第25話
「マドゥーとは共同戦線を張ったんだ。マドゥーは違法薬物の売買において、欧州ではそこそこ名が知れていた。そこで、私は言ったんだ。自分も、その薬物研究に一枚噛ませろと。そのルートで、私はマドゥーに借りができた。その見返りに、私は日本での密売やテロ行為を望んでいたマドゥーに、居場所をくれてやった。まあ、あの雑居ビルのアジトがああも呆気なく陥落するとは思いもしなかったがな」
俺は両方の拳銃を突きつけたまま、奥歯を噛みしめた。
「じゃ、じゃあ母さんは? あんたにとっては死なせてもいいような、薄っぺらい相手だったのか?」
「結果論的にはそう言えるだろう」
自分の腕が震えだしそうになるのを、俺は必死に堪えた。
この男には、もはや俺やお袋のことなど見えていない。眼中にあるのは自分の富と名誉だけだ。これこそ、俺が一番許せない大人の典型ではないか。
「まあそう無茶をするな。潤一、お前がRCを発動させたところで、私には敵わないだろう。私と来るんだ。そうすれば、我々はここにいる誰のことも、傷つけずに撤収できる。お前のガールフレンドのこともな」
ガールフレンド? 葉月のことか?
「美奈川葉月くん、聞こえているんだろう? 君の父上を実験台にしたのは、この私だ」
思わず俺は、目を見開いた。
「潤一に与える薬剤の分量を計ろうとしたんだが、なかなか上手くいかなくてね。随分と苦労をかけてしまった。済まないな」
「何を白々しいことをッ!」
俺は効かないと分かった拳銃を投げ捨て、格闘戦に持ち込むべく、腕を構えた。
「葉月、お前は出るな。お前の親父さんの仇は、まとめて俺が討つ」
やや後方で、ぐっと頷く気配がした。俺はアスファルトを蹴り、一直線に親父に向かって駆け出した。
俺は駆けながら身を低く保ち、相手の足元を狙った。あれだけの弾雨に無傷を保ったスーツだ。白兵戦で、バランスを崩して様子を見るしか方法はあるまい。見るからに鈍重そうでもあるし。
だが、そんな俺の甘い考えは、次の瞬間には霧散していた。俺とほぼ変わらぬ速度で、相手が接敵してきたからだ。
「ッ!」
駆けているのではない。超低空を滑空している。信じられない光景だが、エラ状の排気口から勢いよく火を吹きながら、相手は飛んできているのだ。
急速に縮まってくる、相対距離。俺はすんでのところで横に回り込み、真正面からの衝突を避けた。
「ほう、RCの使い方には十分習熟しているようだな」
俺の方を振り返り、親父が一言。
ようやく俺は認識した。あのエラ状の機構は、排気口などではない。スラスターだ。あのスーツには、ジェット戦闘機と同じ原理の駆動システムが搭載されている。もちろん、極々小型軽量化されたものだが。
あの速度で、あれだけ硬質なスーツとまともにぶつかったら、骨折くらいは覚悟しなければなるまい。
「今度はこちらから行くぞ!」
相手は上半身を捻り、ぐぐっと腕を引いた。次の瞬間には、俺の眼前に鉄拳が迫っていた。
足先を曲げて上半身を反らし、その拳を回避する。目の前に突き出された腕の肘の部分を、俺は勢いよく掴んで、乱暴に背負い投げを見舞った。かなりの重量があったが、RC発動中ならなんとかなる。
相手は勢いよく地面に叩きつけられ、アスファルトにひびが入った。続いて、ゴッという鈍い打撃音が響く。俺は続けざまに蹴飛ばしてやろうと距離を詰めたが、相手は勢いよく白煙を排し、転がってから両腕で跳躍。元の位置に戻り立ち上がった。
「ふむ。悪くない動きだ、潤一。こちらも少し、本気を出さねばならんようだな」
本気だと? あれ以上の速度で機動できるとでもいうのか? それとも、まだ隠しているギミックがあるのか? いずれにせよ、相手のペースに乗せられるわけにはいかない。
俺はややジグザグに身体を振りながら、再度接近を試みた。投げ技を連続して、スラスターを破壊する。そのぐらいしか、戦い方は思いつかない。
わざと眼前に接近し、相手から繰り出された手足の関節部を掴んで投げる。
それを繰り返そうとした、俺の判断が甘かった。
再度鼻先を掠めていった、相手の鉄拳。その肘を掴もうとした、次の瞬間、
「うっ!?」
強烈な光が、俺の視界を奪った。同時に、掌に痺れるような痛みが走る。
電撃が走ったのだ。RC発動中だったので、視界の明度自体はすぐ元に戻った。しかし、そこに生まれた隙は致命的だった。
素早く俺の手を振りほどいた親父は、その場で勢いよく一回転し、回し蹴りを俺に喰らわせた。これを、膝を持ち上げることで受ける俺。
「がッ!」
脛に激痛が走った。回し蹴りを、まともに喰らったのだ。この速度にしてこの硬度。予想以上のダメージだ。
体勢を崩した俺に対して、親父は容赦しなかった。俺は胴体と頭部、すなわち臓器と脳を守る一方で、とても攻撃できる状態ではない。
身体を縮める俺。その上腕が、親父の両腕で掴み込まれる。そして、親父は思いっきり腕を振るって、俺を放り投げた。
「ぶはっ!?」
衝撃を殺しきれず、俺の身体はコンテナにめり込んだ。そのまま前のめりに倒れ込み、俺は無様に嘔吐する。最早、RCが発動中なのか否かも分からない。
「に……げろ……」
俺はなんとかヘッドセットのマイクに吹き込む。
俺が仕留められれば、他の皆も殺される。親父の圧倒的戦闘力を前に、皆は為す術もあるまい。
「ぐっ……」
俺がここで親父の注意を惹き、なんとか皆が生還できるだけの時間は稼がなければ。
「総員、撤退だ、俺を捨てて逃げろ……!」
皆の応答は聞こえなかった。放り投げられた衝撃で、一時的に耳がやられたのかもしれない。ヘッドセットの問題かもしれない。いずれにせよ、俺は自分より皆のことが心配だった。
それから先も、この埠頭は親父の独壇場だった。俺は無様に殴り飛ばされ、蹴り上げられ、踏みにじられた。
「どうした? まだRCのリミットは来ていないぞ? それとも、お前の本気はそんなものか、潤一?」
俺は唾を飲むこともできず、だらりと涎を垂らした。赤いものが混じっている。
RC起動状態であっても、これほどボロボロにされたのでは、俺に勝機はない。せめてできることがあるとすれば、なんとか生き延びて、皆のアジトへの撤退を完了させることくらいだ。
そう心に誓った瞬間、親父の一言が、俺の冷静さを粉微塵にした。
「これでは、死んだ母さんも報われんな」
「……!」
まるで肩の凝りを治すかのように、首を左右に傾ける親父。
そうだ。こいつはマドゥーと組んで、母さんを殺したのだ。俺の胸中は、真っ赤な怒りの炎に呑まれた。
「うおああああああああ‼」
足裏で地面を勢いよく踏みしめ、俺は親父に向かって接近した。傍からはどう見えただろう? 俺は必死の形相だったろうか? 勢いはあっただろうか? それとも、フラフラで無様な突進だっただろうか?
揺れる視界の向こうに、親父の姿が近づいてくる。俺は、残されたありったけの力を右腕に込め、振りかぶる。しかし、鼻先に迫ってくるのは、いつの間にかアスファルトになっていた。親父には指一本触れていないはずなのに。そうか、勝手に転倒したのだ。
俺はなんとか腕を突き出し、地面から顔を守った。しかし、それから立ち上がることはままならない。
「時間切れだ、潤一」
そうか。RCがタイムリミットを迎えたのか。
「きっかり十分だったな。これからはもっと、時間を引き延ばす必要がある」
ぼんやりとした視界の向こうで、親父が語りかけてくる。先ほどは一時的に聴覚を失っていたが、今は、というより親父の声は、しっかりと鼓膜に捉えられていた。
「さあ、一緒に来るんだ。お前の身の安全は、私が保証する」
「ッ!」
母さんのことはあんなにバッサリと斬り捨てたのに……!
俺は自分の爪が地面に食い込むほど、強く拳を握りしめた。しかし、これ以上身体を動かすことは不可能だった。
「さあ、立ち上がって――」
と親父が手を差し伸べてきた、まさにその時。
「佐山あああああああ‼」
絶叫が、この埠頭全体を震わせた。同時に響く、聞き慣れた金属音。
葉月か? この声は葉月のものなのか? 少なくとも、この銃声はいつもの自動小銃のものだ。
そんな火器が通用するほど、親父のスーツは柔ではない。加えて、こんな場所でフルオート射撃など行えば、跳弾によって自分が負傷することだってあり得る。
止めろ。落ち着くんだ、葉月。
しかし、その言葉を発する余力は、俺にはなかった。
親父は小さく舌打ちし、片膝を立ててしゃがみ込んだ。ガコン、と鈍い音を立てて、スーツの脚部が展開する。そこには一丁の拳銃が収められていた。
「馬鹿な娘だな」
その銃声は、あまりにも呆気なかった。直後、自動小銃による銃撃はぴたりと止み、あたりは波音と工場の機械音に満たされた。
葉月が、撃たれた? 俺を庇って? そこまで頭が回る頃には、親父は立ち上がっていた。
「どうした?」
ヘルメット越しに、耳があると思われる部分に手を添える。
《海上保安庁の巡視船がこちらに向かっています。佐山博士、早急に撤退を!》
「了解した」
親父はため息をつき、それに同調するかのように頭部から白煙が上がる。
「お前を回収するのは、また今度にしよう。いずれ連絡する」
そう言って、親父は背を向けた。俺の意識は、スラスターからの排気が熱いものであることを感じてから、すぐにブラックアウトした。
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