは寺の一部であるようだが、俺が立ち入ったことのない区画だ。リノリウムの床が天井の蛍光灯の光を反射し、ぼんやりと明るい。目の前には長い椅子があって、病院の待合室のような空間だと察せられた。


 唐突に、背後から暴力的な気配がした。振り返ると、そこにいたのは和也だ。薬品臭い空気を破って、俺に殴りかかってきた。


「ジュン、君は……!」


 しかし、振りかぶった彼の拳を、俺は片手で易々と受け止めた。

 それでも、何とか俺に一発喰らわせようと、腕を振り回す和也。俺は彼の左目に視線を注いだ。それからぱっと手を離す。


「うわ!」


 和也は体勢を崩し、転倒しかけた。そこに手を伸ばし、何とか引っ張り上げて立たせてやる。

 こいつの言いたいことは、大方分かっていた。


「ジュン、葉月は君のことが好きだったんだ! 君は彼女を守るべきだったんだよ!」

「馬鹿野郎!」


 怒鳴り返したのは憲明だ。


「お前だって見ただろう? あんなキンピカ機械野郎相手に、仲間を気遣う余裕なんてあるわけねえだろうが! たとえ潤一がRCを使っていてもな!」


 ぐっと黙り込む和也。それから彼は、その場でしゃがみ込んで嗚咽を漏らし始めた。

 自分だったら死んでも葉月を守ったのに、とでも思っているのだろうか? 自分が死ぬことと、仲間を救えることに因果関係はないように思えるが。

 そう思ってしまうということは、俺は冷酷な人間になりつつある、ということだろうか。


 その時、スッと微かな音を立てて、長椅子の反対側のドアがスライドした。そこに立っていたのは、手術服姿のドク。腰から下は血塗れだった。


「ドク、葉月は? 葉月は大丈夫なんですよね?」


 ぱっと立ち上がり、ドクに迫る和也。しかし、そんな和也を無視して、ドクは俺に一枚の紙切れを渡した。血で汚れてはいるが、読めないことはなさそうだ。


「後で読んでくれ。それから皆、葉月くんの弾丸摘出は成功した。あとは、彼女の生命力に任せるしかない」


 短いため息をつく憲明。二、三歩引き下がる和也。そんな二人と、疲れ切った表情のドクに視線を送る俺。

 その四人の他に、五人目の気配を感じて、俺はゆっくりと振り返った。


 そこに立っていたのは、エレナだった。目を真っ赤にしてしゃくり上げている。


「エレナ……」


 俺がそう告げた直後、がらがらと音がして、俺は視線を下に向けた。缶コーヒーや清涼飲料水が、エレナの足元に転がっている。俺は屈みこんで、ミネラルウォーターを拾い上げた。


「調達してきてくれたのか? 俺たちのために」


 エレナは目元を拭うのに必死で、意志表示はしなかった。だが、それこそ俺の問いに対する答えだろう。

 俺はそっと、彼女の頭に手を載せて、軽く撫でてやった。こんなことで落ち着いてくれるなら、お安い御用だ。


「さて、早速だが緊急会議を持ちたい。葉月くんの不在時における、指揮命令系統の変更についてだ」

「葉月が不在って……。何を言ってるんですか、ドク! 葉月は死んだわけじゃない!」

「そんなことは分かっている‼」


 縋りつくような和也に対し、ドクが怒鳴り返した。これには憲明も、目を丸くして唖然としている。俺もそうだ。あのドクが激昂するだなんて。


 するとドクはゆっくりと息を吸い、吐きながら虫の鳴くような声で言った。


「一時間後、いつもの畳の間に集合だ」


 それから、手術の後片付けをするつもりだろう、すぐに手術室へと引っ込んだ。

 残された四人の内、俺以外の皆は、ため息をついたり、飲み物を拾い上げたりしながら一歩方向へ歩き出した。どうやら、そちらが畳の間に繋がっているらしい。

 俺はそれを追いつつ、ドクに託された葉月からの手紙を開いた。


「ん?」


 そこに書かれていたのは、地図だった。どうやらこの寺の構造を示したものらしい。その片隅に、矢印が描かれている。ここに何かある、ということだろうか。


 会議開始まで、まだ時間はある。俺は皆と反対方向へと歩を進め、葉月の示した場所に向かった。


 そこは、薄汚れた暗い部屋だった。情報統括部の心臓である通信室と畳の間、それに今の治療室以外は、やはり整備が行き届いていないのか。

 俺がゆっくり足を踏み入れると、何かを蹴倒してしまった。それは、懐中電灯だった。パチリ、と点けて、矢印の示していたもの、すなわち埃を被った箪笥に手をかけた。一番上の壇を開け、中を窺うと、そこにもまた紙切れが入っていた。だが、今回は封筒に入れられ、『佐山潤一様』としっかりした字体で書かれている。


 これはきっと、葉月が俺に宛てた手紙なのだ。俺は素早く、ただし慎重に封を切り、中の手紙を取り出した。


         ※


 佐山潤一様

 これをお前が読んでいるということは、恐らくドクが、私を死んだか意識不明になったことを察して、地図をお前に渡してくれた結果だと思う。

 いろいろ言いたいことはあるが、どうしても伝えたいことを、自分なりにまとめてみた。


 私、美奈川葉月は、佐山潤一という同年代の異性に好意を抱いている。そのきっかけを伝えずに、私が命を落とすというのは、何とも後味が悪い。だから、私から見た佐山の話をしたい。


 私が初めてお前を見かけたのは、メイプルデパートでのテロ事件があってすぐのこと。ご両親の葬儀が行われた時のことだ。私はお前をスカウトすべく、葬儀場の前で待っていた。

 お前がボクシングを習熟していることは、既に見知っていた。だから、戦力になると思って誘いをかけようとしたんだ。


 だが、その時は声をかけなかった。かけられる状態ではなかったんだ。お前があまりに悔しそうで、心に絶望を抱え、天に向かって罵声を浴びせていたから。


 そんな人間を、私は見たことがある。私の父だ。連続通り魔の身柄を確保したものの、犯人が自殺する隙を作ってしまい、無念のあまりに号泣する父の姿。それとお前の姿が被って見えた。


 その時、私の心臓が跳ねた。罪を憎んで人を憎まず、家族の前ではごくごく平凡な、いや、人一倍私たちのことを想ってくれていた父。そんな彼の心を荒れさせる原因は何なのか、私はずっと気になっていた。


 そしてようやく、私は答えに辿り着いた。周囲の無理解だ。佐山はまさにそういう状態で、豪雨の中で泣き叫んでいたのだと思う。

 私は父を思い出し、同時に、この少年なら、私の心の空白を埋めてくれるのではないかと察した。いや、無意識に感じ取った。


 それから先、私はお前の前で冷静さを保つことが難しくなった。それも日を追うごとに、その度合いは酷くなっていく。これを『恋の病』と言わずして、なんと言おうか?


 我ながら恥ずかしい話だが、紙に書くことはできる。佐山潤一、私はお前のことが好きだ。

 死ぬなら、せめてお前を救うようにしてこの命を散らしたい。


 まとまりのない文章で済まないが、以上だ。

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