第24話
結局、葉月の視線は自分の足元に落とされた。足先をくっつけながら、背中を丸め、俯く葉月。俺はそんな彼女の、あどけない横顔を見つめていた。
まさかあの葉月に対して、『あどけない』という形容詞を使う日が来るとは、思いもよらなかったが。
「この前、憲明が言ってたよね。私が、佐山のことが好きなんだって」
唐突に発せられた一言。しかし、俺の胸中は思いの外穏やかだった。
きっとどこかで、俺自身気づいていたのかもしれない。あるいは、憲明の言うように、葉月からの好意を受け入れる余地が自分の心にないだけかもしれない。
いずれにせよ、驚きには至らなかった。
「佐山は、私のことどう思う?」
「どうって?」
「その、好きとか嫌いとか、リーダーに相応しいとか相応しくないとか」
葉月の方も、意外なほど軽い調子で問うてきた。さっきの混乱ぶりはどこへ行ってしまったのだろう。
「そりゃ、俺が葉月を嫌ってたら、相談に来たりしないよ」
「相談?」
葉月はふと顔を上げた。そもそも、話があるのは俺の方だったのだ。尋ねたいことがあったのは。
「さっき俺が嫌な夢を見たって話は、してないよな」
「嫌な夢?」
俺は話の主導権を、一旦自分が握ることにした。
「そう、嫌な夢。マドゥーが葉月や皆を羽交い絞めにして、ナイフをかざしてる姿が浮かんできた」
「マドゥーが? もう殺したのに?」
無言で頷く俺。
「怖かったよ。何故か俺は丸腰だったしさ。マドゥーは傷一つ負ってなかったんだ。あいつは、俺たちを皆殺しにするつもりだったんだ」
「でも、そうはならなかった」
「現実では、な」
俺は顔を葉月の方に振り向けた。少し驚いた様子で、葉月もまた俺と目を合わせる。夕日の逆光の中にあっても、葉月の瞳が潤んでいるのはよく分かった。
「あんな怖い夢、初めて見たよ。お前だけじゃない。憲明や和也やエレナ、それにお袋まで……。代わる代わる、ナイフを突きつけられるんだ」
「それじゃあ、佐山の大切な人たちが?」
ゆっくりと俺は頷いた。
「だから決めたんだ。俺は戦う。戦い続ける。こんな思いをする少年少女は、俺たちだけでたくさんだ」
顔を正面に向けた俺に、しかし葉月は視線を注ぎ続ける。俺はそれを感じながら、少しだけ言葉を続けた。
「俺が傷つくのは構わない。でも、皆が――葉月が傷つくのは耐えられない」
自分がマドゥーの人質になった時、葉月は言った。自分に構わず撃て、と。だがその胸中にある恐怖はいかほどのものだっただろうか? 最悪、自分がマドゥー共々葬られるかもしれなかったのだ。それも、信頼していた仲間の手によって。
憲明は『自分だったらマドゥーだけを撃てた』と豪語していたが、それは推測と結果論がごちゃ混ぜになった自意識に過ぎない。
そんなことを考えていると、葉月がやや膝をこちらに向けて、居住まいを正した。
「私は平気だよ。私だって、佐山に怪我をしてもらいたくはないもの」
その言葉にはっとして、俺は葉月を見返した。彼女の瞳から、一つ、二つと水滴が頬を伝って落ちていく。
すると、俺の心に奇妙な感情が湧き上がってきた。滑稽さだ。
一体、俺たちは何をくよくよしているのだろう? 親父をぶっ倒せばそれで済む話ではないか。
ああ、そうか。俺は葉月の思いを受け止め、こちらの弱音を吐露することで、自信がついたのだ。
「佐山、どうして笑ってるの?」
俺はそれには答えず、そっと葉月の頬に手を遣った。親指で優しく水滴を拭う。
「必ず、生きて帰ろう。それだけで十分だ」
ゆっくりと手を離し、今度はその手で軽く葉月の肩を叩く。それだけで十分だった。
葉月はくしゃり、とその整った顔を歪め、自分の手で目元を擦る。
「後方支援は、よろしく頼むよ」
「う……む……うん……」
俺は我ながら身軽にベッドから立ち上がり、葉月の部屋を出て自室に戻った。
※
翌日午後四時四十五分、東京湾横浜港第十三番埠頭。
《あー、こちら和也。怪しい人影は見当たらないよ》
《こちら憲明、同じく、人影は視認できない》
「どうする、葉月?」
俺はコンテナの陰で、ホルスターから拳銃を抜きながら葉月に問うた。彼女の手中には、いつもの自動小銃が握られている。
「もう少し待とう。先に動いた方が負ける」
確かに、その言葉は的を射ているように思えた。これは罠かもしれないのだ。だとしたら、突破するまでのことだが。
その時、がさり、と無線の向こうで衣擦れのような音がした。
《こちら和也、人影を確認! えーっと……一人!》
「一人?」
俺は思わず尋ね返した。そんな馬鹿な。一人では、取引も警護もあったものではない。これではまるで、決闘をしに来たようではないか。
そう言えば、憲明がその可能性について言及していたな。ということは、その人物が俺の親父だということか。
《憲明より葉月、こちらも確認した。射撃許可を請う》
「待て、憲明。佐山、どうする? お前の父上かも……」
俺は頷き、『すぐに戻る』とだけ告げて、コンテナの陰からゆっくりと歩み出た。左のこめかみを押し込み、RCを起動させる。
海風がふわり、と頬を撫でる中、俺はその人物と対峙した。
「久しぶりだな、潤一」
その第一声は、間違いなく俺の親父のものだった。
「ああそうだな、父さん」
しかし、海を背景にして俺に対峙している親父は、なんとも奇妙な姿をしていた。
浅黒い肌に真っ白で健康的な歯、ぼさぼさで白いものが混じった、しかし豊かな髪。間違いなく、奴は俺の親父だ。
しかし、その『奇妙』というのは首から下の全身について言えることだった。
パワードスーツ、とでも呼ぶのだろうか。滑らかで金色の光沢を放つ、身体にフィットした硬質なスーツを、全身に纏っている。関節部は黒いゴム製のパーツを思われ、動きに支障はなさそうだ。
ところどころに排出口があり、真っ白い煙が上がっている。
「さて、と」
親父は焦るでもなく、奇をてらうでもなく、ゆっくりとヘルメットを着用した。すると、のっぺらぼうだった頭部中央に、一本の光の筋が走った。あれが光学センサーになっているらしい。
語ることなど最早あるまい。俺は無造作に腕を上げ、両手から三発ずつ発砲した。が、その二十二口径弾は、呆気なくスーツに弾かれた。
「おいおい、感動の対面だぞ? そうカッカするな」
余裕綽々といった様子の親父。
俺は短く、マイクに『和也』と吹き込んだ。俺はサイドステップで射線から逃れる。次の瞬間、ガキィン、と鋭い音が引き渡った。
「残念だが、お友達の持っている狙撃用ライフルでは、このスーツの装甲を破ることはできん」
ライフル弾は、ぐにゃり、と地面に吐きつけられたガムのように変形し、ころん、とアスファルトに落ちた。
《全員伏せろ》
その憲明の言葉に、俺たちは慌てて腹這いになり、後頭部を腕で覆った。同時に、ガトリング砲の連続した射撃音が響き渡る。無数の弾丸はアスファルトを抉り、コンテナに穴を空け、親父に殺到したものの、
「何だ潤一、お仲間はこの程度の武器しか持っていないのか?」
煙の中で立ち尽くす親父のスーツは、引っ掻き傷だらけだった。しかし、致命傷になるような損傷は確認できない。
「まあいい。諸君らは、自分たちが無力であると理解してくれれば十分だ」
そう言って、親父は無造作に俺に近づいてきた。その距離、約二十メートル。
「突然で済まない。潤一、私と一緒に欧州へ来るきはないか?」
突然何の話だ? その疑念が顔に出たのだろう、親父は両腰に手を当てて語り出した。
「私は今、欧州某国の差し金で動いている。人体兵器の開発のためだ」
「人体……兵器……?」
頷く親父。
「戦車やヘリコプターに頼らずとも、歩兵だけで敵地を占領できればコストはかからない。そのために、人体を強化し、超人類を創る計画が持ち上がっていたんだ」
しかし。
「早速意見は割れた。パワードスーツを着込むべきか、それとも肉体そのものを強化するか。私はお天気屋だからな、両方試させてくれと頼んだ。そうして完成したのが、このパワードスーツと、お前の特殊能力、いわゆるRCだ。私とお前、どちらが強いのか、それによって某国の、いや、世界の軍事バランスは変わる。再び歩兵による侵攻作戦が活発になる。空襲による誤爆などのミスは格段に少なくなるだろう」
だから。
「潤一、お前に薬物を仕込んで、無理やり強化させたことは謝ろう。だが、可能性は開けている。私と共に来い。それが嫌なら、ここで一戦交えてみようじゃないか」
「二つ、聞きたいことがある」
俺は静かな怒りに胃袋を炙られながら、質問を列挙した。
まず、どうしてダリ・マドゥーと組んでテロ事件を起こすことになったのか。
そして、母さんのことをどう思っていたのか。
親父はスーツの上から顎に手を遣り、『ふむ』と軽く唸ってから語り出した。
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